キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)

1999年7月

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1999/7/25

主は命を与えてくださった      

 文学者の江藤淳氏が自殺しました。あの江藤さんとしては意外なもろさだと言う人もありましょう。しかし、私の思うのに、たぶん江藤さんは、彼らしい人生の美学から、病気の果ての老醜の姿を、この世にさらしたくなかったのではと、私は推察するのです。

 多くの人がボケるのを恐れるのは、みなそういうことではないでしょうか。自分がどんな醜態を演じるか分からない。またどんな恥ずかしいことをしゃべり始めるかも知れない。豪気な江藤さんなればこそ、そういう思いは人一倍強かっただろうと思います。

 でも本当にボケてしまうと、人はけっしてそんなことを心配しません。堂々とボケていますよ、安心してください。そうして、どんなに阿呆なことを言ったりしたりしても、私たちは天国に行けるのですから。

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 さて、自殺というと、私はすぐわが畏友荒巻保行のことを思い出します。荒巻君が死んだのは昭和16年7月12日でした。私は毎年7月12日が来ると自動的に荒巻の死を思い出します。

 別府にあった彼のお父さんの持ち家で、ガス自殺をしていた彼の孤独な姿を私は忘れる事が出来ません。

 その夜、家に帰ってみると、彼からの小さな手帳が郵便でとどいていました。彼のその一か月ほどの日記でしたが、また日々死を覚悟しての、私たちへ遺言でありました。

 「友よ、私たちが生きるにあたって良しとするところは、すべて自分にとり快なるものであることを悟った。すべて私のなすことは利己的で、罪である。私は今、自ら死んで 自分の罪を赦されようとするのではない。ただ、自分の罪の生活にピリオドを打ちたいばかりなのである。」

 彼は死の前日まで哲学の勉強をはげみ、またドイツ語の勉強もしていたらしい。その手帳を抱いて、私はその夜、大分川のほとりに出て、一夜泣いた。

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 その私が2年おいて、自殺行為におよぶことになるが、それはそんな人生論の結果ではなく、当時の戦時下、補充兵役への召集令に抗して自殺を図ったのである。「抗して、というのはおこがましい、ただ兵隊に行くのが怖くて自殺しかけただけではないか」と言われそうですが、そう言われるのも無理もない。

 私は叔父の釘宮徳太郎や内村鑑三、矢内原忠雄などの影響を受けて絶対非戦主義者になってしまっていました。20歳前です。日本の大陸における戦争が満州事変、支那事変と呼んでいる間、まあまあよかったのです。

 昭和16年12月8日対米英の宣戦の詔勅が出た。天皇の正式の戦争宣言です。私の胸にグサッと刺さった。私は天皇に対し正面切って国賊になってしまったという怖れが起こりました。私の皇国民意識は強かったのです。同時に当時8千万の全日本人の憎悪の対象になったという意識も生じました。 私にはかねて吉田松陰の影響で、主君が間違った道をとった場合、家来のとる道は諫死しかないという考えがありました。その考えを天皇との関係に取り込んで、死を決行しようと覚悟がついたのです。なんとも現代、こんなことを言えば、余りに時代策誤的ですね。

 また、「そういう考えで自分の自殺を正当化しようとする、狡い潜在意識がお前にあったのかも知れないぞ」、と指摘されれば、私もちょっと否定できません。

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 検挙されてから、特に検事に対しては私の非戦論の主張が非常に激しかったので大いに憎まれました。当然、刑期は4、5年は食うと思っていたが、わずか懲役一年だったので、何よりも検事局が憤慨したようでした。

 ともあれ、刑務所に行くと、一流の国事犯なみに扱われます。独房に入れられました。たった一人です、じっと自分を見つめる時間が出来ました。そしてあの荒巻君の罪の意識がよみがえって来ました。私は信仰を求めて苦しみました。

 というのも、私は「主イエス・キリストを信じなさい。そうすれば救われる」という聖書の言葉は、知りすぎるほど知っているのです。そこで、「信じたい」けれど「信じられない」、そういうことが起こるのです。

 先日聞いた、奥山実先生のメッセージの中でこんな例があった。ある女性が先生に「イエス様を信じなさい」と言われ、それを知性では納得するが、先生から「はい、信じます」と口に出して言いなさいと迫られると、「言えません、言えません」と身悶えして抵抗するのだそうです。当時の私そっくりだと思ったことです。

 私は遂にイエス様を信じていない自分を認識しました。そして、自分の目の前にメラメラと燃える地獄の火を見、もう駄目だと泣き叫んでいました。

 そこに大転換が起こりました。イエス様が私と一緒に死に、私はイエス様と一緒に死んだ。不信仰で罪のかたまりである私が、このまま死んでも天国、生きていても天国であるということが、理屈抜きで分かったのである。その一瞬の恵みと喜びというものは、ここで書きようもない。(前記の女性もその時、長い時間をかけて、やっとのことで「信じます」と叫んだそうです。そして、その瞬間、彼女の心に信仰が湧き、立派な信仰に伸びたそうであります。)

 ある意味でイエス様こそ、自殺にひとしい予定どおりの死を遂げられたのでした。イエス様が地上に来られた、その目的は死ぬことにあった。「人の子が来たのは、……、多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(マタイ20・28)と仰せられたとおり、主は十字架にかかって死んでくださった。更に、3日のちには栄光のご復活、40日ののちにはご昇天が続く訳である、ハレルヤ!  

 


 

1999/7/18

この世の子らは光の子らよりも賢い?     

 ある日、わが家の郵便箱に薄い小冊子が投げ込まれていた。見ると、「ザ・伝道」とある。「えッ?」と思って、よく見ると「××の科学」の伝道雑誌である。なかなか美しくて明るいデザインである。開いてみると、なによりも活字が大きい。読みやすい。残念だが、「よくやるゥ……」と心でうなってしまった。

 「××の科学」の総裁なる人はまだ若い。大変な作文能力を持っていて、つぎつぎと本を出す。新聞広告などもデカッと大きい。昭和初年の谷口雅春氏の「生長の家」の誕生のころを思い出す。そっくりである。

 さて、その「ザ・伝道」であるが、読むと、一般の世間の人々にまったくピッタリする人生訓話である。分かりやすい。身近である。これにくらべると、キリスト教界で書かれる文書のむつかしさはどうだろう。大衆向けの伝道文書(トラクト)でさえ、しばしば「ザ・難解」である。慚愧にたえない。

 ところで、この「ザ・伝道」誌のなかで、この「××の科学」信仰の説明が載っている。かいつまんで紹介する。

 この宗教の信仰の対象は「主エル・カンターレ」であると称している。その名前は「うるわしき光の国、地球」を意味すると言う。その存在は地球系霊団の最高霊であり、仏陀的側面と救世主的側面をあわせ持つ偉大なる霊的存在であるとも言う。かつてその存在者の巨大な意識の一部がギリシャにヘルメスとして現われ、インドに釈尊として生まれ、そして現代、その中核意識が「××の科学」総裁であるO氏に下生したのであると言う(「下生した」という言葉は、「宿った」という言葉に理解してよいだろう)。

 実は、私はこの一文を読んで笑い出してしまった。決してさげすんだのではない。しかし憐憫の情は禁じ得なかった。そのいうとおり地球系霊団の最高霊が、この人に宿っているとすれば、大したことだ。その宗教性を尊敬する。

 しかし、地球系天使群と言おうか、そういう霊団にとどまっているのでは、ちょっと残念ではないか、なぜこの人は天地をお造りになった唯一のまことの神、父なる神、その父なる神の御ひとり子イエス・キリスト様を求めないのであろうか。不思議でたまらない。

 霊的感覚に敏感で、様々の霊的知識や能力を開発できることは決して悪いことではない。しかし、大いに危険である。このO氏は生来、素直な賢い人のように見える。それだからこそ、地球系霊団のような低位ににとどまらないで、天地創造の神のみ前に悔い改め、イエス・キリスト様の信仰を持って頂きたい、と思うのである。

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 「この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である」とルカ16・8下でイエス様は言われる。また言われた、「あなたがたは蛇のように賢く、鳩のように素直であれ」(マタイ10・16参照)と。 この「××の科学」だけでなく、「頑固だから癌になるんやで。陽気暮らしでゆきましょう」の天理教や、「世界人類が平和でありますように」の白光真宏会など、その他日々の生活に則した生き方、こうした実用的倫理を説く宗教は多い。

 そのような教えを聞いてきた人には、キリスト教はなんとも高踏的である。実用性に乏しい。いわば、雲の上の話であって、牧師の説教や、自分たちの訴えに対する応答は、日常の家庭内の問題、子育て、病気、金、会社、近所付き合い、零細企業の資金対策、従業員対策について一向役に立たない、不足に思うのは当然である。

 ある家庭で、娘が目がすわってしまって男のような声で親や兄弟を威嚇したり、急にカッターで手首を切ろうとしたりする、牧師先生のところに相談に行くと、しっかりした返事がない。ただ「祈りましょう」と言うだけ。信者は家に帰ってからも、なんと祈っていいのか分からない。つい、隣のおばあさんに相談してお稲荷さんのところに娘のセーターを持って行って伺いをたてた、というような例は多いかも知れない。

 こういう信者にむかって、「なぜ偶像のところに行ったりしたのですか。あなたは神様を裏切ってよいのですか。もっと信仰をしっかり持ちなさい」と戒め、叱責してもそれは間違いではない。たしかに強い信者はそうするであろう。問題に耐え、いつか必ず悪霊退治に成功するであろう。

 しかし、それでは弱い信者さんがたは余りに可哀想。もっと適切な霊的知識や、対決力をもって指導し、守ってあげたい。先の例は極端な例だが、あちこちにありそうなことである。こうしたことについて、この世の宗教は、たとえ邪悪な方法であろうとサタン的霊智であろうと、とにかく対処する知恵や力を持っているのである。

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 実はこうしたことを思い巡らしながら、教えられたことは、天地万物を創造された唯一の神を信じる宗教は案外少ないのだということです。私は比較宗教学を修めていないので確かなことは言えないですが。もっとくわしく世界の大きな哲学や宗教を調べてみたいのですが。

 孔子や釈迦や古い宗教ではゾロアスター等、すべて真摯に道を求め、創造主なる父なる神を捜しあぐねて、彼らなりに到達したところに従って、清く正しく雄々しく生きたように思える。日本人好みの人物をあげれば、二宮尊徳とか西郷隆盛とか、そう言う人たちである。

 これらの人々は、この世の生きる徳目的知恵と実行力について、光の子ら、つまり私たちクリスチャンよりも、しばしば賢明であり、強く雄々しく見える。こういう人々の処世哲学や精神的生活技術を尊重することはよいことだと私は思う。世間でよく売れているマーフィー流の処世哲学など良い例です。ただしロバート・シューラーなど、ややこれに偏り過ぎるように思うのは、私の偏見か。

 しかし、私たちがこの世の問題に対処する秘訣をパウロのようには、まだ心得ていないにしても(ピリピ4・12参照)、下手なままに不器用に熱意をもって福音を信じ、祈り続けるとき、最後に勝利を得た実例は山ほどある。安心しましょう。しかしまた、更にいやが上にも上手な方法を捜し求めることは、やはり大事なことだと私は信じます。 
    (リバイバル新聞1999.7.18.号寄稿のもの)
  

アーサー・ホーランド伝道会、15名の決心者!

 先週7月13日午後7時半から当教会で開いたアーサー・ホーランド伝道会、定刻前よりぞくぞくと聴衆が集まり、ちょうどそこへ到着したアーサー・ホーランド先生が愛車1300CCのダビッドソンを前にして教会の玄関前でしばらかく宣伝マンよろしく立って、来会の人たちと早くもフレンドリーな時を持った。これはあとの本番のため非常に良かったと思います。会場が恵みに満ちて少々長過ぎたかと思われるアーサーの説教を会集はみじろぎもせず聞いていた。会集は120名、そしてイエス様を信じたいという決心者が15名、これまで例をみない成績であったのです。これはひとえに、神様のあわれみである。しかし又、信徒諸兄姉のたゆまざる祈りとご奉仕も忘れられません。感謝!


 

1999/7/11

強 く、ま た 賢 く あ れ      

 戦前、子どもたちは、よく桃太郎さんの歌を歌った。「気はやさしくて力持ち……」。私は若い時、替え歌を作って歌った。「気はやさしくて力無し」。自分のことである。気軽に陽気に歌ったので、人にはユーモラスに見えたであろう。けれども実は、私は内面で、多分に自虐的なのであった。

 この「気はやさしくて力無し」、多くのクリスチャンに見られる通弊かも知れない。生長の家の谷口雅春氏が若い時に悟ったという「善人の悪」が、これである。でも、聖書は私たちに命じる、「強く、また雄々しくあれ](1:6,9)と。

 また、世間智というものがある。時には、ずる賢い。イエス様が「この世については、この世の子らは光の子らよりも賢い」(ルカ16:8参照)と言われているように。さらに、イエス様は言う、「あなたがたはへびのように賢く、鳩のように素直でありなさい(マタイ10:16)と。

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 信仰の力は筋肉の力に似ている。その力は負荷力、その持続力、そして巧みさ、知恵でもある。
 旧約聖書にサムソンという怪力の人が出てくる。神様の力である。町の門と扉と門柱をそのまま引き抜いて山の頂に運んで行ったという。

 日本文理大教授の武藤久太先生は73歳であるが、ウェイトリフティング(重量挙げ)の現役である。国体や世界マスターズ選手権では優勝したこともある。今回アジア地区の副会長になられたそうで、その記事が新聞に出ていた。ウェイトリフティングには多分、瞬発的負荷力と技術的巧みさが必要であろうと私は素人なりに想像する。とにかく、武藤久太先生のすごさに脱帽である。(昔を知っている人は、この久太先生の父君で版画家であった武藤完治先生をご記憶であろう)。

 こういう力を、信仰と祈りの世界で発揮したいものである。重荷を負っている時の祈りには、その霊的重圧に耐えグッと集中的に祈って瞬間的に重荷を跳ね返すコツが必要である。カンどころと言ってもよい。祈りの焦点は霊的な世界を狙うが、働かせる手元は心の世界にある。

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 持続的耐久力はマラソンがよい例であろう。それに似て、断食祈祷とか徹夜祈祷とか、連鎖祈祷なども、持続力を必要とする霊的行為である。古い方は知っているが、ハリディ・キャンプの「マラソン会話」と称したイエス様との会話的祈祷を紹介しましょう。

 ハリディさんは悪質の癌に冒されて、これ以上、入院治療は意味がないと家庭にもどされた。体の関係から仰向きに寝られないハリデイさんは斜めに体を横たえて、終日イエス様と会話をしたのです。

 あたかも眼前にイエス様が居られるつもりになって、「なぜイエス様、私はこんなひどい目にあうのですか」と遠慮無く不服を言ったり、心の中のテレビで癌細胞がイエス様から出る光線銃でやられている絵を見て、「ワッハッハ、癌がやられた、やられた」と痛快がったものです。

 そのような祈りを一日中マラソンのようにつづけました。何か月かしたとき、突然、風呂のそこの栓がぬけて水がどんどん引いて行くように癌の症状が消えて行き、そして食欲がわき、大きなイタリアン・サンドイッチをもりもり食べたと言います。

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 「マラソン会話」の祈りは又、一種の祈りの巧みな技術と言ってよい。イメージと言葉を巧みに使い、気軽に楽しく会話する。この会話法を覚えたら、日常生活のなかで仕事しながらでも試みてください。もちろんこういう時は声は出さなくてもよい。心の中でするのです。

 会話と言っても、最初のうちはこちらから話しかけるだけです。イエス様に電話をかけていると思ってください。注意して聞くと、向こうからイエス様か、どなたかははっきりしないにしても、言葉が聞こえるように思えることがあります。この小さな経験を大事にしてください。

 それは、潜在意識であって自分の思いなのかも知れませんが、それでも深い意識の声を聞いている訳です。潜在意識から、深層意識へ、深層意識から神層意識へとチャンネルが深まって行って、次第に本格的冥想にはいってゆく可能性があります。楽しみにして、つづけてください。リラックスしてやることです。深刻になることはないのです。

 リラックスしてと言いますが、もちろん、緊急で重大な問題の時は別です。その時は、一切を顧みないで、ダイナマイトのような祈りを断続的に訴求するのです。断続的というのは、大工さんが釘を打ち込むときのようにということです。

 厚さ1センチの木の板を五寸釘で貫こうとするとき、武蔵山のような人が手のひらで釘をウーンと押えこんでも、釘が板を突き抜けるかどうかは疑問です。ところが、その釘を女性の細腕でよい、金槌でトン、トンを叩き続ければ釘は板を突き抜けることでしょう。

 気合を入れて、つまり「えいッ、えいッ」と声を出して、祈りを断続的に叩き込むのです。ある瞬間、「ズバリと祈りが抜けたッ」という感触が来るものです。このあたりにコツとカンがあります。

 祈りの巧みさについては先輩のクリスチャン、牧師先生方がいろいろとお持ちのはずです。こうしたことは住み込みの内弟子が師匠から直接聞かねばならないようなことです。時には「盗んで来い」ということにもなりますが、とにかく文字には書けない、大げさに言えば、秘伝というよなことです。(ちなみにピリピ4:12の「秘訣」という言葉の原語は当時の異教で用いられた「秘伝」という意味をさしています)。

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 次は賢い知恵です。私の親しいある実業家は、若い時、農山村の部落に開墾やワイヤー運搬の機械類を売りに行った。まず部落を一望できる裏山に立って、じっと祈る。すると、一種の光芒を見せる家がある。その家を尋ねて売り込むと、後はその家の蔓で次々と家が紹介されて面白いように売れる。その蔓の元を捜す。これが霊的知恵を生む祈りです。

 この方は、「信仰と祈りが無くて事業や商売をする人は私には不思議に思えます。よほどの超人的な努力をするか、はたまた悪魔の知恵でも持っていなければ出来ないことです。そういう悪魔の知恵に頼っていては、いつかその人、その一家は滅亡しますよ」と、言っていました。

 「でもそんな能力は私にはありません。その方はよほど霊的素質に恵まれているのですよ、きっと」と言う人も多かろう。そうかも知れない、 それなら、次のことをあなたにお奨めする。前々号に書いた「異言の祈り」を実践してください。時々、あなたが抱えている問題をはっきり口に出し、言葉によって祈る。そして異言に切り替える、というより自然に異言になる筈です。

 熱心に、熱烈に、時間を無視して、祈りつづけてください。クリスチャンが異言で祈っている時、並行して心に湧いて来る思いや絵(幻)や言葉などに悪いものはありません。先に会話のところで書いたように深い領域からの知恵なのだと思ってください。この異言の祈りの継続があなたの霊性を深め、高め、清めるのです。 

 


 

1999/7/4

強い者に対しても、         
        弱い者に対しても       

 アーサー・ホーランドのお父さんはアメリカ軍人、お母さんは日本の寿司屋の娘、大阪西成区で育ちました。当然ハーフ、それなりの苦労があったと思うのですが、さしてトラブルはなかった様子です。生れつき元気のいい、陽気な人、いつもニコニコ、動作も声も大きい。今は有名なキリスト教伝道者、今度ナナハンのバイクで私どもの教会にきます。

 このアーサー・ホーランド、やっと少年期を越した頃、お父さんが、このままでは大変な子になると思ったのか、アーサーに千ドル持たせてアメリカにやりました。「一人で世間の味を知って来い」ということでしょう。

 ところが当時の千ドルは日本円で36万円、アーサーには大変な金です。アメリカに渡って、有頂天になって遊びまわり、アッという間に金は無くなっていました。聖書のなかにイエス様の放蕩息子の喩え話があります。遠い国に行ってぜいたくをして最後にビタ一文無くなって困る話、それそっくりでした。

 さいわい、日本のお母さんから送ってきたカップラーメンがありました。お湯をわかして、カップラーメンをひとり淋しく食べました、彼は初めてその時、「貧しさと淋しさを体験した」と言いますが、彼の苦労とはその程度です。

 生来、何事も苦にならず、なんでもやりとおせる人です。彼は好きなことばかりして、何かのスポーツで全米チャンピオンになったそうです。若いながらも成功の人だったわけです。そういう彼でも、やはり最後はイエス様のところに来ました。彼に伝道したのは一体、誰でしょうか。

              *

 田崎敏明先生は宮崎の出身、いま岩手県の一関というところで開拓伝道をしています。拡大宣教学院では講師として私と同僚の仲間です。

 この田崎先生は前記のアーサー・ホーランドと全く正反対、暗い暗い人だった(と自分で言う)。先生が歩くと、先生の回り半径3メートル以内がスゥーッと暗くなるほどだった(とも言ってます)。先生はたまらなくなったのでしょう。ある日の教会の礼拝で説教している時、思わず、突然、手を講壇に突き立てて叫んだそうです。

 「もっと明るくなりたぁーい」

 それは神様にたいするシュプレヒコールだったような気がする、と先生は言っていますが、私の言葉で言えば「告白」ですね。

 神様はその見栄も何もかもかなぐり捨てた祈りに答えてくれたのです。その一連の物語は、拡大宣教学院機関紙「マグニファイ」7月号をご覧ください。先生はたしかに明るくなって来ました。私といっしょに気軽にワッハッハと笑います。ハハハハハ。

 決して「笑わなくては救われない、明るい性格でなくてはクリスチャンじゃない」とか、そんなことはありません。淋しくても、じめじめした性格でも、そのような人をイエス様はそのままに受け入れ、愛してくれるのです。そのような暗い性質のまま受け入れくださるイエス様の愛の上に居座って信じ込む信仰もあるものです。かつての田崎先生がそうでした。このタイプの信仰を純粋に持ち続けてポカリとトンネルが抜けるように、抜ける深い信仰もあるものです。でもそういう人の信仰は周りの人には分かりにくいものです。

 ともあれ特に牧師や伝道者の場合、そういうタイプの方は一部の人たちにはともかく、一般にはあまりよくありません。でも、そういう過去を体験してきて乗り越えている場合は非常に有益です。田崎先生がよい例です。あれから以後、伝道と牧会がどんどん祝されているそうです。 常に愉快な人は、淋しい人の内面を理解することは不可能と言っていいほど、困難です。もっとも、その点、アーサー・ホーランドは不思議な人、弱い人の心をよく理解する人だと思います。

 イエス様もそうでした。

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 よく知られているイエス様の絵のお顔は、たいてい悲しそうです。たしかに、世の罪を嘆かれ、エルサレムの行く末をを憂えられたイエス様のお顔は涙でぬれておられたでしょう。そうです、主は悲しみの人で、病いを知っていました(イザヤ53・3参照)。でも、普段は随分、愉快で楽しそうにしておられたに違いないと私は思っています。

 福音書を読むと、イエスは反対者たちから「あれは大飯喰いの大酒飲みだ」と言われたとあります(マタイ11・19)。なるほど、イエス様はどうも宴会好きだったような感じがします。

 ヨハネの黙示録3・20で「あなたが戸をあけるなら、私はあなたの内にはいって食事を共にするであろう」とイエス様がおっしゃっておられる。その食事という言葉の原語は晩餐、正餐、また宴会と訳してもよい言葉です。

 私たちがイエス様を受け入れるなら、イエス様は私たちの家に入ってきてくださり、一緒に宴会を楽しんで大いに喰らい、大いに飲んでくださるのです。その時、私たちの家は笑いで満たされ、盛んな拍手と歓呼、楽器と歌と踊りが起こることでしょう。

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 さて、最後に書きたいことは、伝道はアーサー・ホーランドのような人に対しても、田崎先生のような人に対してもしなければならないということです。イエス様は「すべて重荷を負うて苦労している者は私のもとに来なさい「(マタイ11・28)と言われた。しかしながら、重荷を負うて苦労している者たちとは弱い人たちばかりのことではないのです。

 12人の弟子たちは、一人として弱々しい人はいない。ペテロは多分、直情果敢、アンデレは友情家、ヤコブ、ヨハネはイエス様のおっしゃるとおり雷の子、ほかの人たちだってそれぞれ熱心党であったり、収税所の所長さんであったり、そして隠れクリスチャンではあるが、金持ちのアリマタヤのヨセフであったり、国会議員のニコデモであったり、また後のパウロは教会に対する迫害で意気軒昂たるサウロでありました。

 「渇く者は私に来なさい」(ヨハネ7・37)と主は言われた。弱い者も聖霊さまに渇いているでしょうが、実は魂において強い者ほど、更に上なるものを望んで心が飢え渇いている、ということもあるのです。

 今の伝道者は(私を含めて)強い人に対する伝道が下手なのではないか。いや、伝道する気さえないのではないか。パウロは「ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を得たり」(ピリピ4・12参照)と言っているが、同じように「ありとあらゆる階層に伝道する秘訣を心得ていた」に違いないと思われる。自分は囚われの身でも、皇帝の家の者たちにも伝道しているほどだ。ルカはローマの高官を初めは「テオピロ閣下」と呼んでいるが、しまいには「テオピロよ」と呼び捨てである。

 身分や地位もしかり、人格識見においても共に立派、他宗教の信仰ではあるが、強い信仰、信念。家庭も健全、体も健康というような、伝道するスキのないような人がいても、そういう人たちを愛し、かつその魂を打ち変えるような信仰の言葉や力を蓄えて、私たちは出て行こう。 


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