キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)

2000年5月

HOME教会案内ニュース告白の力リンク】 

2000/5/28

神は全てのことを           
          相働かせて益とさせ給う
               

 今回はだらだらした文章になりますが、お許しください。

 この5月25日の祈祷会の冒頭で、1921年6月25日の神戸の川崎・三菱両造船の大ストライキのことを話しました。その時、これは日本における最初のストライキだったと言いましたが、間違っていました。でも、参加者が3万人の戦前最大のストライキだったことは確かです。その時のストライキの責任者であり、このデモ行進を指揮したのが賀川豊彦先生でした。もっとも、先頭を3人で手を組んで歩いていましてね、賀川先生は左の端をカンカン帽をかぶって行進している写真があります。

 当時、世界第一次大戦が終わり、ドイツではナチスが、イタリーではファッショが、ロシアではコミンテルンが結成されました。韓国では抗日独立運動で万歳(マンセイ)事件、日本国内は米騒動です。翌年1922年、シュペングラーの「西洋の没落」が出版されます。ついでに書けば、さかのぼって前年の1920年に賀川先生の自伝的小説「死線を越えて」が出版、たちまち大正期最大のベストセラーになります。

 またついでに書けば、1922年は私の生まれた年です。1月14日が私の誕生日、アルバート・シュバイツァーと同日です。嬉しいので書かねばおれない、ウフフフ……。

 さて冒頭の川崎・三菱両造船のストライキは警察に解散させられ、ストライキとしては失敗するのですが、これで賀川先生は単なる貧民窟の変わり者のボランティヤでもなく、急進的行動派であることが天下に知られ、「死線を越えて」はますます売れることになります。

          *

 実は以上のように書き出して賀川先生という人のことを調べているうちに、この方のことをもっと知りたいと思うようになりました。凄い人です。なんたって病み上がりの身で神戸の貧民窟に入って決死の愛の奉仕活動をした人です。 私の旧師手島先生はよく、賀川先生を親しげに自分の恩師のように語りました。しかし、お二人は実践面でも信仰の傾向でもかなり違います。でも、どこか似ています。熱情家であること、鋭い直感力、そして全方位の好奇心、特に科学に対するそれです。

 先日の祈祷会で最初に賀川先生のこのストライキのことを話したのですが、少々自信がなくて事実を調べていたら、前述のように間違った点がありました。もう一つ、デモ行進のとき賛美歌を歌ったと言いましたが、これも誤りでした。でも賀川先生が作詞した行進歌を歌ったらしいのです。まあ、そうしたことの結果、警察に拘留されるわけです。

 その時、先生は「留置場の中で、頭を両膝の中に入れて祈った」と、あるところに書いてありました。ちょっと、ガックリして打ちしおれている様に見えますが、実はそうではないのです。先生が住んでいる神戸新川の貧民窟の家に比べれば、ここはずっとましです。綺麗とは言えないにしても、ともかく居り心地もよい。落ち着いて祈れるのです。

 そこで早速、先生は工夫する。この工夫という言葉は先生の文章によく出て来る言葉です。先生の精神機能の特徴です。この好機(!)に瞑想しようという訳です。騒々しいストライキから離れて、周囲コンクリートのいわゆるブタ箱の中に入れられて、よい瞑想の場所ができたと、先生は感謝したことでしょう。

          *

 賀川先生の自伝めいた文章を読むと、先生はもともと幼いときから瞑想的な傾向があったように思います。ですから多少の工夫をすると、雑念がどんどん頭から出て行くらしい。その工夫を、先生は「聖無関心」と呼んでいますが、私はある時、その一文を読んで驚いたことがあります。山折哲雄氏が賀川先生はいわゆるクリスチャンのなかでも「例外者」だと言って、この聖無関心のことを紹介していました。

 要するに、留置場のような所で膝のなかに頭を突っ込む。そして脳裏から湧いてくる雑念をどんどん追い出す。するとしだいに無心になってしまう。そのなかで神様からの声を聞くと言うのです。

 禅に参席したわけでもなく、ヨガの道場に行ったのでもないのに、生得の賜物のように聖無関心を深めることができるのです。賀川先生の場合、この瞑想の度が進むにつれ、ある所までくると、「そこまで」というような目に見えない停止信号にぶち当たるのです。「ここからは近寄るな」という、その中心におられる方の意志らしい。その拒絶ラインの前で先生は安息するのです。これは世界の神秘的瞑想者たちの中で滅多に聞かれない特異なレポートです。

          *

 多くの神秘的瞑想者たちは、このあたりに達すると、天地一如の体験とか、神人合一の境地とか称する心境を語ってくれます。それも貴重な報告ですけれども、それに比べて、以上の先生の体験には、さらに高次なものを感じます。

 第一テモテ第1章16節を読みましょう。「神はただひとり不死を保ち、近づきがたい光の中に住み、人間の中でだれも見たことがなく、見ることもできない方である」(口語訳)

 このように唯一の聖なる神は、いかなる聖人も、いかなる神秘的瞑想者も、どのような天界の天使も、近づくことも見ることもできないという。それはまことの神にふさわしい、まさにそうあるべきだと思われます。

 サンダー・シングーは天界に上げられた時、そこに父なる神様の姿は見えなかった。そのことを天使に尋ねると、「霊界においても、天界においても、どこに行っても父なる神様は我々の目にはやはり見えないのです。そしてどこにいても、見えるのは主なるキリスト様です」、と答えてくれたそうです。事実、サンダー・シングが天界に居る時、どちらを向いても真正面にキリストの御顔が見えたそうです。

 さて、この神様こそ、ただ一つの方、この方が全宇宙を支配し、見守り、保持し、一切のシステムや秩序や関係のネットワークをちり一つ落さず作動させて、全宇宙をみ心のままに働かせ、栄光を現されるのではないでしょうか。ローマ人への手紙第8章28節にこうあります。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神はすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(新改訳)。

 このみ言葉の中に私は神様の絶対主権を見ます。(新改訳がいいのです。ほかの翻訳には問題があります)。神に寄り頼む者たちのために、神様の絶対支配力によって彼らに関わる一切のことが益に変えられます。しかし、神の召しを拒絶する者に対しては神の主権的配慮が空白化し、悪魔的偶然率が支配するのです。

 さあここに至って、私たちはこの神様をほめたたえるだけです。そして「残る生涯をあなたにささげます」と言いましょう。このほか、何を言えるでしょうか。

 賀川先生は「聖無関心」という先生特有の瞑想により、神の拒絶ラインに達したということでしたね、そこに私は神の侵しがたい絶対者の臨在を見るのです。神は万物の上に居られ、万物を貫き万物の中に居られ、又、万物の背後に隠れるお方です(エペソ4:6、箴言25:2等参照)。 万物は神のみ心のままに動きます(エレミヤ32:17参照) 。この神の絶対支配に委ねる時、人は絶対に平安です。(賀川先生のことは次号にもっと書きたいです)。

 

【私の想い出−1−】

私の父は母と結婚して8年、37歳、母は31歳になって、やっと私を生む。初産である。初産のこととて一同口に出しかねて心配したと父は書いている。お産は軽かったらしいが、入院していた大分県立病院の産婦人科科長さんから呼び出しがある。当時の科長さんは吉川先生。今の大分市の吉川産婦人科の院長先生のご尊父だろうと思う。さて、吉川先生が言う、「あなたのお子さんは今は元気そうに見えるが、実は血管鞏硬病、到底全快の見込みはありません、2、3日か1週間の命だと思います。もちろん病院は全力を尽くして治療します」▼父は驚愕して「奥さんには体に悪いから知らせるな」、という先生の忠告にもかかわらず、母にも知らせて共に祈ったという。「病児の顔を見れば、両親の顔も知らず、生も死もなく安らかそうに眠っている。アア、可愛いい只一人の我が子よ、汝は今、我らの手を離れて一息一息天国に近づきつつあるのか。私は天国の栄えも望みも信じている。しかし、死なせたくない、我が子として育てたい。私は泣かずには居られない」と日記にあります▼父は断食し、「おお主よ、ヤイロの娘を甦らせたまえる主よ、ラザロを墓より甦らせたまえる主よ」と徹夜に近い祈りを重ねます。20日に私の名を「義人」と名付け、信仰の友や親族の親しい人たちに私の病気のための援祷を願ったそうです。そして翌日の21日、病院より奇蹟的に癒されているとの知らせを受けます。父の感謝の祈祷が「光暗録」という父の遺稿集に残っています。 

2000/5/21

未信者のキリスト教式葬儀は可能であるか  

  一、キリスト教なんか信じてやるもんか

 私は少年時代、一時キリスト教が嫌いになったことがある、それどころか、キリスト教なんか信じてやるもんかと思ったものだ。私の両親は非常に真面目な熱心なクリスチャンであったが故に、私は特別に反抗的になっていたわけではない。

 初めは小学校の4年生のころだった。母に聞いた。「母ちゃん、仏教の坊さんは本当は魚や肉は食べないんだそうだね。実際は魚も肉も食べる坊さんは多いんだと聞いたけれど、本当の仏教は殺生をしないんだね。母ちゃん、クリスチャンは、魚や牛の肉を食べるね、なぜキリスト教では食べて良いの?」

 母は答えた。「聖書にあるんだよ、神様が人間に食べ物として動物や鳥や魚を造ってくださったのだよ」「それじゃあ、動物や鳥や魚なんて可哀想じゃない」「動物や鳥や魚など、みんな人間に食べられるために神様が造ったのよ。だから人間は万物の霊長と言うの」

「ふうーん」と私は黙りこんだのだが、実は私の心は、そんな神様なんか嫌いだと思った。母にそんな質問をして、抗議をしても、答えてもらえないことは分かっていたから……。

 ところで、それから10年ほどして、私は18、9になっていた。当時の私は軟派の映画少年である。島耕二が監督した「風の又三郎」が封切りされた頃だ。私は一本のドイツ映画をみた。昔はドイツ映画が優秀だった。スイスの湖で自殺した娘の葬儀をカトリックの若い神父が冷たく断わる場面があった。私は憤慨した。非情である。けっしてキリスト教なんか信じてやるもんかと思った。

 第一の「動物や鳥や魚などは人間に食べられるために神様が造ったのだ」というのは誤解であることが後で分かった。聖書を読むと、もともと神様は人間の食糧として穀物やくだものを指定して居られる。人間が肉などを食べて良いとされたのはノアの洪水が終わってからである。大洪水で食糧の生産がへった。神様はよんどころなく、人間に肉や魚を食べることを許されたのであろう。そのことは中学生のころ、暇つぶしに旧約聖書を読んでいるうちにわかった。

 しかし、それにしても神様が人類の始祖に向って「地を服従させよ。海の魚と空の鳥と地に動くものを治めよ」と言われる言葉がどうしても私には気がかりだった。神様は人間に過分な権威を与えているように思えた。

 後になって、これは翻訳が悪いのらしいと分かった。これは神様が人間に大地とその上にあるすべての生き物を管理せよ、世話をせよ、ということだと分かった。

 この誤解は動物などの生き物を下等視している西洋人の思想が、宣教師をとおしてうちの母ちゃんのような愚かなクリスチャンに間違った考えをもたらしているのだ、と私は考えた。当時の若かった私の考えは正しかったか、間違っていたか。

 問題は自殺した人の葬儀はしないという神父さんの答えであるが、今、カトリック教会に行って聞いたら、どう答えるだろうか。

  二、死人のために祈ってはならない?

 だいたい西洋の教会では「死人のために祈ってはならない」と言うようだ。特に信仰を持たずに死んだ故人に対しては厳しい。

 聖書にイエス様の言葉が残っている。「信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰な者は罪に定められる」(マルコ16:16)と。これは疑い得ない聖書の言葉である。

 ある聖会で、「生きているとき、イエス様の福音を聞いた事がないまま、非常に立派な人だったけれど救いを知らないで死んでしまった人、こういう人の救いはどうなるでしょう」と質問した人があった。

 その時の講師は韓国のチョー・ヨンギ先生であったが。先生はきっぱりと答えた。

「イエス様を信じなかった人は救われません。聖書にある通りです」。そう言って先ほどの聖書の言葉を引用された。「チョー先生はハッキリ言うなあ」と私は思ったことを覚えている。

 しかし、そういう人にも救われる可能性が無いことは無いのだ。こう言っているのは、雑誌「レムナント」の主筆久保有政師である。そのキイとなる聖句が聖書のなかに2か所だけあると思われる。一つは「こうして、彼(キリスト)は獄に捕われている霊どものところに 下って行き、宣べ伝えることをされた」(第一ペテロ3:19)。もう一つは「死人にさえ福音が宣べ伝えられたのは、彼らが肉においては人間としてさばきを受けるが、霊において神に従って生きるようになるためである」(第一ペテロ4:6)というみ言葉である。

 もっとも、この獄(陰府)にいる霊どもとはノアの洪水の時に箱船にはいらなかった頑な人々であるという但し書きが第一ペテロ3:20にあるので、反論もある。

 要するに、信仰を持たずに死んだ死人たちはイエス様の救いにあずかる可能性はあるかどうかの問題であるが、前記の久保先生はその可能性があるというのである。これは大きな論議を呼ぶに違いない。

  三、キリスト教式葬儀の可能性ありや

 今、日本でキリスト教式結婚式が盛んである。かつては「神様を信じない者が神様の前に誠実な結婚誓約するなんて可笑しいじゃないか。私は未信者の結婚式なんか認めない。僕はそんな結婚式の司式は引き受けない」と言う人は多かったと思う。今ごろ、そんなことを言う牧師は変わり者かもしれない。しかし、そういう時代遅れの変わり者がいたら、私はやはり尊敬したいと思う。とはいえ、私もまた、誠実に結婚式を望んでいるカップルの式は司式している。

 神学的に言って、未信者の結婚式を認める理由を述べることは、決して容易ではないと思う。このことしっかり神学的に扱わないで、時流に乗ってなんとなく未信者の結婚式を認めているのなら、大いに問題である。

 まして未信者だった人のためのキリスト教式葬儀をするのには問題が起こる。このことは可能であろうか。

 ところで私は昨年、その危険を犯した。信仰など考えもしなかったかしれないある青年の葬儀をいとなんだ。実は私も熱意をもって、この司式をした。大分県の田舎での出来事であったが、非常な関心と感動を生んで、多くのノン・クリスチャンが感激して葬儀社にまで感動の電話がはいったそうである。その証しをあるところでしたら、さっそく一人の宣教師の方から私の信仰をいぶかる質問があった。

 ところで最近、ある親しくしている牧師から、「私は積極的に未信者の葬儀を引き受けている」という証しを聞いた。その先生は言う。「葬儀の場ほど伝道の効果のある場所はありません。どの人も生死の問題を考えざるを得ない場所です。死んだ人が救われるか、どうか、それは私には分かりません。そんなことは後まわしにして、生きている目の前の会集に信仰を迫ることこそ緊急のことではないでしょうか。まさに伝道の好機なんですよ」、と言う。そして、

 「今、日本の社会ではキリスト教式結婚式は一般に受け入れられつつあるようですね。その傾向に上乗せしてキリスト教式葬儀の拡大をも図ってよいのではないでしょうか」と、言う。今、未信者のキリスト教式葬儀の神学的可能性を考えるべき時が来ていると思うのです。 

2000/5/14

    心の平和を見出だそう       

 あるカトリックの神父の方の本を読みました。その方は生前のマザー・テレサに一度会ったことがあるそうです。その時、この著者は多くの問題に悩んでいたので、彼女の前に座るとすぐ、そのすべての問題とその困難さについて、ながながと説明しました。彼が口をつぐむと、マザー・テレサは静かに彼を見つめてこう言ったのだそうです。

 「そうですね。もしあなたが日に一時間、あなたの主を礼拝する時間を過ごし、その上で自分の心に照らして間違ったことを行わなければ、それで大丈夫です」

 彼女がこう言ったとき、突然、彼の問題でいっぱいに膨れていた大きな風船が破裂し、自分をはるかに越えた真の癒しの言葉にふれたことを感じました。私はそのような言葉をまったく予期していませんでしが、その言葉を聞いたとき、その率直な、単純な言葉が、私の存在の中心を刺し貫いたのです。そして、私は残りの生涯をこの真理にかけて生きるべきだと信じました。

 同じ本の中でダライ・ラマさんが語った言葉について書いてあるのも読みました。このダライ・ラマ十四世はチベットで「生き仏」と呼ばれる人です。インドに亡命して久しいのですね。もちろん、決してクリスチャンではない。しかし、カトリックの神父さんがこの方のことを以下のように書いているのです。

 「ダライ・ラマほどの深い苦悩をなめた人はあまりいないでしょう。チベットの宗教的、政治的指導者として祖国を追われ、自国民に対する組織的な殺戮と拷問、さらに弾圧や追放を目の当たりにしてきました。それにもかかわらず、彼ほど平安と喜びに輝いている人をあまり見たことがありません。ダライ・ラマの寛容で人なつっこい笑顔には、祖国を荒らし、自国民を殺した中国人に対する憎しみや恨みのかけらも見えません。彼は、『彼らもまた幸せを求めて懸命な同じ人間であり、私たちの愛を受けるべき人々なのです』と語っています。

 あのような迫害に苦しめられた人が、怒りと復讐の思いに満たされないでいることがどうして可能なのでしょうか。その質問に答えて彼は、『祖国の人々の苦しみとその苦しみをもたらす人々を、私の瞑想する中でどのように心の底にまで招き入れるか』を説明しています。そして、『そこですべてが深い愛に変えられるのだ』と語りました。

 何という霊的なチャレンジでしょう。世界中の悩んでいる国民や民族の人々を、如何にして助けることができるだろうかと思い悩むとき、この世界の人々のすべての苦しみを私の魂の中心に引き入れて、その人々のために深く祈り思いやる愛の力に変えることができることを、ダライ・ラマは身をもって教えてくれているのです。」
(ヘンリ・ナーウエン著「いま、ここに生きる」参照)

              *

 ここで、マザー・テレサが礼拝と言い、ダライ・ラマが瞑想と言っていることを、それほど難しく考えなくてもよいと思うのです。決して、真の瞑想や礼拝がそれほどやさしいことだと私は言いません。

 しかし、初心者は言葉の威厳に気押されして瞑想や個人の礼拝を断念するのではなく、こうした先達者の言葉を聞いたら、すぐにそれに近いことをやってみるのは良いことだと思います。

 信仰の実修的なことは、これが善いと思ったらすぐに始めることです。その困難さは中には入ってみればみるほど分かりますが、又その良さも、その喜びも次第に分かってくるのです。

 私の最近教えられた、あるやさしい方法論的なことがあります。一体に私は具体的な方法論が好きです。ありていに言えば、ハウツウものです。私の書く小冊子「笑えば必ず幸福になる」とか、「だれでもできる心の強化法」など、みなそうです。その、

 私が最近教えられたことと言うのは、「すべての事について主をほめたたえよ」ということです。これはマーリン・キャロザース先生の「賛美の力」そっくりの思想です。つまり「賛美」とう言葉を「ほめたたえる」という言葉に変えただけなのですから。キャロザース先生の本の原文では「パワー・オブ・プレイズ」です。プレイズ! 「ほめたたえる」でも良いわけですね。私が新しがることも、誇ることも無いわけです。

 先に紹介したカトリックの神父さんのように、人生にはさまざまな問題があり困難があります。私も信者さんの家庭の問題や、家族の病気や、店の商売の資金ぐり、また人間関係、それから私自身の教会の運営、計画するイベントのこと、私自身の近所付き合いや家族の問題、そんなことは、それこそ風船のように、次々と大きくなります。そういう時、瞑想、あるいは1時間の礼拝を持つことは確かに善いことです。

 しかし、私も牧師とは言え、瞑想も個人礼拝もさして深いものを経験していないプロテスタントの牧師です。そうしたことは正直に言って下手なのです。しかし、ある日の祈りの中で示されました。「すべての事について主をほめたたえよ」、この単純な賛美が私にとっては、本当にすばらしい礼拝であり、瞑想となったのです。

              *

 実は前号で17歳の殺人、乗っ取り事件について、やや軽いタッチで、しかも少々斜めに構えて書いたのでしたが、あとで当事者の方々の声を新聞で読んで、当事者の皆さんが落ち着いてしっかりしていたことを知りました。特に12日の記者会見の記事で、当事者の運転手さんが涙を流して残念がっている真摯な姿を新聞で見て私も恥かしくなりました。前号で分かった風の私の傍観者的記事が恥ずかしくなってしまいました。あの事件をもっと愛と同情をもって受けとめて書くべきだったと反省したことです。

 かつて一度書きましたが、もうこれきり「弾劾記事は書くまい」と、深く思って決心したことです。明治・大正の内村先生ばりの政府攻撃、世情弾劾の文章は欝憤ばらしで書く人は気分はいい。しかしそれほど時代に対しても民衆に対しても、まして政府にやジャーナリズムに対しても影響を与えることはない。特にこの週報のような小さな媒体で、私のような小さな書き手では、ほとんど何の役にも立たないことは分かりきっています。俗にいう「ゴマメの歯ぎしり」です。

 そうではなく、ダライ・ラマさんや、マザー・テレサさんのように、ただ神様のまえにひざまずいて礼拝、瞑想し、すべての困った人たち、あの時のことで言えば、あの17歳の少年たちを私の愛の魂のなかに迎え入れて祈ろうと思いました。そのためには万事を神様の全知全能のご計画を信じ、「すべての事について主をほめたたえる」ほかはないと私は悟ったのです。

 私自身が私の心の真の平和を見出だし、それを維持し、その平和の心の中に多くの問題のある人々、ああした17歳少年たちのような人々を迎え入れて一緒に祈ろう。その時、私にとって、最もやさしく、最も強力な祈りは、この「すべての事について主をほめたたえる」ことだったのです。もう「弾劾することや批評」はやめます。ただ主をほめたたえることにします。この事は又、次の機会にくわしく書きたいです。 

2000/5/7

武士道精神をジャッキせよ     

 武士道精神をジャッキせよ、このジャッキという言葉は漢字を使いたいのだが、ジャクという文字が私のワープロにない。しかしジャッキと書いて自動車を持ち上げるジャッキを思い出してくだされば、偶然にも意味が通じる。ありがたい。いいセン行ってます。

 今年のゴールデン・ウイークのニュースはなんとも凄まじい。2人の17歳少年、我々老人は絶句せざるを得ない。高3の男、「人殺しの経験をしてみたい」と。こいつの脳ミソどうなっているのか。

 もう一方の男、高速バスを乗っ取り、6歳の少女を抱いて人質にする。大分の地元新聞、例の第一頁の横帯欄で書いたですね。「射殺すれば良いのに、日本には一年中百発百中の銃撃の練習をしている国家公務員もいるではないか」と。言いますねえ……。これを読んで胸をスカッとさせた人は多かろう。私は牧師ですから、そんなことは言えませんが。

 でも僕は言う、「どうして、こういう時に一喝して少年の気を抜くような人はいないのかねえ」。家人が「だめだめ、今の世の中にそんな豪傑がいますか」。「そんなら、一発、足でもけたぐって、みんなで押し寄せてぶっ倒せばいいのだ」、「それこそまだ無理ですよ。女子どもばかりですもの」、「そう言えば男は早く降りているな。けしからん。それなら、最近の婦人は口が達者だ。だれかやさしく口で言って聞かせる人はいなかったのか」、「それそれ、一人、女の方が殺されているでしょう。あの方の顔は何か一言、言って聞かせそうな、しっかりしたお顔でしたよ。多分何か話しかけようとして包丁で刺されたんじゃないかしら」。ついに私は家中の連中に言い負かされ、黙りこんでしまった。

              *

 そう言えば、先日熊本の郵便局の窓口だったか、ある男が一人の女性を抱えこんで人質にし、局員に金を要求した。ところが、その後ろに林業をいとなむ78歳のおじさんがいた(私と同じ年である)。そのおじさんが強盗をしようとしている男の腕をねじあげたのである。そこで局員たちがどっと出ていって、その悪漢を捕まえたという。胸がスカッとするではないか。このおじさんには表彰状をあげたくなった。

 私は詳しいことはもう忘れてしまったが、東京に行ったとき、繁華街の路上で我が侭なことをしているやくざ風な男に厳しく注意したことがある。晴海の見本市センター(?)で入場の列を無視しようとした連中がいたので、みんなの前でたしなめた。そうしてもう一度列を作り直させたことがある。「先生のひげがいかめしかったからでしょう」という人があるが、どう致しまして、その頃は商売をしていたので今のようなひげははやしていなかった。私は気の小さい男で滅多にそんなことはしない。それでも目に余るときは出来ることはする。それでも常識というものがあるから、銃を構えたギャングの前ではもっと自重するであろう。

 戦争中、満州事変のころであったろう。ある地点で日本人たちが襲われた。周辺には敵軍が散在している。日本軍の偵察隊がきて日本人を捜しているのだが、声をあげていいか悪いか、判断がむつかしい。危険でもある。そういう時に「日本人ここにあり」と立ち上がって叫んだ男性がいた。全員が救われた。こういう気合を武士道精神と言おう。

 「人を殺して見たい」だの、包丁を振りかざして女子どもをおどすような少年の例は論外とする。私が問題にしたいのは、そういう包丁のおどしの前で物を言えなくて、ちじこまってしまっている方なのである。こんなことを言っていても、この私だってイザと言う時、実際に勇気のある態度とれるか、正直言って心配である。人間は突然、臆病風に捕われることもある。そうしたことが実際に起こると、恥ずかしくも卑怯未練にふるまってしまうかも知れない。だが、少なくとも平素から危機に遭遇した場合、どうしたらよいか、それに対処する訓練はしておきたいのである。その自己訓練のことは後ほど書く。

              *

 その前に必要なことがある。それは心構えである。たとえば、あのバス乗っ取り事件のような渦中で、偶然私服の警官がいたとする。その人がたとえ事務系の人であったとしても「俺は警察官だ」という自覚を持っているだけで、彼の取る態度は違うと思う。「隙を見つけて必ず乗客を救ってやろう。きっとあいつを捕らえよう」と思うだろう。警官だったら、平素からそのくらいの心構えは持っているはずだ。

 その上に、先に述べたように、普段から少しでも自己訓練をしておくと良いのです。「へえ? どんな訓練ですか」と問う人もあろう。そう難しいことを求めるのでは無い。簡単なイメージ・トレイニングをするのである。たとえば剣道をする人だったら、ああしたテレビ報道を見ている時、「ああ、杖でもあったら、あいつの利き腕をたたいて包丁を落させ、捕まえてやるがなあ」などと想像しているでしょう。思わず、自然にイメージ・トレイニングをやっているわけです。ですから、テレビのドラマなど、いろんな事故や争いや事件の場面を見ている時、私が本当にこんな場面にぶっつかっているとしたら、私はどんな対処をしたら良いだろうかと、心に描いてみるのです。

 先ほど、警察官の例を話しましたが、昔の武士だったらどうだったでしょうか。先日、別府みらい信金の高松右門氏が新聞に寄稿していましたが。氏が15歳になった時、お母さんが羽織袴を着せて「昔なら侍の子は15歳で元服、今で言えば成人です。もう立派な大人として昔だったらちゃんと腰に刀をさします。しかし、それはつまらぬことに抜く刀ではありませんよ。正義のため、お殿様のため、責任を負って切腹するとか、そんなことのため刀を腰に差すのです。今は刀こそ持ちませんが。心にいつも、ちゃんと正義の刀を持っていなさい」。そんなことをおっしゃったらしい。残念ながら、その新聞記事をどうしたわけか、失ってしまって正確に書けないのです(高松さん、お許しください)。

 こうした自覚があったなら、今回の17歳少年のような馬鹿な真似はできないはずです。これが心構えの問題です。

 日清、日露の戦争のころは日本の軍隊は軍律がきびしく、その規律の良さは外国派遣将校や新聞記者の驚嘆するところでした。ところが大東亜戦争の際は、どうも日本兵隊さんの意識が低下していたように思います。たとえば、強姦は役得のように思っていた様子があり、略奪は現地調達と称して当然のことだと思っていたようです。「自分たちは日本の軍人として世界に恥ずかしくない行動をするのだ」、そういう心構えが無かったわけです。

 さて、私たち日本人クリスチャンは、過去の日本人が持っていた素晴らしい日本人の魂を、誇りをもって維持し、高め、深め、強め、広め、清め、更に悠然とした気風にまで成長させたいものです。その秘訣はキリストの霊を頂き、満たしていただくことにあります。「キリストの心構えを持て」(ピリピ2:5参照)と言うことです。その秘訣は聖書を学ぶことです。ただ読むのではない。心読、身読、霊読です。本当の日本人らしい日本人になろうではありませんか。ルターがドイツ人であり、リンカーンがアメリカ人であり、ロヨラのイグナチオ(フランシスコ・ザビエルの師)がスぺイン人であったように、キリストを目標として。 

 

 過去のメッセージIndex  今月のメッセージに戻る 

HOME教会案内ニュース告白の力リンク】