キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)

2003年1月

2003/1/26

(「日岡だより」第56号)

永井先生を送る   

 昨年1月、永井先生がこの教会に来られて、まるまる1年をちょっと過ぎました。いわゆる協力牧師として、ご面倒をみて下さった。奥様を離れて大変な犠牲でした。もちろん、先生はそうはおっしゃらないけれど……。東北に残られた奥様の英子先生にも併せて、心から感謝申し上げたいと思います。

 私の一番、感じ入っているのは、永井先生が私を重んじて下さって、講壇での説教をほとんど遠慮され、私を立てて下さったことです。信徒の皆さんは、折角長期滞在されて大分の教会を助けて下さるからには、毎週でも永井先生の説教を聞きたかっただろうと思うのですが、先生は私を大切にされて、そして説教以外のこまごまとしたことを、ご自分で背負ってくださったのです。

 特に前半期のころ、私を伴って病気などの事情で長期欠席されている兄姉らを訪問、家庭での聖餐式や礼拝を行ってくださった。しかも、その時の説教もいつも私でした。

 私はこれまで家庭を訪問しても、いわゆる文語訳聖書にある「安否を問う」という式の訪問であって、辞する時に、やっと祝福と神癒の祈りをしてさしあげる程度であった。

 それが、賛美歌や、説教、聖餐式までも、誰かが言った「出前礼拝」である。こんなことを私は殆どしたことがない。私は先生に勧められ、誘われて、やっとこうしたことを行うこと出来たわけで、ありがたい経験でした。

 私はもともとは信徒伝道者であり、しろうと伝道者です。時には「私はもぐり伝道者でありまして」と自己紹介して、顰蹙を買ったことがあります。事実、こうした教会の伝統や先輩の模範を知らずにいることが多かったのです。

 こうした面で、この一年、永井先生によって私もずいぶん教えられました。この一年の永井先生より最大の恩恵を受けたのは、まず私でした。先生は意図しなくても、牧師として私の足らないところを気づかせてくださり、また私を励まして下さったことは大きな恵みでした。私はどれほど感謝しても感謝したりません。

         *

 それはさておき、信徒の皆さんが永井先生から受けた印象はいかがだったでしょう。それは多分、先生の長期的企画と決断の早さ、信徒の諸兄姉にたいする行き届いた心配り、不自由な日常生活と思われるのに、食事や身の回りの整理など、見事なものでした。教会のそばにいる私たち牧師館の者のお世話がとどこおりがちな事情があって申し訳なかったのですが、先生はいささかもいとわれず、喜んで生活を楽しんでおられたことは、私にとり大きな教訓でした。

 先生の手作りの料理で舌づつみを打った人はかなり多かったと思います。料理など、てんで出来ない私には驚異でした。こういう面は牧師らしからぬ牧師だったかも知れません。

 昨年の前半、先生が主唱された「日曜日は教会へ」、このスローガンの印象は最も強かったと覚えています。当時、主日礼拝の出席も目に見えて増えてきたものです。信徒の転出などのこともあり、後半期、やや増加傾向にかげりがみえたのが残念でありましたが、この「日曜日は教会へ」の言葉は、そのまま、この教会のスピリットなって残るに違いありません。先生が残される大きな遺産になりましょう。

 たいへん印象に残ったイベントはしゅろの日曜日の入城式でした。これは先生の発想です。イエス様のエルサレム入城を模して、しゅろの葉をかざして、私も、先生も、皆さんがわっと、教会の玄関にはいってゆく、受難週第一日のしゅろの日曜日の簡単な式典ですが、楽しく元気な、ややどぎもを抜かれた企てでした。あの日の写真があるはず。

 次は11月2、3日に持たれた信徒修養会です。会場は私の本家の会社である大徳産業の別府保養所です。近くに区域組合の温泉があって無料ではいれる、なかなか居心地もよい別荘風の家であります。ここで開会説教は私、2回目と、3回目のメイン説教を先生にして頂く。

 この時の模様は本紙第48号(12月1日号)に書いておきました。毎週の講壇説教に立たれなかった永井先生も、この別府修養会では非常に印象深い、力強い説教をされたのです。

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 もともと、この集会を修養会と銘打ったのは、当初の私の予想では、霊的なレベルの高い集会はやや難しいだろう、だからともかく楽な気分で、温泉にでもつかって、楽しい集会にしよう。だから聖会とは称さないで、修養会としようと考えたのです。そして、大抵の教団の夏の集会など、よく修養会と称していたことを思い出したからです。(本当は修養会と聖会とどこが違うのか、私もよくは知りませんが)。

 さて、先生の第1回説教は「皆さんは燃えていません。燃えていません。もっと燃えましょう。」ということでした。

 「みなさんが燃えていないと、私もこの教会で教えたいことがあっても、何も教えられません。やりたいことも出来ません」といった塩梅でした。私は恐縮して聞いていましたが、信徒のメンバーも同様だっただろう思います。

 実を言うと、信徒諸兄姉にとっては昨年は、当初、稙田(わさだ)新規開拓伝道の覚悟でしたが、また期待してもいました。また精神的重荷でもありました。それが思いもかけず、先生の一声で急に計画は終息しました。これは、

 先生一流の思い切りのよい決断でした。「皆さんが燃えていなかったので、稙田開拓は早すぎると思ったからです」と、その理由をこの修養会で初めて明かされた。皆さんは、色んな意味で「フーッ」と息をついたことです。

 今年の正月。大分で合同新年聖会を開くはずだったのに、急に宮崎に変更されたのも、この先生の思い切りの良さからきたのです。こういう時、先生の決断は、「あっ」と驚くほど早いのですね。

 さて、次の第2回の説教は「出て行って福音を宣べ伝えよ」です。この時の先生の気迫は大したもので、「惰夫をして燃え上がらせる」力がありました。説教がおわると、私も思わず前に飛び出して、席についている皆さんに呼びかけ、献身と決断の祈りをうながしました。

 「大きく声をあげて祈りましょう。私を励まし、私を押し出して下さる神様、聖霊様、私を取上げ、満たし、ご用にあてて下さいと祈りましょう」と迫ったことです。

 一同、大いに祈りました。異言の声も大きく上がりました。総員、「ハレルヤ、ハレルヤ」と激しく声をあげて、保養所の家をゆるがしたのです。まったく聖霊に酔わされ、「聖会」になっていました。

 こうして、先生の訴えにたいして、私たちは真剣に応答の祈りをささげました。しかし問題は、その後に続くべき、行動的応答がまだ発見されません。永井先生もご不満かもしれません。

 しかし、火はつけられました。先生が期待する大分教会の爆発的拡大と強化と前進は今からでしょうか。できるだけ近い将来に、私どもは必ず信仰と伝道と聖霊充満の教会へと変革して、先生の恩に報いたいと願っています。

 先生、主にあってハレルヤ! 感謝!(く)  

 

2003/1/19

(「日岡だより」第55号)

教会に家族を増やそう   

 昨年の暮れ、平成14年を象徴する漢字として「帰」の一字が選ばれていました。東大寺の管長さんでしたか、「帰」という大きな文字を大きな筆で書いていましたね。

 年が明けると、1月13日の新聞に、「今年のキイワードは『家族』になりそうだ」と学習院大学の藤竹先生という教授が書いていました。その前にすでに産経新聞の社会部長さんが「今年は『家族』がキイワードになるに違いない」と言っていたそうです。

 朝日新聞では「おふくろ」という連載ものを始めたそうですし、毎日新聞では「夫婦」という連載だそうです。いずれも「家族」が焦点です。「家族」が今年の国民意識の中核になりそうだと新聞屋さんは踏んでいるのです。

 又、この1月17日は阪神大震災の8年目、各新聞とも大きい紙面を使っていました。特に家族の人々が、あの震災で亡くなった肉親を偲んで合掌している姿など、涙を誘います。ここにも「家族」の姿があるのです。

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 今回、茨木キリスト福音教会教師の米川明彦先生が出版した「新約聖書のキイワード」は良い本です。ぜひお読みになってください。

 もう10年以上になりましょうか。米川先生がこの教会にいらっしゃったことがあります。先生は梅花女子大学の助教授、若くして博士号を獲得されました。専門は国語学専攻ですが、範囲をせばめれば、何が専攻だと言えますかと質問したら、先生は「ヴォキャブラリィです」と答えました。私は思わず「えっ?」と聞きなおすと、「つまり、語彙です」。「なんで、ヴォキャブラリィですか」と再質問しますと、

 「一つのキイワードの周辺語をしらべ、類語を集めるんです」と答えられる。こうした研究の成果の一つが聖書の語彙しらべの結果の「新約聖書のキイワード」だったのですね。

 類語についての話題ですが、最近「類語大辞典」(講談社)という辞典が出たそうです。ある人がその「類語大辞典」を調べみたそうです。すると、「死」に関する類語が89もあったそうです。いかに、日本人の「死」に関する関心が深いかを現わしていると、その人は言います。

 日本人が魚のぶりを出世魚と言いますが、成長につれて名前が変わるからです。ヨーロッパ人は牛について牡牛、雌牛、子牛、みな名前が変わって英語習いたての頃の中学生を悩ませますが、そのように民族による関心度に差があるのですね。

 新約聖書の「愛」という言葉が4つあります。有名なのはアガペー、これは神様が罪人を愛する愛です。友人の間の愛がフィリア、肉親の愛がストルゲー、性的な愛がエロースです。愛と簡単に表現しても、聖書では厳密です。

 日本人は霊魂と言って、霊と魂は区別しませんが、聖書では霊と魂を厳密に区別します。

 ところで、「家族」という言葉の類語だったら、あなたは何を選びますか。そこにあなたの家族観が伺えるはずです。

 先にあげました「おふくろ」、「夫婦」のほか、たとえば「おやじ」、「兄弟」、「遺伝子」など、また「団欒」や「ふるさと」、ついには「兄弟喧嘩」などと出てくるでしょうか。

 みんなで集って類語を出し合うと、思いがけない懐かしい類語が現われるかと思います。

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 イエス様が語られた放蕩息子の物語りでは、出来の悪い弟のほうの放蕩息子は父の家を離れて遠くに国に行ってしまいます。家にいた兄も実は心は父を離れているのです。やがて、弟は心を入れ替えて家に帰って来ました。

 イエス様は語られませんでしたが、兄のほうも一時はふくれっ面していましたが、やがて父と心の底から和解して、家族そろって一家団欒のハッピーエンドの日を迎えるのではないでしょうか。

 この放蕩息子の物語の中で、イエス様がお母さんを登場させなかったのは、不思議です。何か訳がありそうです。母のいない家庭は暗くなります。母のいない家族は四散しやすい。誰か、母に代わる人が必要です。

 顧みて、教会はどうでしょうか。教会は霊的な家族です。教会に分裂が起こったり、弟は出て行き、兄は律法的に忠実さを装っているが、その実、心は牧師も教会をも離れている。そういうことが起こりかねないのです。

 そのような教会に、必要なものは教会の母なる聖霊様です。昔は教会では、そして神学校でも、学者も牧師も信徒も一様に「聖霊」と呼び捨てにしました。しかし、カリスマ運動が起こってから、聖霊は「聖霊様」と呼ばれるようになりました。

 聖霊様は、教会の中で母のような存在です。ですから、聖霊を母のように慕わしく思っている人たちには、「聖霊様」という呼びかたは少しも異様ではありませんでした。
 カリスマ運動を受け入れた教会は皆、この聖霊様という呼称をすぐ受け入れたものです。

         *

 ところで、実は教会を形成する信徒がそれぞれ自分の家族ごとにまとまって、生きた細胞群となって、教会に参加する時、教会はすばらしい生き生きした組織になると私は信じています。これが今日の私の願いです。

 教会が家族による有機的集団になるなら、家族を構成するメンバー各自は、それぞれ自らの家族の有効な一員である自信と経験をもって、さらに自分たちの教会の強固な構成員になれる。教会は、更に健康で有機的な、目的的行動的、戦える教会に再構築されるのです。

 コンクリートのことを考えてください。コンクリートはセメントと砂と砂利を水で混ぜあわせて固めたものです。だいたい砂が2、砂利は3の割合です。砂利は用途に応じて2、3センチくらいの大きさから、ダムなどでは七センチくらいのものを使います。

 教会にたとえれば、学生や青年、個人、個人は砂に喩えたら良いでしょう。砂はひとりひとり寄り集まってセメントと水にまみれながら、狭い隅っこまではいり込んで来て奉仕します。微小な者として謙虚に働きます。

 結束した信徒の家族は砂利に似ています。それぞれ、3センチや5センチ、7センチの小石ですが、それらが小粒の砂の間に混じって小粒の砂の群れと共に大きなかたまりを作ります。

こうして、セメントと砂と水が一緒になって、堅い強固なコンクリートを形成するのです。

 セメントとは何か。水とは何か。鉄筋とは何か。教会像に照らし合わせてみて考えてみてください。

 さてコンクリートの中に鉄筋を入れると、さらに強固な鉄筋コンクリートになります。自重が重くて扱いにくい難点はありますが、これがダム造成には最大の利点です。このような巨大なコンクリートは壊しにくいので、ビルなどでは都市再開発には邪魔になって困っていましたが、最近は破壊用機械が大型化して楽になり、スクラップ・アンド・ビルドが割合に簡単になりました。成長的スクラップ・アンド・ビルドされる教会でありたい。

 家族の多い教会はコンクリートのように強靱です。教会にもっと家族をふやしたいのです。家族の信徒の多い教会は健康な教会です。健康な教会が集まると、教会は国を変えることさえできるでしょう。(2003.1.16.祈祷会にて)

 

2003/1/12

(「日岡だより」第54号)

主はあなたを見つめ給う     

 「にらめっこ」という子どもの遊びが昔ありました。今の子どもたちもこの遊びをするでしょうか。「にらめっこしましょ」という童謡もありましたが、たぶん昭和初年に作られた歌だと思います。昔からあるわらべ歌をそのまま五線譜の乗せたような、なじみやすいメロディーでしたね。

 この遊びはご存じのように2人で目をむいてにらみ合い、先に目をそらしたほうが負けです。気の弱い方が負けるのが普通です。気の弱い子でも意地をはってムキになってにらんでいると、時にはふだん気の強い子でも先に泣き出してしまうことがあります。

 大人になって、じっと見つめられると、なんだかこちらが見すかされそうで、つい目をそらしますね。またそういう人の顔をいつまでもじっと見つめる癖の人は「失礼な奴だ」と言って嫌がられますよね。

 ところで赤ちゃんです。デパートのエレベーターなどでお母さんに抱かれている赤ちゃんと真正面になることがあります、すると赤ちゃんはいつまでもじっと私のほうを見たまま目を離しません。目が合った大人の私のほうが恐縮するくらいです。

 赤ちゃんは人の顔を見るのが好きなようです。学者に言わせると、人間はもともと人の顔を見、人の目を見るのが好きであるように造られているのだと言います。赤ちゃんは純心ですから、人に見すかされる怖さを感じないのですね。

 イギリスの学者が実験していますが、お母さんがそれまでじっと見ていた赤ちゃんから目を離すと、赤ちゃんは泣き出すそうです。

 又、赤ちゃんの動きにお母さんが的確に応答しないと、今度は赤ちゃんのほうが目をそらしたり、また泣き出したりするそうです。

 要するに、赤ちゃんに目をとめて笑いかけたり、話しかけたりすることが大切だと、その学者は言っています。

         *

 「にらむ」という目つきは、目の周辺の筋肉に威嚇するみたいな感じが現われて、良い目の格好ではないでしょうね。それにくらべて、やさしい愛のこもった見つめる目の動きは人の心をなごませます。

 新約聖書には「目をとめる」という言葉が11箇所ほどあります。イエス様が初めてペテロに会った時がそうです。イエス様はペテロに目をとめて、「あなたはヨナの子シモンだね。しかし、これからはペテロと名乗りなさい」と言われたとあります。

 シモンは弱々しい葦をさす言葉で、ペテロは堅い岩をさす言葉だと言われています。イエス様はこうしてペテロの気質を造り変えようとされたのだと聖書学者は言います。

 しかし、ペテロはその後も急には、それほどしっかりした性格の強い人にはなりませんでした。ペテロが雄々しい人に変わるのは、イエス様の聖霊を受けて以後のことです。

 イエス様が大祭司カヤパの官邸で審問を受ける時、背後で焚火にあたりながら裁きの経過を見ていたペテロを一人の女中が見て言います。「やっ、あんたはあのイエスの仲間だ」、思わず、ペテロは「とんでもない。俺はイエスなんぞ知らねえよ」と言ったものです。そんなことが3度おこりました。

 その前夜、ペテロはイエス様にむかって「どんなことがあっても先生を裏切るようなことはしません。命をかけてもそんな卑怯な真似はしません」と見えを切っていました。その時、

 「そうかい」、イエス様はペテロに言われました。「にわとりが鳴くまえに、お前は私を知らないと3度言うだろう」と。

 そのとおりのことが起こったのです。どこからか、にわとりの鳴く声が聞こえました。その時、大祭司の審問の座に立っていたイエス様がペテロを振り返ったのです。

 ペテロはその時、カヤパの官邸から外に出て、激しく泣いたと聖書にあります。ペテロの気持ちは私たちにも分かり過ぎるほど分かります。人間はたしかに弱い葦です。あれほど、「私は死んでも先生を捨てません」と誓った男が女中風情の一言で、堅かった筈の心も一瞬に壊れ去ってしまうのです。

 その時のイエス様の目、その瞳を誰でも想像できるでしょう。けっして「なんだ、こいつ。あんなに誓っておきながら、今、そのざまはなんだい」とか、「情けない奴だなあ。私はもう、お前のことなんぞ知らないよ」、そんなことはおっしゃらないでしょう。

 イエス様は愛と哀れみの涙にうるおう眼をペテロにむけていたことでしょう。そのイエス様の瞳にペテロの胸は砕かれます。そして彼は外に出て激しく泣きました。

         *

 あのイエス様とペテロの目が合った時、つまりにわとりが鳴いた時、ペテロもハッとしました、そして思わずイエス様のほうを見ました。イエス様も振り返りました。目はパッタリ合ったのです。いわばにらめっこですが、ペテロの心は恥ずかしさ、申し訳なさ、気落ち、死にたいほどの自己嫌悪に身悶えしたことでしょう、しかし先ほど見たイエス様の瞳が彼に語りかけるのです。

「ペテロよ、くじけるなよ。私にはお前の私を思う一図の気持ちもよく分かる。お前の落胆ぶりもよく分かる。私はお前の弱さを責めない。お前の私を絶対捨てないと言った時の心を覚えている。大丈夫だ。今後、必ずお前は強くなり、私のよい弟子になる。ペテロ、私はお前を愛している。お前の失態は私にとりなんでもない。私はお前を赦す」。

         *

 今、なんらかの失敗、不運、人生の苦難、恥辱、絶望、無気力で悩んでいる人たちよ、あなたは目をイエス様に向けなさい。イエス様とにらめっこしましょう。

「イエス様、私はもう駄目です。私は立ち上がれません」。

 そう言っているあなたに、イエス様は目を向けます。イエス様の目を見つめて、目を逸らさないで、イエス様の声を聞いてください。

「私はお前を捨てない。お前を忘れない。私はお前を救う」。

 そう言って、イエス様はあなたを見つめます。絶対目を離さないイエス様、この方をあなたも見つめましょう。愛のにらめっこです。

「あなたは私の目には高価で尊い存在である」と主は言われます。(く) (2003年1月9日の「テレホン聖書」より)


【あとがき】

 先週の週報のお知らせに書きましたが、新年リバイバル聖会in宮崎は盛会でした。講師陣がバラエティに富んでいて、すばらしいメッセージ続きでした(開会説教の私はともかくとして)。会場になったハーベスト・チャーチは昨年に会堂を新築献堂したばかり。デザインもすぐれ、建築材料の良質の木材を白木の木材と相俟って、日本人には非常に安息を感じさせます。▼さて、この教会は高木牧師先生の伝道熱心さを反映してネオンの尖塔十字架や大胆な看板が人目を牽きます。また信徒諸兄姉の年齢的なバランスの良さ、つまり老若男女、幼児に至るまで程よく折り合っています。教会学校にも30名ほどの子どもたちが集まるそうです。我が教会を顧みて内心羨望に耐えなかったです。▼そこで、私も来年度(4月から)の年度目標に「オイコス(家族)伝道」を加えたいと思ったことです。来年度は家族の救いの祈りを徹底したいと思います。(く)

 

2003/1/5

(「日岡だより」第53号)

50%の力を100%使おう   

 この教会では、例年12月31日の深夜、越年祈祷会を開きます。だから、見ない人はないであろうNHKの「紅白歌合戦」を、私は見たことがない。毎年、大晦日の真夜中はこの祈祷会ですから。そこで「真夜中」ということを考えさせられました。

 エジプトからヘブル人たちが解放されるのは、いわゆる過越の夜、真夜中です。使徒行伝にある天使の助けによりヘロデの牢獄からペテロが脱出するのも、どうも真夜中らしい。パウロとシラスがピリピの牢獄から大地震によって解放されるのも、真夜中です。

 昨年は「北鮮からの帰還」が世論をわかせましたが、人類がサタンの牢獄からキリストによって解放される、これこそキリスト信仰の中心です。イエス様の十字架による贖いにより、悪魔の拉致から奪還されるということです。人生において、どんな深刻・悲惨な真夜中の体験をしようとも、その真夜中の牢獄から奪い返してくれるのは神様の知恵とイエス様の愛と聖霊様の力であります。

 私も現実に戦争中の福岡の刑務所の中で、刑務所の苦労どころではない、もっとひどい霊的な真夜中体験をしました。そのどん底で、イエス様のみ言葉を聞いて救われたのです。

 ともあれ、あのピリピの牢獄の中で、真夜中、パウロとシラスは悲鳴もあげず、不平も言わず、賛美しました。その平安と喜びに満ちて声高く歌う賛美の声が地下牢(近代の発掘作業によるとどうも地下牢だったらしいです)に響き渡ったのです。そのどん底で全力を尽くして歌う賛美歌が大地震を誘発したのでしょうか。いいえ、神様が彼らの賛美に答えて下さったのです。

 さて、今、日本の経済はデフレとか言って不景気風におびえています。親が子を殺し、子が親を殺すというような道徳的デフレ現象にどうなることかと、日本人お互いに呆然としている感じです。

 こういう時、真に日本を救うものは、小泉首相でも竹中大臣でも、経済界の巨頭でもない。私たちクリスチャンである、これは誇大妄想狂の言葉でしょうか。いいえ、それだけの力はクリスチャンにあるはずです。その使命と能力が私たちにあることを自己発見しようではありませんか。

 あなたの家庭で、近所付合で、職場で、通勤電車の中で、銭湯で、あらゆる所で気軽に人々と付合ましょう。福音を語りましょう。

 だからと言って、町内会の神社の寄付などは堂々と断ってよいのです。私の母など、あの戦争中、皇国思想一辺倒の時代でも伊勢神宮のお札を平気で断りました。

        *

 今日の礼拝のメッセージ・タイトルを「新年は新しいチャンス」としました。なにも、深い思想を語るわけではありません。「さあ、今年も神様の恵みと力の付与を信じて、全力を尽くして神様のわざに励みましょう」と言うことです。

 コリント人への第一の手紙15:58にあります。「いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることないと、あなたがたは知っているからである」と。

 アメリカに渡ってメジャーで活躍しているイチロー選手のことですが、私は野球はよく分かりません。しかし、彼の名セリフには感心します。いわゆるイチロー語録です。一昨年だったか、「僕は50%しか力が無い時、その力を100%使うことは知っています」と言っていました。こういう言葉にアメリカ人は神秘的なものを感じるらしい。

 さて、エジソンが言ったという有名な言葉があります。エジソンが成功の秘訣を問われた時、次のように答えました。「成功とは1%のインスピレイションと100%の汗である」と。

 汗という言葉に努力や真剣さや忍耐と継続心を思い浮かべる人は多いと思います。もちろん、それらは含まれています。でも、エジソンは実は「汗」の意味を聞かれた時、「熱狂的精神」と答えたそうです。

 先のイチロー選手ではありませんが、力は50%しかない日であっても、その50%の力をフルに発揮することは出来る。そういうタイプの人はどんな時にも万事を成功的に遂げるのです。

 こういう人を、私は「一筋縄では行かない人」と称します。「これができなければ、あれをする」という人です。エジソンが白色電灯を発明した時、電気で発光するフィラメントの材料を千近くも捜して、やっと日本の竹が良いことを発見したことは有名です。ある人が聞きました。

 「あなたはフィラメントの材料捜しを千べんも失敗したそうですね」。この問いに「いいえ」、とエジソンは答えました。「不都合な材料を発見するのに千べんも成功したということです」。つまり「これがだめなら、あれをテストしてみよう」です。ここに、フィラメントの材料を捜すエジソンの「熱狂的精神」があります。

 神様が人類を救うために「熱心」でした。英語の熱心(エンシュージアズム)という言葉は、「神の中に…」という言葉だそうです。神の「熱狂的精神」です。「主の熱心が、これをなされる」という言葉は旧約聖書のイザヤ書にしばしば出て来ます。神様は全能力をお持ちですが、その全能の力を用いて人類を救う為に神様は更に熱心になるのです。「これができなければ、あれをする」と、時には試練を与え、時には褒美を与える、神様! 一筋縄には行きません。

        *

 日曜日の朝、電話がかかってくることがあります。「牧師先生、今日は礼拝に出られません」。私が聞くまでもなく、欠席の理由も言ってくれるのが普通です。「今日は会社の慰安会で、断りにくいのです」といった塩梅です。

「分かりました。行ってらっしゃい」、こう答えるのが、だいたい、いつものケースです。けっして、「いいですよ、どうぞ行ってらっしゃい。」と機嫌よく答えることは少ないですね。しかし、人によっては、そうします。時には「そりゃあ、いいことだね。ゆっくり行ってらっしゃい」などと、答えることもあります。牧師の答えの一筋縄の行かないところです。

 時にはそれが、ご主人との大事なスケジュールであっても、ある姉妹のごときはそのスケジュールを断って教会の聖会に出席しなさいと強要したことすらありました。ご主人がまだ信仰を持っていない時ですから大変です。非常識で危険なことは分かりきっています。いつもそんな無茶なことはしませんよ。ともあれ、その後、ご主人は私を非常に信頼して、よい信者さんになってくれました。

 こういう事は単なる人間の知恵ではありません。私も「乱暴だなあ」と、心配しつつ無理を言っているのです。こんな時に公式はない。一筋縄では行きません。私としても非常識な危な橋を渡ったわけですが、その時こそチャンスだったのです。

 もちろん、チャンスとはいつもそんな、危ない時だけではありません。昔の道は舗装してなくて、どこにもよく小石が転がっていました。そのように、チャンスはどこにも転がっています。毎日がチャンスです。

 チャンスとは「選択」ということです。神様はイスラエルの民に、「見よ、私はあなた方の前に二つの道を置く」と言われました。命の道と死の道、祝福と呪いの道です(申命記30:19参照)。

 小さいチャンスを見落とさず、良い選択をしましょう。たとえ些細な事でも、力が50%しか出ない時でも、50%の力を100%やりつくして、今年も毎日のチャンスを活かしましょう。

 あなたの上に、この年の豊かなご祝福がありますよう祈ります。(く)

 

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