キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報とともに毎週発行する「日岡だより」)

2004年4月

2004/4/25

(「日岡だより」第121号)

キリストのご受難について   

 先々号で、映画「パッション」のことを書きました。近く、大分でも上映されるようです。聞くところによると、イエス様の鞭打ちから十字架にいたるご受難のシーンが、余りにリアルに描かれていて、目をそむけるほどだということでした。

 私は、まだ見ていないので、論評も出来ませんが、上映が始まりしだい、観覧に行くつもりです。観覧とか見に行くとかいう言葉が不遜に思えて、気になるのですが、ぜひ拝見したいと思っています。

 しかし、なんと言っても聖書そのものではありません。それほど神聖視して見ることも問題がありそうです。実はイエス様のご受難の場面のイメージについて、どのように描かれているか知りませんが、私は多少の疑問を持っています。目を覆いたくなるほどの残酷なシーンと聞くと気になるのです。私は一般に信じられているご受難のご様子に、やや疑問があるのです。

 イエス様のお受けになった十字架刑が、当時のローマ帝国の刑法どおりのものであったとすれば、随分ひどい仕打ちであったことは確かです。日本の佐倉宗五郎ではありませんが、囚人を十字架につけて、刑吏が槍で一思いに突き殺してしまう、そんなものではないのです。横たえた十字架上に囚人を乗せて抑えつけ、そして両手の手首のところに鍛冶場で鍛え上げた太い鉄釘を打ち込む、そして足のほうも、重ね合わせて足首の骨の真中に重い釘を打ち込む。それだけでも囚人は痛みに耐えかねて身悶えするのは、誰でも想像出来ます。

 こうして十字架につけた上で、その十字架をドシンと立て上げると、囚人の体はドサリと揺れて鉄釘にぶら下がる格好になる。お尻の下に支え木があって体が落ち込まないようにしてあったという説もありますが、ともかく世界の歴史にも類のない残酷無比な死刑のやり方なのです。

 ですから、囚人は心臓を槍で突き刺されて一気に殺される、そんなものではない。半死半生のまま2、3日は十字架上に吊るされ、日光にさらされ、最後には気が狂って死ぬのだと、文献にもあるそうで、身の毛がよだつような死刑方法です。

 ところが、聖書を読むと案外です。ルカの福音書を読むと、一緒に十字架につけられた両方の囚人は、イエス様に暴言をはいたり、それをもう一方の男がたしなめたりしています。

 イエス様が十字架につけられたのは朝の9時ごろ、そして午後3時には大きな声で叫んで息を引き取られたと聖書にあります。あまりにその時間が早かったのでピラトは不審に思ったとも聖書にあります(マルコ15:25〜44参照)。

 イエス様の死因は心臓破裂です。死なれたイエス様の体の脇を兵士が槍で突き刺すと血と水が流れ出たとあります(ヨハネ19:34参照)。血液が胸腔にたまって赤血球と血漿に分離していたのでありましょう。心臓破裂は英語では失恋をさす言葉ですが、イエス様は失恋どころではない、人類の罪のゆえに心臓が破裂したのです。

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 さて、私は深い興味をここで抱きます。先に書きました十字架上の両方に掛けられた囚人ですが、一人はイエス様に対して悪口を吐きました。よくも極刑の十字架の上で、そんな態度が取れたものです。よほど猛々しき強力な男でしょうか。それにしても、もう一人の男は、暴言をはいた男をたしなめた上でイエス様に「主よ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」と、なんとも平穏な言葉を吐いたものです。非常に不思議です、

 私はここで、イエス様の周辺に異常な平安があったのだと信じるのです。そこには死刑場の血生臭い雰囲気はひとかけらも無い。そして前者の囚人のほうは死んで行くのに文献どおり3日間もかかったとしても、このイエス様に懇願したほうの男はイエス様と同じ日に死んだのではないでしょうか。

 イエス様が「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」と、おっしゃったように、その日にイエス様と共に、まだ陰府にあったパラダイス(慰めの場所)に行ったのではないでしょうか。(パラダイスは後にイエス様と一緒に天に上げられます。火炎の場所は地獄の様相で地下の低い所に残されることになります。ルカ16:22〜25、エペソ4:8〜10をご参照ください)。

 その時、真正面から事の次第を見ていた百卒長は、「まことに、この人は神の子であった」と言いました。これは重大な発言です。とても残虐な刑死の様子を見ていた人の言葉とは思えません。

 私はこれ以上言葉を費やすことを控えますが、イエス様の死のご様子は、それほど見るに耐えないほど残酷なものではなかったと想像するのです。イエス様は真の人間であられました。ですから人間らしく疲れもし、飢えもし、痛さという感覚も持っておられました。しかし、また真の神として、それらを制圧し超越する力も持っておられたと、私は信じるのです。

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 イエス様が「肉において生きておられた時、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のある方に祈りと願いをささげ」られたと聖書にありますが(ヘブル五・七)、それは単に肉体でお受けになる鞭や十字架の傷のことだけではなかったと私は考えています。イエス様のお感じになる痛みとはもっと霊的なことでした。それは、父なる神から捨てられ、神との関係が断たれたという感覚です。

 神の独り子なるイエス様が、十字架上で「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と叫ばれたのは、単なる詩篇22篇冒頭の一句の朗誦ではない。そういう解釈もあろうかと思いますが。

 私はこれは、本当にイエス様が父なる神から捨てられたという、悶絶的叫びであったと信じます。私はこれをよく「宇宙を杯にしても飲み干すことの出来ない大悲劇」と称しますが、これがイエス様が受けられた人類の罪を身代わりに受けて、神からの罰に服したということなのです。

 私は前号で「サタンは十字架上でイエス様を撃ち取った」などと、やや不穏当な文章を書きました。しかし、実はあの十字架の主訴者は神であったのです。かつてヨブを撃ったのはサタンであったが、その主訴者は神であったのと同様です。十字架という呪いの木にイエス様を追いやり、断罪して陰府にまで追い込んだのは、ほかならぬ父なる神様でありました。

 イエス様が私たちの罪を身代わりに負いなされたということは、単なる見てくれの芝居ではない。天地も悶え苦しむような宇宙的苦悶であります。事ほど左様に深刻な真相を、私はイエス様の十字架の死に伺うのです。<く>

 

イラク人質問題その後   

 あの「邦人3人拘束」のニュースを私が知ったのは4月8日の夕刻だったが、翌朝にはさっそく「自衛隊撤退の申入れを総理大臣や関連政府機関に訴えよう」というメッセージが某所から届いたものです。手早い人がいるものだと感心した。

 しかし、私はイラク人の恐喝に屈して、日本政府が自衛隊撤退に応じるのは賛成できなかった。一国の政府として、それは余りに軽率である。しかし又、拘束された3人の安全保証については政府に幅広い対策を取って貰いたかった。たぶん「身の代金」などがいるであろう、と思ったからである。

 翌朝の新聞でびっくりしたのは産経新聞の論調。この「人質3人」の独りよがり、身のほど知らず、非常識に対する非難です。私は、この3人を偉いなあと思っていた。特に高遠という女性や、今井という高校を出たばかりの少年とも言いたい若者を、褒めてあげたかった。それを非難がましくいう産経新聞に、私は胃が痛くなるほど憤慨した。

 解放された日だったか、彼らが「もう一度イラクに入りたい」と言ったというので、小泉さんが不快感を表明した。これらのことで全国の世論がワッと湧き立ったようで、私の見る限り、どの新聞も、どの読者投書欄も産経と同じ意見だった。

 私は前号で、幕末の吉田松陰のことを書きましたが、まさしく彼は国禁を犯して小船でアメリカの黒舟に近づくが、それはみじめにも失敗。あとで毛利藩や身内の者の迷惑は大変なものであっただろう。幸い明治維新が成功して、彼は希代の青年教育者として崇敬されたからこそ、その失敗談は美談に転換した。今は、だれ一人、彼を嗤いはしない。しかし、当時としては天下の笑い草であっただろうと思う。

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 私は、前々号で「小泉さん、人質の身代わりに飛んで行け」と書いたが、これが案外不評だった。しかし、英語学の大家、東後勝明先生が「私は釘宮先生の意見に大賛成、ワッハッハハ」と言ってくれたと、三鷹の小羊チャイルド・センターの市川先生から聞いた、これは嬉しい朗報。もう一つは大分県日出町で無教会的仏教で気を吐いている田口学法和尚が、また全く同一意見、私の文章を一部引用してまで、天下に訴えてくださった。

 しかし、他は滔々たる「3人批判」、その留守宅にまで非難の電話やファックスがはいったという。日本人がいっせいに一億総並びする悪癖である。戦争中の東条さんの戦果報告に熱狂する日本国民の様子を思い出した。

 こうした結果、故国に帰ってきたこの3人の人たちは、特に高遠さんではないかと思われるが、「世間を敵にしてしまったということでノイローゼになっている。目下、カウンセリングを受けている」という新聞記事。なんと痛ましい!

 しかし、私は彼らに言いたい。「そのくらいがなんだい。しっかりせい」と。アフリカ伝道の勇者、A・シュバイツァーは言った。「人が何事かを始めようとする時、援助し励ましてくれるどころか、前に石を積み、道を閉ざしさえする」と。

 ところで、この数日、空気が変わってきた。4月20日のフランス紙ル・モンドは、「日本は人道主義に駆り立てられた若者を誇るべきなのに、なぜ彼らの無責任さをこき下ろすのか」と言い、また「彼らの純真さと無謀さが、結果として難民問題などで国際評価の低い日本のイメージを高めた」とさえ言ってくれている。

 そこでやっと、4月22日の毎日新聞は言う。「多くの場合、いちずに理想を追い求める人は、はたから見れば愚かしく見え、時には偽善に見える。思慮を欠いた愚行が責任を問われるのは当然である。しかし、世の常識からはみ出す理想や善意に、それなりの敬意を払わない社会は希望のない社会だ。英雄も愚者もいない世界はつまらない」と……。ようやく新聞も、ここまで来たわけだ。<く>

 

〔特別記事〕
朝鮮の列車爆発事故は大変である。その9時間前に金総書記が中国から帰国して現場を通過した後というから、もしや将軍様謀殺の大がかりなテロ?という想像も頭をかすめたが、それは思い過ぎというものだろう。★ともあれ大事故だが、さっそく北朝鮮は中国に援助を求めたというが、そこで私は反射的に考える。仲の悪い北朝鮮だが、仲が悪いからこそ、今、日本は一番にこの国に1億円でも5億円でも送ったらいいじゃないか。★昔、日本の戦国時代に上杉謙信が敵方の武田信玄に塩を送ったという故事もある。★ところで新聞では韓国がさっさと1億円送ったそうだ。遅い! 「小泉さん、しっかりやれ」と言いたいが、これも亦、冷評をあびる小生の愚見か。主は言われる「なんじの敵を愛せよ」と。<く>

 

2004/4/18

(「日岡だより」第120号)

イラク人質問題で何を学んだか   

 先週の「日岡だより」では、「小泉さん、人質の身代わりに飛んで行け」と書きましたが、今回もその続編を書きます。「3人の日本人がついに解放されました」というニュースは金曜日の朝に知りました。私は土曜日は東京に行きますので、金曜日のうちに解放関連記事を打ち上げたいと思います。

 「小泉さん、人質の身代わりに飛んで行け」と言うのは、実際は誰でも良いのです。ただ出来るだけ代表的責任者に行ってほしいということです。これは命がけですよ。大臣諸公、大臣になった時、そんなことまで覚悟していなかったと言うなら、すぐ辞職して貰いたいですね。小泉さんの代りには女性である外務大臣・川口さんが一番良いと思う。日本女性をアピールするのに良いチャンスです。

 3人が解放されたと言っても、家族の誰かが言っていたが、他に拘束された日本人がまだ2人いるし、まだ他の外国の人たちが何人かいるらしい、「手放しで喜べない」と。この言葉は抑制がきいていて、うれしいです。

 今回の3人の人たちに対して、「政府が退避を指導している時に紛争地に出かけるなど無謀にもほどがある。独善的行動で人騒がせである。今回の事件は自業自得だ」という意見もある由。家庭にはそういう心ない電話やFAXが多数はいったらしい。こういう日本人がいるのは情けない。

 とは言え、反面、今回解放された人の内の一人が、「もう一度イラクに入りたい」と言っていることを聞いて、小泉さんが「幾ら善意でも、こんなにひどい目にあって、そんなことを言うのは、どういうことなのかねえ。その気持ちが分からない」という返事。これには賛成の意見が国民全体に多いようで、新聞の論調も同様である、

 私の意見はちょっと違う。彼らが小児病的で世間知らずの態度であること、それを矯正してやりたいことは、私も同様である。だが、この「もう一度イラク入りしたい」という気持ちが分からないと小泉さんが言うのは私は悲しかった。サムライ気質があったら、すぐ分かる言葉ですよ。こう言えば良い。「冗談じゃない。困るよ、状況判断も解決策の模索も容易じゃないのだ。そういう冗談はよしてくれ。でも、そういう気持ちは分かるなあ」とでも。

 危険を犯して、死も恐ろしくない。人から「馬鹿だ、無茶だ。はた迷惑だ」とけなされても出てゆく。それがサムライです。吉田松陰を見よ、なんで国禁を犯して小船を漕いでアメリカの黒舟に近づく? ただ胸に込み上げるものがあるからだ。毛利藩や身内の者は随分迷惑したとおもうが。

 江戸を救おうとして官軍の陣中をまかり通った山岡鉄舟。彼の乞いを入れて江戸幕府の勝海舟をたずねてサシで対談した西郷の太っ腹、いずれもサムライの仕業である。幕府の終焉を見納めようとする2人の心中は恐ろしいほど無私で、洞察力が良くて、勇気があって、手順がうまい。こういう人が総理大臣だったら国の歴史も面白くなります。

 4月16日の夕刊では、前述の件で某高官言わく、「そんなこと言っても、今度はもう救出活動はしませんよ」。つまり「甘ったれたことを言うな」という訳だ。こういう発言に私は賛成する。戦後育ちの人たちの甘え体質には厳しいお灸も必要でである。政府というのは、家庭で言えば、父親たる態度で、そういう厳格な権威がいる。それで良い。

 イラクを愛して、再びイラクに行こうという人は、今度はもう国家権力の保護援助は些かもないことを覚悟して入国すると良いのだ、それを見過ごすのは父親の愛。それをなんとかして守ってやりたいのが母親の愛であろう。

             *

 今回の事件で私がクリスチャンとして切に祈ったのは、まず、この3人の無事安全です。世界国家、人類の命運を決する大事件ではないが、しかし当面する個人的事象の解決を祈るのは、庶民的感覚として誰とて同じです。

 イエス様だって、目の前の女や若者の病気や死を見て、このために労を厭わないのは当然でした。しかしそれとは別に、心に秘める大きな祈りがあります。イエス様はエルサレムの救い、イスラエルの民の救い、それらをどんな時にもお忘れになることは無かったと思います。

 国家や民族の問題を思う時、祈らねばならない第一の主題、それは王と政府の高官たちのためです。第一テモテ2:1〜4を読みましょう。

 「そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべて人々のために、願いと、祈りと、とりなしと、感謝をささげなさい。それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。これは、わたしたちの救い主である神のみまえに良いことであり、また、みこころにかなうことである。」

 すべての全国民のために祈るのは当然ですが、王や高官たちのために祈ろうと言うのです。彼らは信仰など一かけらもなく、一般的道徳的善行を追い求める心もなく、憐れみも愛の心一片もない人たちかもしれません。しかし、

 そういう人たちだからこそ、祈る必要がある。まして日本では天皇陛下も美智子皇后様もすばらしいお二方です。皇太子ご夫妻も国民の敬愛を受けています。この皇族の方々のために一部の先生がたが熱心に福音を語っていることは知る人ぞ知る、ある程度、公然の秘密です。

 それにしても、私が今、こうした為政者の方々のために祈ろうというのは、彼らの魂の救いは勿論のこととして、もう一つこの国の政治や国際危機に際して神様の知恵を彼らに与えてくださいと祈るきだと思うからです。彼らが、「あっ、これは天啓だ。神様からの御知恵だ」と気づくか否かは問わず、とにかく真に神様のみこころにかなう政治や外交が行われるように祈ることは国民の福祉のために、またこの国のクリスチャンのために良いことなのだ、という意識をはっきり持って祈ろうと、ということです。たとえ、可笑しげな政策や、外交姿勢をとろうとも、それが神様の御手の中で動かされている、つまり彼らが知らずして神様の道具になる。アルタシャスタ王や、クロス王が神様のご用を果たしたように、彼らが神様に用いられることを祈ろうではありませんか。

 そのことは私たちクリスチャンが、たとえ悪しき王や欲心強い大臣のもとにあっても、「真に信心深くまた謹厳に過ごす」ことが出来、そこで、それは当然「神のみまえに良いことであり、また、みこころにかなうこと」になると信じて祈るべきだと思うのです。

 この事は、実は相手国のためでもあります。よく国と国の戦争になると、自分の国王様のためには「ゴッド・セイブ・ザ・キング」と英国の国家のように祈るけれども。敵国の王様のためには祈りません。たとえば、第二次大戦中、英米のクリスチャンたち、ドイツのヒットラーのために祈ったでしょうか。もしヒットラーのために平安と祝福を祈ったならば、それを神様は嫌われるでしょうか。喜ばれるでしょうか。

             *

 実は今回のイラク国家のことですが、この国の独裁者フセインを倒したのはアメリカですが、これが良いことか悪いことか。今の私にはよくわかりません。

 ただ、一つ分かることは、今となっては全く無政府状態で、あちこちに部族や集団が勝手気ままに衝突したり、奪略したりで、連絡がつかない。今回の事件でも日本政府は誰を相手に交渉してよいか分からない。イラク国民も、今になってみれば「たとえ悪辣な独裁者でもフセインがいた時のほうが良かった」と言っているかもしれません。つまり、よく言われることですが、「如何に悪しき独裁権力でも、無きに勝る」ということです。

 権力機構が十分に機能している場合は、たとえ反キリスト教的権力のもとであっても、一応、一般の市民生活は安定し、隠れてこっそりと礼拝もできる。世間が荒れ果ててくると、落ちついて家庭礼拝もできない、落ち着かない、しょっちゅう近所近辺に怒号と悲鳴、謹厳な信心生活が出来ない社会になります。

 キリスト教徒にたいする迫害の激しかったローマでも、パウロは先にあげたように「王のため、高官のために」祈りましょうと言うのは、それなりの理由があります。所詮、パウロはローマの刑法下で殉教するにしても、しばらくの間、告訴され監禁の身でありながら、さすがに法制の厳然とととのったローマの治下、「はばからず、妨げられず」伝道が出来ました。だから異教徒であるローマ皇帝やその高官たちのために取り成しの祈り、感謝の祈りをしなさいと、という驚くべき勧告をテモテに書き送る訳です。

             *

 さて、少々堅苦しいことを書き過ぎたでしょうか。私は明日は東京に行くという前日。しかも、ある兄弟が酒を呑んでぶっ倒れて頭を打って入院した。その細君は家出して不在。私はすぐ病院に行ってやりたいし、細君は捜さねばならない、そうした中で私はこの原稿を書いている。忙しいです。

 でも、喜びに満たされています。日本全国に湧き起こった「人質3人を救い出したい」という、その全国民の願いが世界の精神構造を動かしたのかと思います。ノン・クリスチャンは否定するでしょうが、私はそこに神様の御手の介入を信じるのです。

 そして、束縛された人々が解放されるという喜び、これは聖書の主題であることに気づいて更に大きく感謝するのです。

 詩篇126篇はバビロン捕囚から解放された民の喜びを歌ったものだと言われています。とにかくヘブル民族はエジプト、あるいはバビロン、そして紀元71年のエルサレム滅亡、各時代を通じて民族流離の悲劇を味わった民でした。その故にこそ、故国へ帰還することの喜びを味わった民です。

 これがヤハウェの神の特愛の民の受ける運命かと、奇怪な感じもします。しかし、神は愛する民のため、特別な歴史を備えられた。そして故国帰還の喜び、捕囚や強制労働や悲惨な民政の迫害下より解放される喜び、これは実は全人類の解放に似通うことです。エバとアダムがサタンに騙されて以後、人類は罪と堕落と不幸と呪いのもとに拘束され、奴隷化されていました。この人類を救うためにイエス・キリストは自ら捕囚の地とも言いたい地球に来られた。そして自ら進んでサタンの人質になられたと言うべきでないでしょうか。

 ゴルゴタの十字架の上でサタンはイエス・キリストを討ち取った、彼を人質にしたと凱歌を揚げたでしょうか。しかし。イエス様は墓場を足蹴にして復活された。彼はサタンを嘲笑うように、死の捕縛を一蹴されたのです。

 十字架は呪いの木(ガラテヤ3:13参照)です。しかし、イエス様は十字架について「呪われる者」となって人類を呪いから救う方になられた。そして人類を解放されたのです。この主イエス様を賛美しましょう。

 先日の木曜祈祷会で、日本全土トラクト伝道のため韓国からご夫妻で来られた李先生、「なぜ日本にリバイバルが起こらないのか」という切実なメッセージを下さり、日本民族解放の熱情を披瀝された。私たちは大いに奮いたったことです。<く>

 

2004/4/11

(「日岡だより」第119号)

映画「パッション」!どんな映画?   

 今、「パッション」という映画が前評判です。アメリカでは最高の観客を呼んでいる由、日本での封切りは5月の予定だそうです。

 イエス様の生涯の最後の12時間を描いた内容だと言いますが、その描写が余りにリアルで残酷なので、批判もあると言うことです。

 監督はメル・ギプソンという人。彼はもともとアクション俳優として有名な人物でしたが、その後、監督と主演を引き受けた作品が成功して、ハリウッドスターとして一躍その地位を築いたそうです。

 それは輝かしい成功物語でありましたが、しかし、却って不幸の原因となったのです。彼はこう言います。

「私は地上の名誉と富を2つとも得たが、精神的には破滅状態におちいってしまった。そして何度も飛び降り自殺を考えたほどだが、そんな時、私はイエス・キリストの十字架を思い出しました。子どものころ聞いた聖書のお話だが、私は聖書を読みなおした。そして黙想し、祈った。すると、何度も聞いて知っているはずのイエス様の受難物語りが、その時、生まれて初めて聞く物語であるかのように思えた。そして、イエス様の十字架の傷が、何よりも私のためであったのだと分かったのです。

 イエス様の傷は私への愛そのものであり、又、そこに私の希望がありました。私はイエス様の傷に触れて、私の傷は癒されました」。

 ギプソンは、「この経験を映画によって多くの人に語りたかったのだ」というのです。

 先にも書いたが、批判も出るほど、イエス様がムチ打たれ、十字架につけられるシーンなど衝撃的で、直視できない人もいると言う。アメリカでは50代の女性が心臓麻痺をおこして死んだなどという報道もある。しかし又、クリスチャンでない人たちが感動して涙がとまらなかったと言う知らせもある。

 ギブソンは言う。「キリストが私たちの罪を贖うために味わった恐ろしい苦難を知ることで、観客の心に深い影響を与え、希望と愛と赦しのメッセージが届けられるはずだと信じているし、また願っている」と。

 観客の1人、ある牧師は言った。「いかなる残虐に見える画面も、最後の復活の場面でイエス様の勝利を見る時、私たちは神様の愛と栄光を賛美せざるをえないだろう。復活の場面を見なければ、この映画を見たとは言えない」と。

          *

 さて、この映画のパッションという題名だが、普通、私たちはパッションと聞けば「情熱」という言葉を連想する。私は、ちょっと気になって英和辞典を引いてみたら、パッションの最初のPを大文字にして定冠詞のザをつけると、キリストの御受難を指すのだと言う。

 もっと精しい辞典をしらべたら、パッションには「強烈な愛」という意味があると出ていた。その時、私の心は震えた。

 なるほど、イエス様のゲッセマネからゴルゴタに至る御受難は、イエス様の強烈な人類への愛の現れなのだ。イエス様の心臓から爆発せんばかりの愛の衝動が、イエス様を十字架に向かわせたのである。イエス様の死後、ローマの兵隊がイエス様の脇腹を槍で突くと血と水がほとばしり出た、というのはそれであろう。心臓爆発なのである。

 映画「The Passion」は、さて大分ではどこで上映されるでしょうか。謹んで観覧にゆきたいものです。<く>

 

小泉さん、人質の身代わりに飛んで行け    

 イラクで日本人3人が拘束されたという報道は日本政府の心胆を凍らせたでしょう。日本国内の新幹線や、地下街等に、自爆テロが行われるかも、と緊張していた矢先、盲点を突かれた感じです。イラクの現地で簡単にスキを狙われた。

 しかし、そのイラクのゲリラたち、知ってか知らずにか、アメリカよりもイラクびいきと言える朝日新聞の特約記者や、イラクの子どもたちの保護活動をしていたお姉さんや、劣化ウランの絵本を作ろうと調査に行っていた高校を出たばかりのお兄ちゃん、そんな人たちを捕まえてしまった。「なんて奴だ、お前たち」と怒鳴ってやりたい気がする。

 それはともかく、日本政府はどういう手を打てば良いのか、私たち一般庶民は手をこまねいて見ているばかりだが、これからの新聞の投書欄は、喧々囂々(けんけんごうごう)、花盛りでしょうね、というのは不謹慎か。

 彼らのいう通り、自衛隊を撤退せよという意見もある。福田官房長官の親父どのは「人の命は地球よりも思い」とかなんとか言って、生かじりの聖書の言葉を使って日本赤軍のおどしに2度も屈した経験がある。こんどもそれをやるか、とんでもない。

 だいたい人質をとって相手をおどすなど、もっとも卑劣な犯罪である。それがいささかでも愛国心か、民族愛から出た外国政府への非難だというなら、もっと自分の国や民族に恥ずかしくない手段を取って欲しいではないか。今回の仕打ちはまともな集団ではあるまい。チンピラか卑しい山賊まがいの一発屋であろう。こういう手合いに屈して国家の権威を貶めるような恥ずかしい真似を小泉内閣にさせたくないのだ。

 今回、一番に考えたのは、現場に小泉さんが飛び込んで行くべきだということです。「この3人の日本人を即刻解放せよ。俺が身代わりに人質になろう。さあ、電話を貸せ、ブッシュや、派兵各国の首脳に招集をかける。彼らと善後策を講じよう。日本撤退どころか、アメリカ軍を撤退させるよ」、とでも交渉を始めたら、どうでしょうか。

 アメリカでも、「今や、このままではアメリカはベトナムの二の舞ではないか」と、声があがっているようです。もともと、イラク出兵が間違っていることは、今や明らかです。

 小泉さんも、靖国違憲裁判でコチコチになって意地をはっている国内事情がある。ここでブッシュさんを逆に引き寄せて(今、ブッシュは引くに引けないジレンマにいるでしょうから)、今こそ日本首相がブッシュ大統領を説得し、アメリカのメンツをつぶさないで引き揚げるきっかけを作ってやれば、天下に実力を誇示するグッド・チャンスです。

 一介の老牧師のしろうと談義ですが、この提案、官邸にFAXで送りたいですね。

             *

 上記の話をテレホン聖書に吹きこんでいる時(2004.4.9)、私はイエス様がエルサレムに急がれる聖書の言葉を思い出していました。ルカ9章51節の「イエス天に挙げらるる時満ちんとしたれば、顔を堅くエルサレムに向けて進まんとし、……」(文語訳)という個所です。

 この「顔を堅くエルサレムに向けて」という言葉はなんと雄々しい言葉でしょうか。イエス様の一生の目標は十字架であり、天に帰ることであり、聖霊を地上に送ることでした。

 マリヤのおなかに宿った時から、ご誕生の時から、ヨルダン川でバプテスマのヨハネにより水のバプテスマを受けた時から、いや、日々のご生活の一切が十字架における人類のための身代わりの死を目標としておられたのです。

 「人生成功の秘訣は目標設定にあり」とはSMIという世界的に有名な成功哲学のプログラムの創始者、ポール・J・マイヤーの言葉ですが、たしかに目標のはっきりしないところに成功の味わう喜びがあるはずはありませんし。人生が無気力そのものになります。

 イエス様は目標に向かって、しっかり顔を向けて力強く進まれる方でした。それが以上の聖書の言葉です。はっきりした目標意識をもって前向きに前進する。そこに充実した生き生きした人生が生まれます。もちろんイエス様のご生涯はその程度の美意識でくくれるような生やさしい人生ではありませんでしたが。

 ともあれ、そのような勢いで「小泉さん、イラクの現場に飛び込んで行き、事態を収拾しなさいよ」と言いたかったのである。<く>


〔あとがき〕千葉県市川市のNさんから、阿佐ヶ谷で久遠基督教会を創立された丹羽e之という先生の小冊子を送っていただいた。このお名前は、なんとお呼びするのでしょうか。頂いた小冊子の題は「キリスト教信仰か、キリスト信仰か」という。内容がズバリ、良い題ですね。▼先生は1909年にお生まれになって1978年に召天されている。先生の年譜を見ると、先生は20歳の時に武本喜代蔵先生から洗礼を受けている。武本喜代蔵先生はこれ亦、知る人ぞ知る、深い信仰の人だった。私は一度だけ武本先生にお目にかかっている。▼丹羽先生の特徴は信仰の当初、内村先生の影響を受けて無教会風の信仰、聖書一本、後に「教会」と称したけれども、まったく独自の伝道をしてこられたらしい。一人で家庭集会風にイエス様直結の集会を始める。こうしたことの跡を追うように、私も全く同じ道を踏んで来たと思えて嬉しかった。「独立」ということは内村先生の著しい性格的特徴である。丹羽先生は中年になって聖霊のバプテスマも受けておられる。これまで殆ど先生のことを知らずに来た自分のうかつさを残念に思いました。▼尚、仏教語を沢山を使って信仰を説明しておられるのも日本における伝道には不可欠な試みであると思うのです。この本は埼玉県新座市石神1−9−34「憩いのみぎわ社」にお求めください。定価130円)<く>

 

2004/4/4

(「日岡だより」第118号)

神との語らいの訓練   

 信仰生活の霊的実践において、聖霊経験の重要さは言うまでもありませんが、また私どものほうから神様に語りかける「私どものがわ」の為すべき重要さも忘れてはなりません。

 17世紀のフランスの修道士ラウレンシオという人の「神の現存の体験」と言う本は非常に参考になります。この方の実名はニコラス・ヘルマン、私は早くより青木澄十郎先生の本で知っていました。またプロテスタントではブラザー・ローレンスという呼び名で知られていますし、たしか「敬虔の修業」という題名で出版されていると思います。私の思うところでは、この本はカトリック出版のドン・ポスコ社発行の本のほうが翻訳がよいと思います。(大分の方でしたら、カトリック大分教会の敷地内にあるカトリック会館の図書のコーナーで買われたら良いと思います。文庫本型の小さい本です)。

 ラウレンシオ修士の言うところでは、「いつも神様を前において語りかけましょう」という、言葉としては非常に簡単な勧めです。だれでも感じるように、これは簡単に見えて、これほど困難なことはないと、あとずさりしたくなるような課題です。しかしラウレンシオ自身、これを決して恐れをなすほどの訓練ではなく、だれでも始めようとすれば即座に始められる易しい練習なんだと思っていたと思います。

 私はけっしてラウレンシオ修士が体得したような高度な結果を得ているとは思えませんが、それでもこれは信仰生活の過程で、求道精神を安定させ堅固にさせる最も効果のある、そして容易な方法だと思っています。

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 これは要するに、実は祈祷とは何か、という指導書と言っても良い本です。ところで普通は祈祷の極意というと、断食祈祷、徹夜祈祷、深い冥想、あるいは連鎖祈祷、熱涙と絶叫の英雄的祈祷を連想するのです。それはそれで本当ですし、絶対に良いお勧めではありますが、しかしラウレンシオの言う所はちょっと別です。

 熱心と言うことでは同じなのでしょうが、平素の生活のままに、そのなかで常に神様を覚えて主に語りかける修業ということです。そしてそれが日常の習慣になるようにということです。

 ラウレンシオ修士は修道院で最も下級の仕事をしていました。彼は神父さんではありませんで、一介の修道士です。仕事は台所の煮炊きのことです。また時には靴の修繕だったと言います。彼は脚がびっこでして、船でぶどう酒の買い付けに行った時には、波が荒れて、甲板に転げ回るぶどう酒の樽を追い回す姿が滑稽で水夫たちが手をたたいて笑ったと言います。その間にもラウレンシオは神の恵みの中で「主よ、感謝です」と平静を失わなかったと言います。

 彼の生れつきの性質は粗野なほうであり、料理や靴の修理は得意なことではなく、却って不器用な人だったと言います。しかし、彼は修道院長から命じられた仕事を喜んでしました。

 「主よ、これはあなたのなさることです」と言いました。また「あなたがおられなければ、何も出来なかったでしょう」と感謝しました。

 最近、私もやっと分かった彼の考えですが、彼は時おり、私たちも神様に協力するのだという言い方をします。「信仰とは神と人との協力作用である」と言ったのは私の旧師T先生ですが、それと同じようなことをラウレンシオも言う。ラウレンシオにおいては、これはどういう意味なのかと私も興味を持ちました。そして、この小さな本ですが、読みすすんでやっと分かったのは、こういうことです。

 たとえば、お父さんが庭の花に水をやりたいと思う。その仕事を幼いタロー君に頼む。タロー君は慣れないながらも、前にお父さんがしていた花のしごとを思い出して一所懸命お花に水をやった。それを見てお父さんは喜ぶのです。たとえ下手な作業であっても喜びます。時おり、加勢してやりながら、タロー君の仕事を見ています。これが神と人との協力作業です。

 ラウレンシオは言いました。「これは本来、あなたの仕事です、しかしお助けいただいて、やっと仕事ができました、神様、感謝します」。

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 ラウレンシオ修士は彼のやり方を「神との語らい」と言っています。これは重要な意味を持っています。つまり一方的な語りかけではないのです。

 祈りとはモノローグ(独語)ではない。ダイアローグ(対話)である、とはよく指摘されるところです。私はこのことを伝道の初期から信徒のみなさんに言ってきました。しかも、私はそのことを本当に分かっていたのかなあと、と今になって反省しています。

 落語風に描いてみると、トン平さんがご隠居に尋ねる。「ご隠居、これこれと言うのは、こういう事でござんすかねえ。あっしはこう思うんですが、どうですかねえ、隣のミノ助はこういうんですが、あっしは反対です。ご隠居はどう思いますかねえ」。こう言い放して、クルリと背を返して向こうに行ってしまう。「これこれ、トン平」とご隠居が、彼に答えようとする時には、もうそこにはトン平さんはいない。

 これが多くのクリスチャンの祈りの姿です。神様がお答えになろうという時には、もうそこに返事を聞く人はいない。まさに失礼千番と言うべきですが、多くの人が聞くべき耳を持たないのです。

 こういう声が聞こえそうです………、「そうは言っても、どうしたら神様の声は聞こえるのですか。どんなに耳をすましていても何も聞こえません」。

 旧約聖書で預言者エリヤは神様に訴えました。その時、強い風が吹き、地震があり、火が燃えたが、そこに神はおられなかった、そして火のあとに静かな細い声があった、とあります。冒頭の個所であげた青木澄十郎先生の本に、この「静かなる細き声」という文章がありました。「静かなる細き声」とはどんな御声でしょうか。実は神様からドカンと大きな声で語りかけて下さることもあります。そういう体験を持っている人は幸いです。しかし、今回は神様から働きかけて来て下さる恩恵の場面は別にして、私たちのほうから多少とも努力する場合を考えてみたいのです。

 たとえば、「笑い」のことですが、「聖霊による笑いはすばらしい。しかしまだ、聖霊様から笑いを頂いていないなら、自分から意志をもって笑おうではありませんか」、これは私の目を開いた松岡先生の一言です。これによって私は「笑い」のミニストリーを開いたことでした。

 神様の声を聞く、聖霊様の声を聞く。それは冷静に考えると、つまるところ人の脳の言語中枢で起こることに相違ありません。人の意識の最も深い深層意識を使って聖霊様は働きかけて下さるのですから、私たちは自分のこの意識の深みに注意して、そこから少しでも神様の心を聞き取る練習をすれば、どうでしょうか。

 「いやあ、それは人の思いに過ぎないのではないでしょうか」という反論は必ず出ますし、尤もなことです。

 しかし恐れずに主様の胸に抱かれ、主様をそっと見上げて、心を鎮めて聞いて下さい。主はやさしく、あなたに答えて下さる可能性があります。そして主様との語らいを続け、うましい会話の時を持って下さい。これは私たちの霊性に御霊の実を結ぶ最も近い道だと思います。<く>

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