キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(バックナンバー)

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2005年3月


2005/3/27

(「日岡だより」第169号)

「復活祭を迎える」    

 きょうは復活祭です。復活節という言葉は厳密にいうと復活祭以後ペンテコステの日までの50日間をさすカトリック用語らしい。そこを日本のプロテスタントではこの日を復活節と言い習わして来たわけらしい。まあ、どちらでも良いようなものだが、復活祭というほうが明るくて、私は好きだ。

 好き嫌いと言えば、この日をイースターと呼ぶのは嫌いというより、止めにしたいと思う。この言葉は当時のチュートン語の「春の女神」から来ているという。そんな由来の言葉を、よくもこれまで使って来たものだと思う。信仰に関する言葉はもっと厳密でありたい。

 そこで問題はイースターエッグです。これはなんと呼ぶことにするか。「復活たまご」でよかろうかと思いますが、みなさん、如何?

 もっとも、この卵もアメリカからきた習慣ではあるまいか。微笑ましい習慣ではあるが、こうした習慣が出来上がった由来はよく分からない。知っている人がいたら教えてほしい。卵の中からヒヨコが生まれて来るところが、イエス様のご復活を偲ばせるからであろう。

 しかし、死んだヒヨコが生き返るわけでもあるまいし、このイースターエッグの比喩は少年時代から私には疑問だった。信仰とはこういう子どもだましのような言いくるめの教義ではない。私たち自身がイースター・マンとなって人々に証しできなくてはいけない。

 とは言え、私はイースターエッグを嫌っているわけではない。ただ、あなたが近所の方々にイースターエッグをおすそわけするとき、あなた自身が復活の活きたモデルになってほしいのです。《く》

 

「イエス様の墓は空っぽであった」   

    一、キリスト信仰の筋道、まず聖書

 今日は復活祭といってキリスト教会の祝日であります。イエス様が墓石をころばして復活された日なのであります。クリスマスも大事な教会の祝日ですが、考え方によっては復活祭はもっと大事な祝日です。

 私の伯父(釘宮徳太郎)は日曜学校の子どもたちを集めて、クリスマスよりももっと盛大に祝会をひらいて子どもたちを喜ばせたものです。

 彼は、その出していた個人雑誌の誌名を「復活」とつけたほど、復活の信仰を重んじました。

 ちなみに、この伯父が出した最初の個人雑誌は、「いのちの糧(かて)」というのでしたが、聖書研究雑誌のようなものでした。「いのちの糧」、つまり聖書の言葉を伝えること、これが伝道の第一番と考えたのでありましょう。

 しばらくして誌名を変えました、言わく「十字架の光」というのです。聖書の中心、キリスト教の中心は十字架にあると考えたのでしょう。十字架は悲惨で苦しみの象徴としてだけではなく、そこから人類の救いの光が放たれているのだという信仰を、伯父はその「十字架の光」という誌名に表現したかったに違いありません。

 そして、最後に伯父は誌名を「復活」と改称し、その後、2・26事件の翌日に、天に凱旋して行きました。

 なるほど、聖書→十字架→復活の順であります。信仰の筋道と言うものです。

 信仰を求める方は、まず聖書に親しんでください。生涯の座右の書としてください。それどころか、小型の聖書をポケットに入れて日常の必携の書としてください。

 そして喫煙者が何かと言えば「ちょっと一服」というように、ちょっとの時間でも聖書の頁を開いてわずか一句でよい、その一句を読んで、なんども咀嚼して、反芻するとよいのです。

 聖書には難しい言葉がたくさん出ます。文字や文章の解釈がむつかしいというより、それを常識や理性で納得できないとか、理想的な道徳訓とわかっても、それをとても実行できるはずがないとか、そういうことです。

 常識や理性で納得できないという第一のものは、なんといっても奇蹟でしょう。マリヤの処女懐胎やイエス様の多くの奇蹟、そして、その最大は本日私たちが祝っている復活です。

 実行できそうもない理想的道徳訓とは、たとえば新約聖書のマタイの福音書の第5章から第7章に出てくる、いわゆる「山上の説教」です。「何を食べ、何を飲もうか、何を着ようかと、思いわずらうな」とか、「なんじの敵を愛せよ」とか、そういうことです。ひっくるめれば「天の父、すなわち神様が完全であるように、あなたがたも完全であれ」ということに尽きます。

 誰もそんなことができるわけがありません。生身の人間がどうして神様のように完全なものになり得るでしょうか。

 もっと分かりにくい最大のものは私たちの生まれる前からの、また生まれてからの私たちの罪をイエス様が代わりに背負ってくださって、神様の罰を受けられた。そのお陰で私たちは救われて天国に行けるという、これが最も信じがたい奇蹟です。

 ひるがえって言えば、人間を最高の存在に生まれ変わらせようとする神様の奇蹟、その第一歩がイエス・キリストの十字架です。

  
    二、イエス様の十字架

 聖書は、まず「神様の戒め、イエス様の教えである」と言えますが、それは家で言うなら門のようなものです。そして中にはいると美しい庭があります。

 しかし、それで家にはいったことにはなりません。どうぞ玄関にはいって家のご主人の声を聞いて下さい。それが十字架です。イエス様の十字架の死により、あなたが神様のそば近くに寄れるのです。

 聖書は言います。「キリストは一度罪のために死なれました。清く正しい神の御子が悪人のために身代わりになられたのです。私たちを神のみもとに導くためでした」(第一ペテロ3:18)。

 人は死んでどこに行くのか、気にかかるものです。そしてできれば神様のところに行きたいと思います。(世の中には神様なんか居るものか、という人がいます。それは神様がいると困る人たちです)。

 神様のところに行く道はただ一つ、イエス様の身代わりの死、つまりイエス様の十字架の死の真理を悟って信じることです。その教理を信じるというより、十字架の死をとげてまで私たちを愛してくださったイエス様ご自身に出会うのです。

 私の母は戦時下の冬、刑務所にいた私を思って薄いせんべい布団をかぶって息子と同じ寒さをしのごうとしました。母の愛というものです。よく昔の講談などにあります、孝行な子が病気の父や母のために水ごりをとって祈願します。神様はこういう愛を人間に与えてくださいました。

 私の父は生まれたばかりの私が難病で万に一つも助かるまいと医師に言われて、「神様、私の命に替えて、この子の命を助けてください」と断食と徹夜で祈ってくれました。そして私は奇蹟的に回復したのです。

 私は、どこか私が今ある命を人生の付録のように思い、いつ死んでもいいと思っているところがありますが、それはそのせいでしょう。

 それはともかく、人間にそのような犠牲的愛の心があるのは、万物の主たる神様にそのような愛があるという証拠です。

 万物はすべて神様に造られ、私たち人間も神様に造られたものの一つですが、ただ一つ人間の不思議さ、私たちの心の底に、神様を慕い求める心があります。

 人間はもちろん、神様に近よりがたい罪と悪に染んでいるものですが、しかし不思議なのですが、私たちの心のどこかに神様の思いを感じ、また悟る機能すらあるように思います。少なくとも、それを期待しています。

 「私たちは神の中に生き、動き、存在している」(使徒行伝17:28)という言葉が聖書にあります。私たちは気づかずとも、神の霊(聖霊)に取り巻かれているのです。


    三、イエス様の墓は空っぽであった

 イエス様は復活されました。今から、1970年ほど前のことです。ユダヤのエルサレムの郊外の墓からです。その墓は空っぽです。

 マホメットにも、お釈迦さんにも墓があります。この方々はすばらしい人類の教師でしたが、人間ですからやはり死にました。そしてその墓があります。

 その墓に多くの崇拝者がお参りします。その崇拝の念については私にも理解できます。しかし、あらためて思います。私たちの主なるイエス・キリストには墓が無いのだと。

 聖書の使徒行伝という個所は最も初期のクリスチャンたちがキリスト教伝道をした記録です。彼らが各地で伝えたメッセージの中心はいつも同じでした。

 使徒行伝3:15を見ましょう、「神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせました。私たちはそのことの証人です」。新約聖書の中に、イエス様がよみがえられた、という語句が25回出てきますが、そのうちの14回がこの使徒行伝に出ているのです。

 そうです、使徒行伝の中心メッセージは「イエス様は復活された。私たちはその証人である」ということです。パウロは当時の文化的中心地でインテリの人たちを相手に伝道説教をしました。

 相当、気をつけて哲学的に、また文化度の高い説教をしたようですが、最後にイエス様の復活の証しを始めると、殆どの人たちが「ばかばかしい。又、あさってでも聞くさ」と散って行きました。

 オウム真理教ではありませんが、空中浮揚したというだけで弟子隊がワアッとできる日本とは違います。昔のアテネの人のほうが余程合理主義者です。

 パウロが出会った復活のイエス様は、ダマスコという町にゆく路上で突然、馬上のパウロに現れたのでした。

 今日も、あなたにイエス様が現れることを願いませんか。けっして神秘主義的な、特殊な修業をした人にしか現れない、そういうむつかしいことではありません。

 私は昭和19年11月23日、福岡刑務所の独房でイエス様の声を聞きました。さすがにイエス様の姿が見えるほどに奇蹟的なことではありませんでしたが、それでも一瞬の悟りが私の心の中心に生まれました。

 その時から私は改変されました。陰欝な皮肉っぽい私が喜びと勇気の人になりました。《く》


〔お知らせ〕図書紹介「サタンに立ち向かえ」
C・S・ロベット著、暁書房の発行です。暁書房というのはマルコーシュ・パブリケーションの前身です。意欲的な本ですが、あまり売れなかったのでしょうか。惜しくも目下、絶版です。▼とは言え、私も長い間、この本の重要さに気がつきませんでした。15年も前、発行当時に読んだまま。そのままお蔵にしていました。昨年11月にふと手に取って読んでみて、びっくり、みなさんに奨め始めたのです。その時、私は感動のあまり、「この本は聖化論の金字塔です」とマルコーシュ・パブリケーションの笹井社長さんに手紙をしたものです。▼それと言うのも、丁度エターナル・ライフ・ミニストリー発行の「告白はあなたを変える!」を読んで居たからです。この2つの本を読み合わせると私たちクリスチャンが聖化、聖潔の難所を割合にたやすく乗り越えられると分かったからです。聖潔の教えについて聖潔派の方々がそれほど簡単に解決できてはいないと思うし、聖霊派は聖霊派で聖潔の教えをいい加減に脇道において真面目に解決していないと私は見て居るのです。▼そしてクリスチャンなら誰でも信仰の聖化・成長・進歩・強化・成熟・深化を求めない人は居ない筈、その方々にとってこの2冊の本は最良の参考書だと私は信じます。▼近く「告白はあなたを変える!」の読書会を開きます。この本をまだ持っていない方はご購入ください。《く》


2005/3/20

(「日岡だより」第168号)

「十字架の意味」     

 きょうは教会暦で「しゅろの日曜日」です。きょうから受難週にはいります。受難という言葉は私は好きでありません。

 イエス様のご受難、いわゆるパッションですが、イエス様の捕縛や、鞭打ちの刑をご受難と称するのは、一応、尤もかと思います。

 しかし、肉体的苦痛というものはイエス様にとっては何でもないものだと言えば、不謹慎でしょうか。イエス様に対するあのような不埒な暴力、侮辱を与える祭司やローマの役人たちの振舞を、心の痛みなく見逃せるはずはありません。そのような思いから、主の御痛み、御苦しみを偲んでご受難と申し上げるのは当然のことかも知れません。

 しかし、特に十字架の刑は、ご受難では無く、ご受苦なのです。天の父なる神様が人類の罪を罰せねばならない受刑の痛みをイエス様が全身をもって受け給うたのです。

 イエス様の真のお苦しみは、鞭打ちや十字架による肉体的苦痛のことではないのです。三位一体に於ける一体としての父なる神から、イエス様は生木を裂かれるように地獄へと打ち捨てられる、その実存的苦悩です。もともとイエス様が神様を見失うことなどは、あるはずも無い。

 そのイエス様が「我が神、我が神、何ぞ我を捨てたもうや」と叫ばざるを得ない、矛盾の極限です。この事は人間には到底、理解不可能な事態です。

 イエス様の十字架の死は、この宇宙を杯にしても飲み干すことができない最大の悲劇、全被造物が、震えおののく事件です。映画パッションを見て「イエス様、お可哀そうに」と同情の涙を催すようなヤワなことではないのです。《く》

  

「あの山が海に移った!」    

 勝矢 忠(しょうや・ただし)という方の証しを永野誠治先生が贈ってくれました。さっそく読ませてもらってビックリしました。驚くべき証しです。

 この方は5歳の時に、お父さんが死んで、子どもが多くて、一家離散、神戸のある夫婦に養子に貰われました。そこで養父は可愛がってくれましたが、養母が冷たい人でした。そのやさしい養父が死んで又も悲惨な月日が続きます。彼は人を恨み、世間に反抗し、悪に走り、前科2犯を負い、肺結核を病み、ついに神戸療養所にはいります。

 そこで、肺臓整形手術で受けて、一度死んだかと思えるほどの3日間の暗黒体験、そのどん底で彼は劇的回心をします。(イエス様が陰府に下った日数も3日間、私の回心も3日間の地獄体験の後でした。3日という日数には深い意味がありそうです)。

 健康を回復して、それでも弱い体だったようですが、神学校に行きます。35歳だったそうです。2年たって夏休み、思い出の療養所に行ってみました。

 なつかしい自分のいた病室にはいって、見まわしました。もう一人も知った人はいませんでした。しかし、その事ではなく、本当にびっくりすることがありました。その病室の前に見えていた不細工な山が無くなっていたからです。

           *

 まだ、前記の回心する前のことです。当然、信仰を持っていない時のことですが、しかし聖書は夢中に読んでいました。聖霊は彼を離さなかったのですね。聖書によって心を燃やされるのですが、聖書の記事に対して批判ばかりしていました。

 ところが、聖書のこんな記事を読んだのです。

 「もしあなたが、心で信じて疑わないならば、この山に向かって海に移れと命じるならば移るであろう」

 彼は思わず、窓の向こうにある日ごろから気に食わないでいる山を見ました。あんな山は消えてしまえと思っていましたから、絶好の聖書の言葉でした。その時の彼の証しの言葉をそのまま次に写します。

「私はそのみことばを2度ほど読んで、しばらく天井を見つめて考えました。『馬鹿な真似はよせ』という気持ちと、聖書が私に与える不思議な力に思いが揺れました。そして『ひとつ試してみるか、出来なくても、もともとだ』と決心し、目を閉じました。誰かに私の馬鹿げた行為を見られているようで、気恥ずかしい気持ちがしましたが、慌てて、

『山よ、海の中へ移れ』

と心の中で命じたのです。そして目を開けて見ました。山は相変わらず大きなお尻を天に向けて入ました。私は自分のしたことに照れました。(中略)

 私はもう一度考えました。『やりかたがまずかったのだ』と。聖書は『もし、あなたが心で信じて、疑わないならば』と言っています。私はそこに重点を置かないで、山が海に移ることばかり考えていました。

 そして今度は『心に信じて疑わない』作業からとりかかりました。目を閉じ、精神の統一をはかり、

『山よ、海の中へ移れ!』

と命じました。私の脳裏にその山が海に移ってゆく情景を描きました。そして心に信じたのです。目を開けてみました。そこには、依然として山はでんと座っていたのです。その時から私の頭は徹底的に聖書に反抗的になったのです」。

           *

 2年後に彼が、その病室を訪れた時、驚きました、あの山が根こそぎ無くなっていたからです。彼が2年前ベッドの上で、「山よ、海の中に移れ!」と命じたことを思い出さざるを得ません。ベッドにいる患者さんに尋ねました。

「おじさん、この向かいに山があったでしょう。あの山はどこへ行ったんですか?」

 すると、おじさんはめんどくさそうに答えました。

「海に行ったよ」

 彼は足が震えるのを感じました。もっと詳しく聞きました。それは神戸市の都市計画で、あの山はブルドーザーで削り取られ、その土砂はベルトコンベアーで須磨まで運ばれ、そこから神戸港に運ばれ、今のポートアイランドになったのだと。

 彼は神のみ言葉が、時がくると必ず実現することを悟りました。この時から、彼のクリスチャン・ライフが調い、磨かれて行くのですが、その過程は決して順調でないようです。

 なにしろ言っては失礼ですが、クリスチャンになる前の生涯がひど過ぎます。その時代の悪い習慣が一筋縄でない。

 何かと行き過ぎ、突貫精神、こうと思いこんだら命がけ、周辺の誤解を招き、神学校に入るにも、在学中も、卒業するにも、何かとまともに行かない。

 この人を、けったいな品のない山に例えましょうか。(これは彼の文章ではない、私の勝矢忠兄の証しを読んでの感想ですが)、この荒々しい人物を彼自身が見るのも嫌だったあの山に例える事が出来そうです。

 神様は彼の前生涯の悪習慣をブルドーザーで削り取り、そのかけらをベルトコンベアー運び出して海に放り込み、新しい福音のポートアイランドを造成するかのごとく、彼を作りなおしたのではないでしょうか。

 彼の最初の回心も劇的ですが、その後の成長過程も劇的です。その悔い改めと聖化の生涯はまるで、ドラマです。

 あのお母さんとも見事な母子関係に変わりました。素晴らしい奥様に恵まれて結婚生活も多くの方が羨ましがるほどだろうと思います。

 実はこの方の証し集は「主は、生きておられる」と題して、きちんとした手作りの本です。形は横に広い変形ですが、字は自分でパソコンで打ちこんだものでしょうか、読みやすいし、製本もしっかりしています。そして「ただで受けたから、ただで与えよ」とのみ言葉に従い、送料もご自分持ちで、希望ありしだいタダで送ってくれるそうです。そこで、私はさっそく50冊申し込みました。来週には、礼拝に出席した人たちにお配りできるでしょう。足らなければ、又、遠慮せず追加を申し込むつもりです。

 以上の私の紹介文章は、一度通読してすぐ鈍い記憶のまま書きましたので正確を欠きます。実物が来たら、読んで下さい。実はこの「日岡だより」は全国あちこちに読んで貰っていますが、その方々にも、この証し集に興味を持って貰いたいと思ってこの拙文を書きました。もし、この証し集を読みたいと思われたら、どうぞ、直接この証し集発行のご本人にお申し込み下さい。代金も送料も辞退するとおっしゃっていますが、ご遠慮なく申し込まれると、喜ばれると思います。(釘宮生)

※勝矢さんの連絡先はメールにてお問い合わせください。


〔あとがき〕このほど、書斎の奧のほうを捜すことがあって、ふと伯父の徳太郎が残してくれていた昭和初年の無教会の先生がたの月刊雑誌を発見した。それと同時に最近見失っていた私の古いノートなども出て来て、懐かしかった。▼無教会の先生がたの雑誌のなかで一番驚いたのは、今回岩波から自叙伝が出ることになって突然名前が浮かび上がってきた斎藤宗次郎さんの「基督信徒之友」という古びた一冊である。1935年の10月号、そこに内村鑑三先生の講演筆記が載っている。たぶん、この内村先生の講演筆記は内村全集にも載せられていないと思う。いつかぜひ、この数頁はコピーして皆さんに読んでほしいと思っています。▼黒崎幸吉先生の「永遠の生命」1935年8月号を開くと巻頭に「隣邦支那を思ふ」とある。当時、支那は世界列強に食い物にされ、日本もその尻馬に乗って何らかの甘い汁を吸おうと歯を研いでいる時である。すでに支那(今の中国)では、反日教育が盛んだった。その隣邦支那に同情を寄せて、日本の文化は大いに支那の恩恵を被っている。その恩を忘れず、支那を真の独立国たらしめるため努力を惜しまないようにしようと、文章を閉じている。▼別の号では「国家と宗教」とか「国民の良心」とかの記事がある、当時としては危なつかしい題名である。数年して「待ってました」とばかりに内務省の検閲で発行禁止になる。そういう時代であった。《く》

 


2005/3/13

(「日岡だより」第167号)

 

イエス様は笑ったでしょうか    

 もう20年ほど言い続けてきました。

 「愉快な気分は脳を活性化する。脳内モルヒネとでも言おうか、良いホルモンが出るからである。ノーマン・カズンズの経験は有名だ。腹を抱えて笑っていたら、難病の膠原病の痛みが消え、病気も医師の予測よりずっと早く治ったそうだ。

 だから笑おう。笑う練習もしよう。そうだ、イエス様と一緒に笑おうじゃないか」。

 ところが、あるクリスチャンの友人から質問が来ました。「イエス様は本当に笑ったでしょうか。彼は悲しみの人(イザヤ53:3)ではなかったでしょうか。十字架上のイエス様を見る時、主がお笑いになったなんて、到底考えられません」。

 私はいささか返答に困りましたね。私自身、青年時代は悲哀を好みました。真実な者にとって、この世は笑ってなんかおれるところではない、というのが私の意見でした。

 私はキェルケゴールが好きでした。だって彼の本の扉に載っていた、彼の手を懐に入れてうつむいて歩いている姿が、陰欝で、侘しそうで、悲哀の人で、人間の真実を現していると思いました。その姿が彼の哲学以上に好きでした。もっとも彼の哲学がよく分かっていたわけではありませんが。

 当時、私自身ひどい難発性の吃音で、生きていることがまったく苦痛であったせいもあります。「人生は苦しいところだ、ここでノーテンキに笑っているやつなんか、人生の深渕を知らず、軽佻浮薄に生きているだけなんだ。もっと人間の深いアダム伝来の罪に目覚めねばいかん」と思っていました。

 つまり自分は人間の深いアダム伝来の罪に目覚めているつもりでしたからね。

 これこそ本当にノーテンキな話で、私が真に自分の原罪に目覚めて苦しむのはもっと後のこと、可笑しなことにキリスト教的非戦論で刑務所にはいってからのことです。

             *

 しかし、今の私はイエス様が大いに笑ったであろうことに自信を持っています。ただ、困るのは聖書のなかに「イエス様が笑った」という記事は一個所もありません。私としてはたいへん残念です。

 もちろん、イエス様は年中笑っていたわけではない。「ああ、エルサレム、エルサレム」とオリブの山で泣いたと言われ、ラザロの墓の前でも泣いた。また、子どもを追い払う弟子たちに向かって怒り、偽善のパリサイ人らに対して憤ったイエス様です。

 でも伝道旅行から帰った72人の弟子たちの報告を聞いて、「イエス様は聖霊により喜びあふれた」と聖書にある(ルカ10:21参照)。この傍線の喜びあふれたという言葉は、原語では狂喜乱舞するというような感じの言葉です。

 そして同じ言葉が、マタイ5:12に出てきます。イエス様は言われる、「私のゆえにお前たちがののしられ、迫害にあったとき、お前たちは幸いなんだよ。だから、大いに喜び踊りなさい」と。

 迫害にあって誰が喜べましょうか。しかし、しばしば殉教のキリシタンたちは歓喜に満たされて死んで行きました。なぜでしょう。それは、

 イエスさまが、あの十字架上で私たちの罪、苦しみ、痛み、悲しみ、すべてをご自分の身に背負いこんで下さったからです(イザヤ53:4、5参照)。イエス様は霊的宇宙のブラックホールです。

 あらゆる私たちの罪と、すべての心の傷を全部吸いこんでくれるのです。だからこそ主は、あの十字架の時だけは嘆き、叫び、苦しまれたのです。まさに御子はあの時あるべからざる父なる神との断絶を経験されたのですから。

 ですから、その後、復活され墓を破って出られ、御父のもとに帰られるとき、イエス様は宇宙に響き渡る呵々大笑をされて昇って行かれたと信じます。

 

声をあげて祈ろう、機嫌よく笑おう    

 快活な人はいったいに声が大きい。しかし、なんでも声が大きければ良いというわけではない。「朝はやく起きて大声にその隣り人を祝すれば、かえってのろいと見なされよう」と旧約聖書の箴言にあるくらいだ。

 また「心の痛める人の前で歌をうたうのは、傷の上に酢をそそぐようなものだ」ともある。そういう場所や場合はわきまえねばならないが、しかしやはり快活な大きな声は気持ちのよいものである。

 しばしば、低い声でお通夜の挨拶のような祈りをする人がある。けっして批判ではない。悲しい時、苦しい時、さもあろうと思う。

 確信がないときも、そうである。でも確信のないときは、なおさら大きな声をあげて祈ってみてください。

 そう言う場合、しばしば失礼ながら神様を脅迫(?)するような尻まくりの祈りになる。せっぱ詰まった危機的状況下では、それも仕方ない。ほかならぬ私もそうであった。

 しかし、いつもそんな風では、息が切れてしまう。やはり楽しい明るい声の祈りをしたいものです。

 あなたの祈りについて、お聞きしたい、あなたは家の中などで一人で祈るとき、声を出しますか、どうですか。私は思う。一人で祈るときでも。声をあげて祈るほうがよい。

 イエス様が祈って居られるのを聞いて、弟子たちが「主よ、私たちにも祈る事を教えてください」と言ったと聖書にある。弟子たちにはイエス様の祈りが聞こえていたのである。

 またゲッセマネでのイエス様の祈りは、まさに主の孤独な祈りであったが、その時、はるか離れた弟子たちはイエス様の祈りの声を聞いていたのです。イエス様の祈りの声はかなり大きかったに相違ない。

             *

 ある祈祷会で、私は言った。「寝るとき、床の上で声を出して祈りなさい。寝るときの祈りは朝の祈りの先取りです」。

 実は、かつては私も寝る前の祈りは、それほど忠実に声を出して祈ったことがない。そこで私は決心したものだ。その夜、私は大きな声を出して祈ったのである。

 隣のベッドで妻が聞いていたので、やや照れくさい、そんなことでは牧師として落第だと思うが、私は元来は相当な恥ずかしがり屋でした。慣れないことをするときは必ず照れてしまう。

 さて、その次の日の朝、目が覚めると、とたんに布団のなかで思わず祈りの声が出た、そして叫んだ、「ハレルヤ!」。

 それから、隣のベッドの妻に「ハレルヤ!」と声を掛ける。そして機嫌よく「ワッハッハッハ」と笑ったものだ。なぜ笑うのか、格別に理由はない。不思議に機嫌がよかったまでのことだ。

 これは大発見だった。なるほどねぇ、私は思った。こいつはいいや。寝る前に声を出して祈るのはいい。ほんとうにいい。それなら、そうだ、あれもそうだ。

 食堂での食事や、電車の中で弁当を開くときなど、食前の祈りをしますね(あなた、しますか)。この時、やはり大きな声で祈るのがよいだろうな。

 神様は耳が遠い訳ではないから、声を出さなくても私たちの心の祈りを聞いてくださる。心の中は全部お見通しだから。

 だからと言って、神様にとって、大胆に胸をはって大きな声で祈るクリスチャンの姿は、やはり大いに嬉しいに相違ない。これは人に見せるために、路傍に立って敬虔そうに祈るパリサイ人とは全然違うんだよね。

 さて、その朝の経験のあとで主は私に言われた。

 「あなたは、昨夜は声をあげて祈ったら、さっそく今朝は、起床してすぐ祈ったね。そしてすぐワッハッハッハと笑ったよね。陽気な声で私を賛美もしたね。お前にはよい体験だった。

 同じように、私のこと、イエスのこと、信仰のこと、教会のこと、なんでも率直に、どこででも、誰にでも、明るく話せる人になりたいと思わないかね。そう思うなら、いつも声をあげて祈っていなさい、必ずそういう人になれるからね」。

             *

 先年、カナダのトロント空港ヴィンヤード教会に行った。そこで聖霊の働きを受けて、笑った、笑った。トロント・ブレッシングと言って、世界中のキリスト教界で「聖霊の笑い」が論争の的になっていた頃である。

 しかし、聖霊様の直接的な働きでなくても、笑うことができたのだから、それもやはり良いと思う。みなさん、笑ってみませんか。おなかを抱えて、呵々哄笑してみませんか。そんな阿呆なマネできるかという人が多いでしょう。

 しかし、幼子のような気持ちになって、笑っている人のマネをしてごらんなさい。最初はぎこちない笑いでも、それを続けているうちに次第に笑えるようになるものです。

 もちろん、決して笑うことが信仰ではありません。そして、あんな風に笑えなくても信仰を持っていさえすれば大丈夫です。天国へ行けます。

 しかし、信仰を持っていて、その上に愉快に笑えたら、更に快活なクリスチャンになれて、伝道もしやすいし、快活な良い証し人になれます。

 また、信仰はないけれど気軽に「ワッハッハッハ」と笑える人がいて、その人がクリスチャンになったなら、もっと良い笑いが出来るようになります。

 天国ではニヒルな笑いはないし、滑稽な笑いというものもないんだ、と主はかつて私に教えてくれました。

 聖書に「心に信じて義とせられる」とあります。心の中でイエス様を信じさえすれば、行いはなくても神の国の国籍を与えられ、死んだら天国に行けるということです。

 しかし、もっと、もっと、聖書の言葉、信仰の言葉を、口を開いて、声に出して、告白すれば、更にいきのいいイキイキ人間になれます。

 大きな声を出して祈りましょう。生活が変化します。言葉にも笑いにも、できるだけ大きく明るく声をあげましょう。

 そうすると、あなたの表情も行動も変わり、周囲に影響を与える人になります。

 心に秘めるだけでなく、言葉に出すと、言葉は自然に行動を生みます。その原則に従って信仰は行動面に浮揚します。

 イエス様の十字架を心に信じて義と認められ、信仰を口に言い現わして生活が救われ、体の行動が変わって、サタンと世に勝利するのです。

 どんな困難がやってきても「ワッハッハッハ」と笑って、乗り越えましょう。《く》


〔あとがき〕マルコーシュの笹井兄のお奨めで毎月の断食祈祷を始めました。今月は去る7、8、9、の3日間の断食、たいへん元気で、断食しているような気がせず、愉快でした。ワッハッハと笑って大いに働けたのは感謝でしたが、いけないのは祈る時間を失ったことでした。断食は祈りとセットであるべきです。今回の断食はその愉快さにかかわらず、大失敗だったと反省しています。毎月第一月、火、水の3日です。皆さん、一緒にやりませんか。ご祷援乞う。《く》


2005/3/6

(「日岡だより」第166号)

感動する人生を送ろう    

   一、新車のため祝福の祈りをしたら……

 10年ほど前のことだが、ある兄弟が新車を買ったので、その祝福の祈りをしてさし上げた。

 世間の人は、新車を購入すると多分、神社に行って「お札」を買ってくる。

 しかし、私どもの教会では私が祝福の祈りを祈って上げるだけである。

 私はその時、いつものとおり詩篇91篇を読んだ。「千人は右に倒れ、万人は左に倒る。されど災いは、なんじに近づくことなし」という個所である。

 その時、その兄弟が泣かんばかりに感激した。私はその兄弟の感激の様子に感動したのである。

 私たちは、どんな人生を送りたいか、感動する人生を送りたいと思う。

 キリスト教の伝道で、「僕ね、イエス様を受入れたら、まず第一に人生に感動することが多くなったんだ」、こういうのはいい伝道だと思う。

 

   二、車椅子国際マラソンを声援する

 私どもの教会の近くの道路は、毎年10月終わりから11月はじめの頃の日曜日、車椅子国際マラソンのコースになる。ある年のことだった。

 礼拝を早く切り上げて(神様、ご免なさい)みんなで100メートルほど先の道に出た。

 飛ばしている、飛ばしている。大分では臨海道路と呼ばれている40メートル道路だが、そこを車椅子の選手たちが飛ばしている。

 速い、速い。疾走する筋肉モリモリの外国選手には圧倒される。しかし又、車ごと転んだ選手がいた。見ているのが辛い。

 でも、その選手はめげもせず、苦心してやっと車を正常にもどす。それから不自由な両脚を車に乗せる、これもむつかしい。そして跡を追った。

 声援しながら、鼻の奥がツーンとした。「ああ、礼拝を速く切り上げて、声援に来た甲斐があった」なんて思った(神様、ご免なさい)。感動しているのである。

 大分の国際車椅子マラソン大会は、知る人ぞ知る、身体障害者福祉施設「太陽の家」の創立者・中村裕医師のアイデアで25年も前から始まったものだが、出て来て、応援して良かった。

 みんなの感想…、

「先生、車椅子マラソンを応援するのは、毎年繰り返しましょうよ」
「そうだね」

 もっとも、その後していないけれど。昨年も10月31日、気にしながら礼拝を守った(神様、気が散ってご免なさい)。

   三、みんなよく声を張り上げたねえ

 「みんなよく声を張り上げて応援したねえ」と教会に帰って皆が言う。「本当ねえ、真剣にガンバレエって声を出していたねえ」と、あらためて気づくのだ。

 「なしか(なぜかの大分弁)?」、……ちょっと考える。

 分かる、分かる。感動したからだ。人は感動すると声がはずむ。そして自由になる。無邪気になる。

 「人は幼子のようにならなければ、神の天国にはいることはできない」とイエス様は言われた。感動している人はまさしく幼子のようである。

 けれども、パチンコの玉がよく出るので感動している、ということもあろう。それはちょっと質が落ちるなあ。

 もっと、より良質の感動ということがありそうである。もっと良質な感動とはなんだろう。絵でも音楽でも、そこにより高い人格性に出会った時に感動する。

 もっと、直接に、より気高い人格に出会ったとき、私たちは更に感動する。神様に出会ったとしたらどうだろう。まさしく、魂がひっくりかえるほど感動するであろう。

 「ちょっと待ってくれ。天を仰ぎ、無数の星を見ても感動するぜ。(哲学のカント先生みたいだなあ…)。あれはなんだ。あれは死の世界、物質世界だぜ」とまぜっ返す人がある。

 そうだろうか、あれは死んだ世界か。いいえ、あの宇宙の果てから神の声が聞こえませんか。宇宙はなぜ黙っているか(それを説明する時間は今回はないが)。

 しかし宇宙は死んではいないのである。宇宙が死んでいれば、宇宙は君を生み出すはずがない。君の母の胎は宇宙の胎なのだ。

 静まった宇宙を見る時、感動する。そこに神の声を聞くからである。

   四、ただ、神なるこの方が……

 宇宙を神とし、万物に仏性ありとする宗教的思想はよくある。しかし、それは単に宇宙意識や宇宙生命、宇宙の秩序・法則というに過ぎない。

 私の主張は、それと違う。宇宙は神ではない。神は宇宙を貫通し、内在するが、また宇宙を超えるのである。

 宇宙に神の創造の指の跡を見るのである。神はその背後にある。その方は、単一者であり、意志者であり、大いなる知恵を持ち、激しい感動者である。

 なぜなら、自ら造りあげたものを見て喜ぶのはその発明者であり、自ら演出した舞台を見て感動するのはその演出家である。

 

 神と神に造られたものが出会って共に喜び、感動する。そこがエデンの園だ。

 しかし、神がエデンの園でアダムたちを捜すと、彼らは木陰に隠れた。それは彼らの犯した罪のゆえである。そして、人間の真の喜びは消えた。

 止むなく真の喜びの代替を捜す。荒淫やギャンブルや、盗みや殺戮に快楽を覚える。それがうまくゆかないと、幸運を願って偽りの神に祈る。

 偽りの神!、偶像である。その後ろに隠れているのは悪魔である。

 偶像は単なる、木や銅や金にすぎない。しかし、その後ろにあって、人間に拝まれてほくそ笑んでいるのは悪魔である。

 悪魔は人をだます霊である。悪魔にだまされて、一時の誤った感激にふれても、それは更に過酷な恐怖と寂莫の地獄に陥る。あなたはだまされてはいけない。

 人間は神にたいして罪を犯し、神から離れ去り、そして悪魔に騙され、悪魔の言いなりになって滅びの人生を送っている。その果ては永遠の死、地獄である。

 その人類を救うため、神みずから人となり地上に生まれ給うた。イエスである。

 単一者なる神が、一方では天に残り、一方では地上にくだる。この矛盾と、この秘密には今回はふれない。

 ただ、神なるこの方が、人類の罪を背負い、人に代わって十字架上に死んでくださったのだと言おう。

 その方こそ、救世主・キリストである。この方の死に感動する、そこから信仰が始まる。私たちのイエス・キリストを信じる信仰はこの感動から始まる。《く》


〔あとがき〕最近の世間を驚かす犯罪の特徴は動機が幼稚すぎる、もしくは動機不明、なぜこんな犯罪を犯さねばならないのか、理解に苦しむような点にある。私は少女誘拐殺害もさることながら、先日死刑が求刑された北九州の監禁連続殺害事件など、何が目的なのか、さっぱり分からない。こういう妖しいまでの犯罪を生み出す現代の病理を検討せねばならないと思う。▼少女誘拐殺害の犯人の部屋にはロリコンのビデオが山積みされていたという。端的に言えば、あの犯罪の責任者はこのロリコンのビデオではないのか。こういう出版やメディアの道徳的責任が野放しで、脳の弱い犯罪の先端者が誘惑さされて罪を問われる、これは可怪しいと思う。▼今、新聞を賑わしている堀江社長の「情報はネットだけで十分」と言う説、まさにチョウ現代的。「カネさえ儲かればよい、哲学も理想もクソくらえ」という勢いだ。ともあれ、ためしにネットの受信メールを開いて見給え。受信の4分の3はHな呼びかけばかり。こんなものに目をさらすより、右派の産経でも、左派の朝日でもよい。いや、キリスト新聞だけを読んでおれば良いということにするか。この時代精神を覆すには日本民族総福音化しかない。《く》


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