キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)

1999年5月

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1999/5/30

 「ハイ、喜んでします」     

 大分で、ここ10年めきめきと成長している「キューイン」という印鑑屋さんがある。市内あちこちにきれいな店を出しているので、創業当時から社長の古閑さんを知っている私は自分の店を見るように嬉しい。

 先だって私は、住所氏名のゴム印を作り直そうと思い、その本店に行って注文した。そうしたら、注文を受けた店員さんが、「〇〇日に出来上がりますから、お出でください」と書いてある名刺をくれたのだが、帰ってその名刺を見て驚いた。

 裏面にこう刷り込んである。「キューイン、5つのお客様思考宣言」と題して、「他店でお買上げの印鑑でも喜んで無料彫り直します」だの、「他店でお買上げの印鑑ケースでも喜んで無料で朱肉をつめかえます」だのと、五項目書いてある。私は感心した。この徹底したサービス精神を見よ。私は内心うなった、「ううん、これはいい!」。

          *

 私がこの中でもっとも感動したのは、「喜んで」という一句である。私は「致知」という雑誌の旧号で読んだ実話を思い出した。それは、かつてあの第2次大戦後、ソ連の捕虜になったある人物の物語りである。

 その人はシベリヤの強制労働で酷使される。そして無茶で冷酷で裏表の多い、ソ連の将校や兵隊たちに憤慨して巧妙にサボタージュにひとしい労働で監督の目をごまかす。

 ところが、ある日、驚くべき日本人に出会った。その男はなんと、影ひなたなく、誠実に、張り切って働く。見ていて、腹が立って我慢出来ない。

 「どうして、あんたらそんなにロシアの奴らのために馬鹿正直に働くのか」

 「私たちはソ連の監督さんのために働くのではない。私たちが神様から頂いた命のために、この命を立派に使いきるために働くのです。ですから、ごらんください。生き生きとして毎日働いています。昨日の敵のロシアの奴のためでもない。自分たちが余計に食糧をもらいたいために、卑しいへつらい心で働いているのでもない。自分たちの人間本来の正しい生き方を求めて働いているのです」。

 というようなことを言う。それを聞かされて男は目がさめた。そして、その日から、心をこめて元気一杯、労働に従事し出した。監督の兵隊たちも、収容所のそばをとおる一般民間人の人たちも目を見開いてビックリした。

 「ハラショ! ヤポンスキー」というわけです。

 ある時、監督の将校が女性将校に変わった。女性になったから事更にしたわけではあるまいが、その頃から何かの作業を命じられるとすぐ、

 「ハイ、喜んでします」

 と返事をするようになったそうだ。その女性将校はポッと顔を赤らめて感動したという。この経験をしたその人物は、その後、日本に帰っても、同様の意気込みで職業につき、また青年たちを指導する団体を作った。私はこの実話を思い出したのである。

 「ハイ、喜んでします」、本当によい言葉です。

          *

 学生諸君が嫌な学科の勉強をしようとするとき、営業マンが気のすすまない顧客を訪問するとき、妻が機嫌のわるい夫に話しかけようとする時、それを「喜んでする」ことが出来るでしょうか。むつかしいでしょうか。ちょっと、難しいでしょうね。

 しかし、よい方法をお教えしましょう。こうすればいいのです、

 「さあ、喜んで始めなさい」

 と自分に命令するのです。これがいつも私の申し上げる「自己命令法」です。決定的に善い方法は、あなたはクリスチャンなのですから、

 「わが魂よ、主によって命じる。このことを 喜んでなせ」

 と命じるのです。必ずうまく行きます。これは、「いつも主によって喜んでいなさい」(ピリピ人への手紙4:4)とあるみ言葉の活用です。

 とは言え、どうしても喜ぶことができない人がいるものです。そういう人は言います。「時には泣くこともあっていいではありませんか。イエス様も泣きました。クリスチャンだって、時には怒っていいではありませんか。イエス様もパリサイ人たちに対して、時には弟子たちに対しても怒っているではありませんか」。そう言われると困りますが、私はこう思います。

 泣くことや腹を立てることはイエス様におまかせしようではありませんか。私たちの悲しみや痛み、不満や怒りはイエス様が私たちから取り去ってくださいました。私たちにはもはや悲しみや怒りは残っていないのです。しかしイエス様が私たちに直接「この事について泣きなさい」、あるいは「この事について抗議しなさい」とおっしゃることについては堂々と泣きなさい、怒りなさいということです。パウロなどを見ていると、そういう高水準のクリスチャンの姿が見えませんか。

 第一テサロニケ5:16以下によると、喜ぶことや感謝することは、「いつも」、「常に」、「万事に」です。しかし時には泣くことや怒ること、また呪うことさえ、特に「許される」かも知れません。それはクリスチャンの恣意にではなく、イエス様の許しによります。しかし、喜ぶこと、賛美すること、感謝すること、これらはイエス様の「許し」を必要としません。いつでも自由にやることを奨励されているのです。

 賀川豊彦先生のところに同居していた貧民の人達がよく「神様、病気をして感謝します」と祈ったそうです。「病気も感謝すべきである」という神学的結論からの祈りではなく、ただ賀川先生の祈りの口真似をしただけのことでしたけれども、賀川先生はそれをとても喜びました。

 感謝、賛美、喜びは、いつどこでしてもいいのです。葬式の場でも、子どもは親族やお客がたくさん来たので喜んだなどという例をよく聞きます。大人でも子どものような心になって素直に喜びの声をあげる時には、それが葬式の場では異常な事でしょうが、それでも決して失礼なことにはならないでしょう。

          *

 それにしても、どんな時にも喜べる為には喜びのエネルギーが必要です。そしてイエス様を信じている私たちにはそのエネルギーが十分にあるはずです。しかし、そのエネルギーがドンと出て来ない。なぜでしょう。心の出口に重い重い蓋(ふた)が、かぶさっているからです。その泉の噴出孔がつまっているのです。その孔の蓋を払いのけるのが「笑い」です。

  「笑い」は喜びを引き出すノウハウと言ってよいのです。ノウハウとは道具に似ています。ドライバーという道具を使うとネジを簡単に回せます。「笑い」という栓抜きを使えば、喜びの泉の出口をふさいでいた蓋が簡単にはずれます。「ワッハッハ」と笑えば喜びが内から込み上げてくるのです。さあ、「ワッハッハ」と笑いませんか。(1997.12.28.の週報から再掲載)


1999/5/23多少修正したものを5/30に再度アップしました)

聖霊よ、下り給え    

 

  一、イエス様のご復活と昇天

 今日(5月23日)はペンテコステの主日です。聖霊様の降臨を記念する祝日です。

 イエス様は、ご復活の後、40日間、弟子たちと一緒にすごされました。それから10日してイエス様のお約束のとおり弟子たちの上に聖霊が下りました。だからご復活の日から数えて50日目にあたります。ペンテコステとは第50というギリシャ語です。この日をペンテコステと呼ぶ言われです。

 イエス様がオリーブ山から昇天された後、弟子たちの興奮はなかなか消えなかったでしょう。イエス様の思い出を語り合うだけで日のたつのを忘れたことでしょう。しかし、問題がありました。最後にイエス様が言い残されたお言葉が彼らの心を捉えていました。

 「あなたがたは、全世界に出て行って、すべての国民に福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。彼らを更に弟子としなさい。信じて弟子となった彼らには、これらのしるしが伴う。すなわち彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また毒を飲んでも害を受けず、病人に手をおけば癒される。」(マタイ28:19とマルコ16:16〜18を参照)。

 又、40日の間の何時だったか、食事の時にこうお命じになりました。

 「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう。ただ聖霊がくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤからサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう。」(使徒行伝1:3〜8参照)。

 このようなイエス様のお約束が、まだ弟子たちの現実となっていないことに、彼らは欝然たる思いがあったでしょう。そして、このお約束が成就される日を待ち望んだことでしょう。

 彼らは「エルサレムを離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい」とのお言葉にすがりました。

 彼らは120人、エルサレム市中のある家の2階座敷に集まりました。イエス様が十字架につかれた時には12人の弟子たちも、72人の弟子たちも、その他の男性も一人もいません。ただ女性の弟子たちが数人いただけです。男の弟子たち特に恥じ入っていたことでしょう。しかし、そんなことも言っておれません。

 とにかく、イエス様が約束してくださった聖霊の力がほしい。彼らは集まらずにはおれませんでした。集まった人たちは120人!

 イエス様のご復活の事実は、弟子たちを少し大胆にさせ、伝道めいたことも出来、多少、信じる者たち殖えていたということでしょうか。

  二、ペンテコステの事件

 その日、イエス様のご復活されてから50日目、120人の弟子たちは心を一つにして祈っていました。まだ、朝の九時でした。多分、昨夜から徹夜祈祷をしていたのではないでしょうか。その時の状況を聖書はこう記録します。

「突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起こってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分かれて現われ、ひとりびとりの上にとどまった。すると一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろな他国の言葉で語り出した」(使徒行伝2:1〜4)。

 この「いろいろな他国の言葉で語り出した」という現象を聖書の言葉で異言というのです。もっとも、これは日本語聖書の翻訳でして、誤解しやすい言葉です。私は「舌言」と訳せばよかったのにと思います。体験すれば分かります。大抵の異言は舌が勝手に動いて何語とも知れぬ言語をしゃべります。昨年天に召されたO姉などは、舌がぺらぺらと動いて見事なものでした。 ですから原語のギリシャ語では「グロッサ」と言います。ずばり「舌」と言う言葉です。英語の聖書でも簡単に「タング」(舌)と訳しています。日本訳だけはなぜか「異言」という異様な言葉です。それかあらぬか、日本の教会ではこの異言現象を嫌います。

 かつて私が青年時代に読んだ参考書や注解書では、「異言とは聖霊によって忘我(恍惚)状態になって、何か分からぬ言葉を発すること」などとありました。これらを書いた著者たち自身に体験がなく、見たことも聞いたこともなく、想像だけで書いていたことは明らかです。最近はそれほど無知ではありませんが、それでも異言に対する無理解や誤解、反感は激しいのです。

 ところで、この異言の声があまりに大きく、激しかったのか? あるいは風のような音というのが驚くべきものであったのかもしれません。

 先年、日本リバイバルミッションの滝元順先生など、数名の方々が山の家に行って祈っている時、ゴォーッという物凄い音がして、あるものはぶっ倒され、驚いてみんなが逃げ出すと、その音は更に彼らについてきて、彼らが教会に帰ると同時に彼ら全員を床の上にぶっ倒してしまったと言います。そんなことだったかも知れません。その物音にエルサレム中の人々が何が起こったのかと、驚いて集まってきました。そうして市民は冷笑して言った。「あいつらは酒に酔っているのだ」と。そこでペテロが言いました。「皆さん、今は朝の九時です。どうして今頃から酒に酔うことなどあるでしょうか」。

  三、異言ということ

 私の異言の最初の経験。夜汽車の暗い客席で、他の客は誰ひとりいません。私は一人で祈っていました。急に舌がもつれて日本語ではない訳の分からぬ言葉が口から出はじめました。私は自分がノイローゼになったのかと思ったことです。その時は、しずかな語調でした。

 ところが、第2回目の体験なのですが、それはT先生の聖書講義の時です。講義が終わって、先生から「釘宮君、祈りなさい」と言われて、「ハイ」と祈り始めた途端、「カカカカカッ」と喉元から声が飛び出し、背中が引きつって仰向きに倒れました。そして、ただ「カカカカカッ、カカカカカッ」と叫んでいたのです。そして後方に大きな風の音を聞きました。「これはまさしく聖霊様だッ」と思いました。

 私たちが不思議に教会に導かれたり、また思わずイエス様を信じる心が起こったり、また聖書の言葉が急に光を放って魂に飛び込んできてずばり聖書の言葉が理解できるようなことが起こる。そうした体験で、嬉しくて胸がワクワク、居ても立っても居れなくなる。これは確かに聖霊様の働きであると、当人の私たちには分かります。しかし、他人の目には分かりません。これが「聖霊によって」起こることです。

 ところが、異言は外からの目にも分かる。この体験は自己の内面だけではなく、外の人にも分かるのです。ともかく「あいつらは酒に酔っているのだ」と誤解されるにしてもです。これは「聖霊を受けた」からです。

 「聖霊によって起こる」事態は人には分かりません。「聖霊を受けて起こる」事態は他人の目にも分かります。更に付言すると、「聖霊を受ける」ということと、「聖霊に満たされる」ということにも違いがあるのです。私の第1回の静かな異言はとにかく「聖霊を受けた」のでありました。しかし、第2回目の異言はまさしく「聖霊に満たされた」体験であったと確信します。もっとも「聖霊に満たされている」という状態、つまり「日々に聖霊に満たされ続けている」状態は、これまた違います。さらに「聖霊の油注ぎを受ける」、これは更にまた別のことだと思います。こうした聖霊経験の種々相を体験的に見極め、神学的に正しく整理することは教会内部の仕事として大事なことです。

 ともあれ、この第1回のペンテコステ体験により弟子たちは、「世界に出てゆき、すべての造られたものに福音を宣べ伝え、悪霊を追い出し、病人を癒やす」という主のお言葉の通りの力が与えられ、その将来が約束されたのです。

 イエス様の十字架と復活を自分の魂のこととして体験する時、平安と喜びが与えられます。その上に聖霊様が下ると、更に力ある伝道と救霊の活動を為す主の弟子に変えられるのです。

 奉仕の業は聖霊様の助けがなくては、きびしい我力による努力の業になってしまいます。聖霊様のバックアップなくしては、喜びに満ちた伝道や奉仕の継続は非常に困難です。

  四、補 足

 今回は時間が無くて、整った文章を作れませんでした。ペンテコステについては、又の機会にもっとよく整理したいと思います。

 キリスト教会の暦で特によく知られている祝日の第一はクリスマスでしょう。それからイースター(復活節)、そしてこのペンテコステです。上記のほかに、十字架のイエス様を偲ぶ受難週と受難日、あるいはクリスマスを迎えるアドベント(待降節)の日などを守ります。

 ペンテコステの日はイエス様のご復活の日から数えて50日目、その復活節は春分の日の後に来る満月の日の次に来る日曜日にあたります。 今朝、ペンテコステの恵みを待望しつつ。 


1999/5/16

 バイクでキューンと          
        過激派牧師が来る
            
  
−アーサー・ホーランド牧師−         

 目立ちがりやである。本来そうなのか、それは知らない。イエス様のためなら、人がびっくりして見てくれることを、なんでもやる。それが、アーサー・ホーランド。

 お父さんがアメリカ軍人。お母さんはれっきとした日本人。顔がハーフでかっこいい。それがナナハンのバイクに乗ってキューンと行く。だれもが驚く。
 「えっ?、彼はキリスト教の牧師? ……!」

 かつて、僕らの教会にはキン・ビョンゴンさんという韓国人の牧師さんが来た。この人もナナハン、赤いつなぎを着て、背中に「神は愛なり」てな具合。これで国道1号線の車を「オールカー・ストップ」と一列縦隊に止めてトラクトを配ったことがあるという。たしか、その車で世界一周、アンデスの山を越えた話は面白いし、勇壮だ。

 案外、こうしたバイク好きの牧師もいるものだ。過激派と言おうか、突撃型と言おうか、松山の日本福音センターの万代恒雄先生なんかもそうだった。ナナハンではないにしても、大型のバイクでキューンと松山から高知のほうへ四国山脈をこえてスッ飛んで行った。

 聞いたら、「ああ、あのスピード、あの震動、あの風当たり、こたえられない」と言う。

              *

 さて今回、僕たちの教会にくる、アーサー・ホーランド、ときどきテレビに出る。なんたって、やくざの大物小物を次々にクリスチャンにしてしまった人。一昨年だったか、刺青入りの元やくざの連中を5、6人たばねてミッション・バラバなる伝道チームを結成、大々的にアメリカに乗り込んだ。(ちなみにバラバとはイエス・キリストの十字架刑のおかげで身代わりに命を助かった男の名前)。シカゴの伝道会ではギャングの若者が悔い改めてイエス様を信じたという話がある。

 キリスト教の伝道と言えば、アメリカから日本へ、これが常識。ところが、日本からアメリカへ、キリスト教の伝道、これだけでもカッコいい。しかし、見栄や格好だけではない。アーサー・ホーランドの信仰はホンモノなのだ。

 僕らの信仰とは、精神修養ではない。しんどいことをするのではない。福祉活動でもない。イエス・キリストによる生命の革命である。キリストの命が僕たちの魂の中心にはいってきて、いっぺんに人間が変わるのである。

 ホーランド牧師の話を聞いただけで、今でもやくざの世界の歴史にのこる大阪戦争の片方の組頭や、日本一のヤクの取引高を誇った男が信仰に入った。それだけでない。今や、その人も牧師をしている。

 また、僕らの信仰とは、ファッションではない。流行ではない。フィーリング(気分)でもない。確かに、確実に、あなたの人生を変える力である。

              *

 多くの人が困るのは、病気である。貧乏である。夫婦や親子の仲違い、冷たい感情、憎しみ、失恋、裏切り。事業が倒産して保証人に迷惑をかけた、顔をさらして町を歩けない。研究に失敗した学者。人気を落した俳優さん。絵を書けない絵描きさん。落選した代議士さん。心の病気、神経症、自閉症、暗い暗い毎日。その人に救いが来る。

 光がパッと心の部屋にはいってくる。暗い男が明るくなる。弱い男もほうれん草を食ったポパイのように、力がモリモリとわいてくる。愛せない人を愛せるようになる。

 だまされて泣いていた女に喜びがくる。自信の無かった母親に育児の自信が湧く。本当に神様に愛されていることが分かるから。

 過去に犯した罪、人をだまし、迷惑かけて逃げ出した。約束を破って償いもせず、心の中はうずいて、片手で拝んで逃げ出した。そういう罪の思いで悩んでいる人も、安心してください。

 イエス・キリストは言われました。「医者を必要とするのは病人である。私は罪人を救うため、罪人を尋ね出して救うために、この世に来たのです」と。又、言いました。「すべて重荷を負うて苦労している者は私のもとに来なさい。私はあなたがたを休ませてあげます」と。

 聖書でいう罪とは実は警察のご厄介になる法律上の罪以上の事です。人間は本来、宇宙万物の創造者である唯一の神様の御心を行うよう造られたものです。しかるに、本来の使命を忘れて、神様の御心に背いて生きています。罪の性質が誰にも遺伝しています。幼児の時に早くも教えられなくても嘘を言います。

 人間が心の中で思っていることが、額(ひたい)の上にテレビでもあって、そこに心の中がみんな絵で出てくるとしたらどうでしょう。とてもじゃないが、恥ずかしくて道になんか出られない私たちです。

 そのような私たちでも、イエス様に頼ってゆけば、そのきたない心も赦してくださる。そして清めてくださるのです。イエス様に向かって心をきめて「イエス様、あなたこそ私の救い主です」と呼びましょう。イエス様は、そのように呼び求める私たちを喜んで救ってくださるのです。

 救われるとは、こういうことです。

 (1)神様の清い子どもとして認められることです。過去の罪はすっかり赦されるのです。(神の子としての身分の確立、霊性の保証)。
 (2)私たちの心を清め、病気をいやし、健康にしてくださり、お金や人間関係や社会的地位などを健全に守ってくださるのです。(地上における肉体的精神的健康の維持、回復)。
 (3)死の恐怖を完全に乗り越える。死後はかならず天国に行きます。天国において人格はさらに天使のように成長し、永遠に生きるのです。

              *

 さて、このアーサー・ホーランドに、なんでそんなにバイクが好きなんですか、と聞いたら、

「はい、聖書に神ははじめに天と地を造られたとあるでしょう。バイクに乗ると、そのことをつくづく感じ取れるんです。夜なんか、ハイウェイを独りで走っていると、闇の大気に包まれて地面を走っている、ああ、オレは神に愛されているな、ってね。人間は一体感を求める存在だなと思う。バイクはそれを鮮明に感じさせてくれるんです」

と、答えてくれた。なんだか暴走族の兄ちゃんの言うことみたいで、ますます牧師らしくなくなったけれど、この突っ走りバイカー、アーサー・ホーランド牧師がきます。みなさん、この牧師さんのイエス・キリスト様体験を聞きにきませんか。見にくるだけでもいいですよ。

 アーサー・ホーランド伝道大会
     日時 7月13日(火)午後7時から
     会場 キリストの福音大分教会
初めての方もご遠慮無くおいでください〔入場無料〕


1999/5/9

神の計画と恵みは完全である     

   一、チャンドラー先生の聖会

 この5月3日、4日、中津扇城教会でチャンドラー先生を迎えての聖会があった。数人の姉妹方と参加したが、期待にまさる素晴らしい聖会だった。もっと皆さんに強くアッピールして、もっと多数のメンバーに来てもらったら良かったのにと、後悔したことである。

 先生は毎年、今頃の季節、オーストラリアから日本に来られて沖縄、九州から本州へと北上されるのが習わしであった。私は先生とは南九州リバイバル聖会以来、年来のなじみでもあった。今回も聖会の冒頭で先生は言った、「教会の礼拝はいつも賛美と喜びであってほしい」と。まさにそういう聖会を先生は導いてくださる。

 この度の先生のメッセージを簡単に私の補足も入れて紹介したい。

   二、神様の全きご計画のもとに

 エペソ書1章3節から11節までを読むと、私たちは世の造られる前から、神に選ばれており、神の永遠の計画のなかに生かされているのだということが分かります。

 そうすると、私たちがこの地上で生きて行く上で、何をなすべきか、その第一優先順位は何か、それはおのずから分かるのです。イエス様もご自身について言われたとおり、「父なる神のみ心を行なう」(ヨハネ5:30、6:38参照)」、それが第一優先のはずです。

 もっとも、この「み心を行なう」という言葉が多くの実直な人を困らせると思います。神様のみ心とは何か、あまりに膨大すぎて、象徴的すぎる。この言葉を聞く時、聖書の命令形が全部どっと押し寄せてくる感じで、圧倒されてしまうのです。

 ここでローマ人への手紙第12章1、2節を拝読します。3つの重要なテーマがあります。

 第一は、私たちは自分自身を神に「生きた聖なる献げ物」としてささげねばならないということです。私たちは旧約時代の殺されて血をしぼり取られる動物犠牲ではない、生きた聖なる献げ物として神様に捧げられるということです。よく「キリストにあって死ぬ」と言います。しかし、これは具体的肉体の死でない、「自我意思の死」にほかなりません。高森久美子先生のおっしゃる「主の主権に委ねる」ことです。

 ところで、その結果として、事実としては肢体は残ります。この残る肢体を「義の武器」として神に捧げる、これが「生きた聖なる献げ物」ということです。

 第二は世と妥協してはいけない、ということです。言い替えれば悪魔の声を撃退するということです。世と神の御心とは相反する。世の思いを捨てて神のみ声のみに従うということです。ここに選択ということが起こります。そして正しい選択をするために必要なことが次の第三です。 第三は「心を一新」です。ここで、「心」と言うのはマインド(魂)のことで、つまりクリスチャンは霊においてすでに救われ、清められているけれど、心はまだ地上にひかれています。この心を変えて一新するのです。地上の生活の思いの一切を神様に明け渡すのです。

 もっとも、自動車で言いますと、そのハンドルをまったく主に任せてしまう「主権委譲」型と、主には助手席に座っていただいて、主のご意志を体し、また主の助言に忠実に従って、善き支配人(マネージャー)としてハンドルは自分で握っている型です。いずれも「主の主権に委ねる」ということは変わりありません。

 普通、この支配人の生き方が尋常なタイプでしょう。ハンドルをまったく主に任せるのはエクスタシー的全托で特殊な場合になります。

 この支配人としての生きる場合、一つ一つのことについて神様の御心を聞くという秘訣が重要なことになります。

   三、全き神の恵みを代価なしに頂きなさい

 まずエペソ人への手紙第2章8節を読みましょう。主題は「恵みと信仰」であります。端的に言えば、信仰とは何一つ代償無く、恵みをそっくり頂くことです。これは、最初の信仰入門の時に学び、また事実、多くの兄弟姉妹がたが既に体験しているところです。

 しかし今回は、これが信仰のその後の成長の過程にあっても、何一つ代償無く、全くの無代価で恵みを頂ける、そのことを強調したいのです。格別に熱心に働いて、苦心して、努力する必要はないのです。

 パウロ先生が肉体を病んだ時、癒しを求めた、すると主は言われた。「私の恵みはあなたに十分である。私の力は弱いところに発揮される」(コリント人への第二の手紙第12章9節)と。十分とは欠けるところなく、完全ということである。あらゆる聖霊の賜物、その実、それらすべての善きものが十分に恵みとして無代価で与えられる、というのです。

 ところで、代価は不要ですが、その後、その頂いたものを使わなければ無意味である。たとえば日本昔話の一寸法師の打ち出の小槌、これを貰ったならば、これを振って大判小判を振り出さなければ勿体ない。そのまま隠しておくなら無用の長物である。故に最後に言う「求めなさい、そうすれば与えられる」。然り、すでに得ていると信じるのです! 


1999/5/2

闇を突き抜けて「ワッハッハ」    

 明治のころ、青年たちがよく集まる家があった。口々にこう言った。

 「きみ、悲しいではないか」

 おはようとも、こんにちは、とも言わず、そう言い合うのが慣わしのようになっていた。評論家の永畑道子さんが、そのお姉さんから聞いたという話である。青年たちは当時の政治状況や一般の世事や自分自身を顧みてであったろう、悲憤慷慨である。その青年たちが集まる家というのは熊本にある永畑さんの実家である。明治の熊本だとすれば、このエピソードもなるほどと思わせられる実感がある。

 私は終戦直後、熊本に行ったことがある。まだ全市、家並みは焼けたままという感じだった。熊本駅前から水前寺まで歩いた。その途中で、目を見はった。向こうからくる老人(と言っても五十歳くらいだったろう)のあたまがチョンマゲなのだ。いくら何でも、昭和初年はおろか、大正でも、明治でもその後半なら、チョンマゲの人間など、もう日本では見ることはできなかったであろう。

 「しかし、………」、私は思った。この熊本なら、こういう人物がいても可笑しくない。アメリカの占領に対する抵抗であったろうか。あるいは、その頃の日本国内の風潮に対する、それこそ悲憤慷慨の現われであったろうか。いや、単なるその人の長い人生の習慣なのか。ともあれ、この人は神風連の生き残りではないかとさえ、私には思えた。

 さすが、熊本である。前記の「きみ、悲しいではないか」という思わせぶりなせりふも、明治の熊本ならありそうな気がする。

              *

 私は若い時、以上の熊本の青年たちのような深刻ぶりが好きであった。人々がなんでもないことに、笑い興じている姿は好きでなかった。まして、くだらぬ冗談や、卑猥なジョークで辺りかまわずヘラヘラ笑っている構図には我慢ならなかった。見まわせば、

 人生にも社会にも、矛盾と不条理が多すぎる。それに対して私たちは無力すぎる。いや、自分たち自身に同じような不遜なうごめき、偽善の思いがある。「きみ、悲しいではないか」と言わざるを得ない。

 だから私は「真実に生きようとすれば悲哀の人にならざるを得ない」と信じていた。キェルケゴールの写真を見たら、彼は右手を胸の襟に差し込んでうつむいて歩いていた。私も長いこと、同じように真似をして、下を向いて歩いたものだ。

 よくある世上のイエス様の絵のお顔はまさしく悲しげである。あのような表情は当時の私の気持ちにぴったりであった。イエス様はオリブの山からエルサレムを見て泣いたと聖書にある。ラザロの墓の前でも泣かれた。そう言えば、預言者エレミヤも泣いた。眼窩が泉であればよいのにと彼は言っている。私が当時愛読した藤井武の一連の文章にも影響されたと思う。とにかく、私は悲哀の人が好きであった。

              *

 そのような私が、今どうして「笑えば必ず幸福になる」などと軽々しく言うのであろうか、と疑問を持つ方もおられるかと思う。たしかに、この疑問には答えねばなるまい。ただただノーテンキに笑っておればいい、と私も思っている訳ではない。

 キリストはたしかに「悲しみの人で、病を知っておられ」(イザヤ53:3参照)ました。「私たちの病を負い、悲しみをになって」(イザヤ53:5参照)くださったからです。キリストは宇宙をもってしても飲み干せないほどの悲しみと苦痛を負ってくださった。それは私たちの罪と病いを代わって背負ってくださったのです。宇宙最大の暗黒事件でした。

 ところで、この暗黒から光明が生まれるのです。「夜ふけて、日近づく」(ローマ13:12)というのはこのことです。復活の原理です。

 アサガオのことを研究した人がいました。アサガオは朝日の光を受けて開きます。しかし、24時間光をあててもアサガオは開きません。その研究者は長い時間をかけて観察しました。光とか、温度とか、それだけでは駄目でした。最後に分かったことは、朝に先立つ夜の時間、冷たさと深い闇の暗さがあってこそ、アサガオの花は開くというのです。

 闇がなければアサガオは咲かない。この「咲」という文字は本来は中国では笑うという字だそうです。日本にこの文字が入ってきた時、日本人はこの文字に「わらう」という意味をあてはめたのです。梅や桃や桜やツツジ、菖蒲やアサガオ、これらの花が咲く時、これに「わらう」という文字をあたえました。この「わらう」ということが、実に深い闇の時間のあとにくるのだと知って驚きました。

 せんだって畏友の一人が地方選挙に立ちました。それこそ、前記の青年たちではないが、日本の現状を思い、「皆さん、悲しいではありませんか。本当に日本を変えたいと思いませんか」と立候補しました。

 私は選挙事務所に言って激励もし、「ワッハッハ、大勝利」と色紙を贈りました。しかし残念でした。最低の473票で落選しました。

 私は彼を慰め、励ますつもりでかけつけました。しかし彼は言いました。「先生、この私を信じて投票してくれた人が473人もいたということに感激しています」。そういって彼は大きく呵々大笑しました。落選という辛い体験を突き抜けて「ワッハッハ」と呵々大笑している彼を見て、私は全身震えるような感激を覚えたのです。 

 


 

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