キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(バックナンバー)

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2005年4月


2005/4/24

(「日岡だより」第173号)

汝の敵を愛せよ(一)    

 イエス様の言葉はズバリ、中心を突く。
 誰も言えなかった言葉である。人類の常識を遥かに突き抜けます。
 日本の歴史で言うなら、親の仇を討つのは孝行である。主君の恨みを晴らすのは忠義である。忠臣蔵は日本人の最も愛する芝居。
 悪しき仕打ちに対して復讐心を抱き、それを遂行するのは男子の義務ですらある。非道な悪人に対して復讐するのは、時に決死の勇気を要することもある。しかし勇気こそ徳である。ローマやギリシャにあっては、勇気と徳は同意語であった。
 しかし、イエス様は最高の徳を説かれた。「あなたを呪う者を祝福せよ」と。こんなことを語った人は他に一人もいない。イエス様だけである。
 事実、イエス様は、十字架の上で、ご自身を殺す者に対して父なる神の赦しを乞うている。
 この方を見て、当の十字架刑の指揮官であった百卒長は「この方は正に神の子であった」と言った。正に、さもあらんと思う。
 先日、中国で反日デモが繰り返されていた。中国政府による日本批判を聞けば、青年たちが斯く激昂するのは当然であろう。われら日本人、理解してしかるべきである。
 しかるに、日本人で在日中国公使館に刃物を送り突けたり、建物にインクや何かを吹き付けた者がいる。大国日本人としては恥ずかしい限りだ。
 日本政府の釈明外交も嫌だが、素知らぬ顔の外交もすべきではない。今こそ、日本人友好奉仕団を結成して中国を訪問するボランティア旅行団は現われないか。無視されても、嫌な顔をされても、誤解され殺されても結構ですという、ボランティア団の出現を私は期待している。《く》
 

汝の敵を愛せよ(二)     

 昔、津田さんという方だったと思うが、その息子さんが殺された。たしか、終戦直後の物の無いころで、その息子さんの持っていた写真機をねらわれての殺害事件だったと思う。
 さて、殺人犯が捕らわれて未決監にはいっている時、その津田さんが犯人に面会を求めた。そして聖書を持って行って信仰をすすめた。
 遂には、その犯人たる人を養子に迎えた。死んだ息子の身代わりにである。
 こうした並はずれた愛を抱かせたものは何か。津田さんが罪と死の底から人類を救い出してくださるイエス様の愛と恵みを体験していたからであろう。

           *

 私はその後、津田さんとその養子になった人との様子を聞かないので、お2人の間がうまく行ったのか、どうなのか知らないので、証しとして持ち出すのは心配なのだが、一応例として読んでください。
 実は最近、殺人事件の犯人たる被告に対し、無期懲役等の判決は言い渡されると、被害者の遺族から「軽い刑で残念だ。あれでは死んだ者が浮かばれない、なぜ極刑の判決が出されないのだろうか」等の談話が新聞に載る。
 無理もないと思う。その方々に対しては同情のない批判に聞こえようが、私は以下のように思うのである。どうして「良かった。死刑でなくて良かった。生きていてくれて、イエス様の救いの福音を信じて、神の子として死ねる人になってほしい。そうするなら死んだあの子も天国にいて喜んでくれるだろう」等々の声が聞かれないのだろうか。
 イエス様を信じていない遺族の方々が軽い判決をくやしがる気持ちはよく判る。しかし、以上のような願いがこの日本でかなえられる日がくるよう私は祈っている。
 主の福音をこの日本民族につたえる総福音化伝道の働きを、早く更に大きくしたいものである。《く》
 

大東亜戦争の反省     

 大東亜戦争が最後にはハル・ノートの挑発に乗せられて日本軍部の「やるっきゃない」という、一か八かの真珠湾攻撃で悲劇的太平洋戦争に転落してゆく様は、ある意味で喜劇ですらある。
 太平洋を戦域とする大戦力投入を試みたアメリカにとっては、まさにあの戦争は太平洋戦争であった。しかし日本にとってはあの戦争は、あくまでも大東亜戦争である。太平洋戦争はしてはならなかった下手なバクチであった。
 大東亜戦争は壮大な東アジア解放という目標をかかげて始められた。遂に日本は負けたにしろ、この勝負には勝ったと言える。日本軍が敗北してゾロゾロと引き上げ、少数の軍人たちは各地の解放戦争に加わって勝利もした。ともあれ、かつての欧米諸国の植民地はこぞって独立、解放されたのである。
 これを日本の大東亜戦争の「勝利」だと言っては詭弁じみるが偽りでも無い。しかし、そう言ってしまえば後味が悪いのも事実だが。
 日本の東アジア解放という壮大な目標は、一部純真無比な「アジアは一つなり」主義者は別として、軍部を初めとし、政府も、そして国民にも、それは一応の建前(たてまえ)であった。
 本心は、形式はともあれ日本領土にするか、属国、言い替えれば新植民地にしようと思っていたのに違いないのである。このことは日本国民上下一致して「黙って了解」のことで無かったか。
 しかし、私は建前の「東アジア解放」の言葉が日本敗戦後ちゃんと達成していることに、一種の「告白宣言」の論理を感じている。良いことはやはり声を大にして「公言」しておくことだと、最近思っている。偽善者を生む恐れは十分あるけれど。

           *

 しかし、最後に言及したい。日本の戦争責任の事である。「日本は反省せよ」とか、「日本は悪いことをした、この責任を取れ」とか言う中国や韓国の言葉は誠実に受け入れるべきである。
 中国についても、韓国についても、賠償等の責任負担はすでに免責されていると私は考えているのだが、それでも日本は公式に文書ではっきりと反省と陳謝はなすべきであろう(村山談話を越えて)。
 靖国問題や慰安婦問題などで日本を責め立ててくるのは、日本人には執拗すぎると思うだろうが、中国や韓国の人々が、心が一向に癒されていないのは事実である。今に至るまで、「日本が憎い、孫子の代まで、この恨み、忘れないぞ」と骨髄に徹しているその恨みは、心の底に潜在しているだろうと私の思うのは思い過ごしか。
 それは、あの「侮蔑心」である。中国人も韓国人も誇り高き人々である。かつ事実、初めに日本人に文明を伝えたのは彼らでは無かったか。それがちょっと力を蓄えたと思って、日本人は今、我々を見下げている。「チャンコロ」と呼び、「チョウセン」と呼び、劣等国民のごとくあしらった、あの恥辱は忘れられないだろうと、私は推察するのだ。
 彼らにしてみれば、その恥辱を今持ち出すのは嫌だ、過去の侵略や慰安婦や靖国問題も本当に腹立たしいが、それ以上に、あの恥辱は口に出すのはたまらないのではないか。この辺をよく理解しつつ、日本国政府は反省、陳謝することを控えてはならないと思う。《く》

 

〔後書き〕先週、栄光の賛美教会(大分市森)の篠光子牧師先生が先導なさって大分・別府在住の牧師、牧師夫人がた17名が揃って大分県キリシタン遺跡巡礼のバスツアーを持ちました。篠先生の説明、奨励がすばらしかった。日本のキリシタンの信仰の純粋さ、強さは世界に比類がないと、当時の宣教師たちが書き残しているという。その中でも我が大分県の殉教キリシタンたちの輝かしい様子を篠先生が語って下さって、私たちの心は燃えました。▼あの殉教者たちの信仰と愛と謙遜をもって、中国に下座奉仕の旅をする日の来ることを願っています。イエローハットの社長鍵山秀三郎氏が同志の企業家たちと共にブラジルに便所掃除の奉仕に行かれ、驚嘆と賛嘆を浴びました。大正の西田天香さんの「懺悔の生活」で残された行願です。この行願を「キリストの福音」で活かしたいのです。《く》
*「行願」天香さんの発願、各戸便所掃除のこと。


2005/4/17

(「日岡だより」第172号)

主よ、慰めたまえ    

 敬愛する私たちの高森久美子先生が召天されました。突然、ご子息の恒喜先生からの電話で驚愕しました。週報でここ2週つづけて、高森久美子先生は奇蹟的に回復していますと公表してきていただけに、突然、落とし穴に落ち込んだような気持ちです。
 「何で……?、神様」と言いたくなります。旧約のヨブやエレミヤやハバククではないですが、天に向かって不平の一つも言いたくなります。
 「なぜ彼女を奪われたのです。」
 私でさえこうですから、ご主人の博介先生はどうでしょう。「さぞかし、辛いだろうなあ」と、お見舞したいのですが、その言葉もありません。
 博介先生から、あの電話があったのはわずか1、2週間前のことでした。
 「私が家内のおなかに手をおいて祈ると、手の下で何かがぐるぐる動きまわる感じがして、そして急に家内は元気になったのです。今は病院の廊下を歩いているし、会話も出来ます。」
 そういう感じは私もよく理解できます。癒しの祈りでは、よく起きることです。私は先生の電話にすっかり喜んで「先生、よかった、よかった」と声を上げたのは、本当に先日のことでしたのに。
 肩を落した感じで宮崎行きの電車に乗りました。葬儀場に着くと、一番前の席に毅然としている博介先生を見ました。私は思わず、預言者エゼキエルを思い浮かべました。エゼキエルは神のみ言葉により妻の死を教えられ、その夕べ、彼の妻の死を迎えたのでした。涙を外に見せませんでした(エゼキエル24:15以下参照)。
 私はエゼキエルを偲びました。そして、先生の心中の深い悲しみと久美子先生への愛を思ったことです。主よ、先生を慰めたまえ。《く》

聖霊の磁場で    

 私は少し早めに着いたつもりだったが、葬儀場は既に会葬者で一杯だった。司会は福岡神の愛教会の中山先生がされた。司式者はもちろん久美子先生の恩師永井明先生。式辞で永井先生が力強く語りだされた時、一般葬祭場のホールでありながら、霊的空気が満ちて来る。
 永井先生の大阪の茨木伝道、本当に初期のころ、阿部一家が救われてゆく想い出が語られる。想い出の話というものは普通楽しげに語られる。しかし、今回は天に帰られた久美子先生を交えての想い出、永井先生の回想は特に「救い」という言葉を重ねて積み上げてゆく。簡単な言葉のようであるけれど、どうしてどうして、この「救い」という言葉の凄さ。 よくキリスト教会で手軽に取り上げられる「救い」という言葉だが、ここでは一人一人家族の人たちが確実にイエス様のもとに救い上げられてゆく物語、正に伝道説教風であるけれど、その「救い」の語りべが永井先生、その時の当事者であるから、今、実存性をもって響いて来るのです。
 特に久美子先生のご尊父の阿部翰一郎先生のことです。翰一郎先生は礼拝の時刻前に来られ、多少とも批判的な気分でいたと思われる先生は、上から何ものかに押さえつけられるように頭が下ってゆき、ついに額を畳にくっつけるまで全身がかがんで、遂にこれまでの生涯の罪の一つ一つを思い出させられ、その一つ一つを悔い改め、イエス様を受け入れるまでに、目に見えぬ方の取り扱いを受けられたのです。そしてやっと礼拝が始まったと言います。
 私は圧倒されました。これは伝道説教ではない、牧師たる私に対する聖別説教でした。私は悔い改めざるを得ません。聖霊の臨在のある礼拝、礼拝が始まっていなくても、すでにそこに聖霊の磁場が働いて、座する者に否応を言わせぬような働きかけをなさる、そういう礼拝に奉仕する牧師でありたいと、私はしみじみ思ったことです。

牧師の家庭    

 故久美子先生を見ていると、牧師夫人として第一級の理想像を見ているような気がします。どの牧師先生の奥様がたを見ても、皆すばらしい、これはイエス・キリスト福音の群の特徴かも知れません。
 教会の批判の中で、牧師夫人の存在が槍玉にあがるのは、よくあることです。ところが永井明先生がひきいる、この教団ではそれが感じられません。永井明・英子先生を模範として気づかずして修得されている結婚の霊的賜物でありましょうか。
 私どもの教会は「福音の群」の協力教会として位置を保っているけれども、ほぼ「群の教会」として内外ともに見られているかもしれませんし、私もその積りでいます。感謝しているのですが、特に永井先生や高森先生と似ている、その一つは私ども夫婦の仲の良さでしょうか(笑)。私の妻も出来は良いほうですが、しかし、久美子先生には一目置きます。
 説得力あるカウンセリングや説教の能力は抜群です。よく祈り抜かれる、その霊的努力や、霊的知恵の賜物も抜群です。
 牧師夫人として、夫に仕え、特にお子さんがたを育て、牧師の家庭を築き上げてゆく力も、他の知的力に勝って凄いと思っていました。これら私の見るところは浅薄で短慮、偏りもありましょうが、しかし、日ごろから私の久美子先生を尊敬していた所見の一端です。足らないところ、誤った所は、高森先生初め御遺族の方々、お許しください。

           *

 御遺族と言えば、実は先に触れた阿部翰一郎先生、驚いたことに久美子先生の召される一週間まえに既に天に召されていたということ、これに触れないわけには行きません。
 このことを初めに聞いた時、私は自分の耳を疑ったほどです。久美子先生の葬儀場で染本先生からお聞きして、やっと本当なのかと思った。
 (染本先生は翰一郎先生の御長女ひろ子先生の御夫君で翰一郎先生の創立なさった緑の牧場教会の主任牧師です。翰一郎先生は茨木教会で救われた時、某大会社の重役でした。茨木から1年で東京に転勤、そして退職後、献身、府中市で教会を創立された、と聞いています)。
 私は翰一郎先生には地上では2度しかお会いしていませんが、最初のそれはチョウ・ヨンギ先生が伊豆の天城山荘で聖会を持ってくださった時、先生と同室に宿泊しました。その時は、しろうと牧師同士ということで親しくなりました。私はまだ永井明先生に発見されていなかった時です。
 その後、今度は永井先生の聖会で有馬温泉の会場で一緒になりました。そして先生の御謙遜な説教スタイルに心を打たれたものです。私は永井先生のご要望で「牧会漫談」と称して乱暴なスピーチをさせていただきました。
 翰一郎先生の御葬儀は葬儀場の関係で式日が遅れて19日になるのだそうです。天国の門で、先生は久美子先生を待っておいでで、お2人手をとりあって、天国に入られるでしょうか。いろいろ想像させられます。
 ともあれ、天国に帰る朝、それは凱旋です。今回の久美子先生の葬儀でも聖歌638番を歌いました。正に凱旋の歌です。先年、土岐兄の奥様の葬儀で「クリスチャンの死は天国への凱旋である」と言ったら会衆席の土岐兄の友人がたが歎声を漏らしたそうです。私も今後は葬儀関係ではこの聖歌を使いたいと思ったことです。ハレルヤ! 《く》

〔あとがき〕前述のように高森久美子先生の御召天は衝撃的でした。当教会の特に女性群はほとんどすべて久美子先生のファンでしたから、今日はじめて知って悲鳴を上げる人も多かろうと思います。私も実は感慨無量で葬儀中も何度も涙ぐみました。そんなことで前記の記事は書けそうで書けなくて苦吟しました。自ら満ちたりぬ文章になりましたが、ご了赦ください。▼うっかりした事情で、東京発信の「テレホン聖書」が中止になってしまい困っていますが、最近はIP電話とか言って遠隔地でも市内同様の料金で聞ける装置もあります。ご検討ください。これで九州への電話も気軽に出来ますし、海外電話も安いそうです。▼小冊子「笑えば必ず幸福になる」と「誰でも出来る『心の強化法』」両方とも少々加筆訂正して改訂版を作りました。(いずれも頒価100円)。どうぞお求め下さい。《く》


2005/4/10

(「日岡だより」第171号)

 

「夜見る夢が変わった」   

  神に向かって歌え、その御名をほめ歌え。
  雲を駆って進む方に向かって歌声を上げよ。
  その御名は主、その御前で喜び歌え。
             (詩篇68:4私訳)

 ある先生から「ワッハッハの練習をしていたら、夜見る夢が変わってきました。毎夜、楽しい愉快な夢を見るんですよ」と言ってきました。分かりますねえ。特に寝る前に「ワッハッハッハハ」と笑って寝ると効果(?)があります。
 昔、フランスにブラザー・ローレンスというカトリックの修道僧がいました。この方が「常に神の前に居る練習」ということを唱導しました。私はこの方の真似をして、いつも神様の前でニコニコ笑っていたい、できることなら「ワッハッハ」と呵々大笑したいと思いました。
 私は幼い時、別府に住んで居ました。海岸で花火があるというと、父や母が出る用意をして、私に声をかけます。私はいち早く様子を悟って玄関で小おどりして、「父ちゃん、母ちゃん、早く、早く」と待っています。そして父の顔が見えると、私は待ち兼ねて「ワッハッハハ、父ちゃん」と笑い転げたものです。
 そうすると父は大笑いして喜びました。母に向かって「見なさい、義人があんなに喜んで居る」と言ったものです。
 私たちが神様のまえで、「ワッハッハッハハ」と笑って喜ぶ時、父なる神様もどんなにか喜んでくださることでしょうか。旧約のネヘミヤは言います。「神を喜ぶことは、あなたがたの力です」(ネヘミヤ8:10、並びに同12:43を参照)。《く》  (2005.4.6.「ワッハッハ元気が出る電話」より)

 

否定しようもない奇蹟(一)   

             榊原宏美姉          

 ハレルヤ!
 みなさん、奇蹟が起きました! 
 先々週の礼拝で、主人が皆様にお祈りをお願いしました私の病気のことです。難しい病気でした。頸髄空洞症(けいずいくうどうしょう)という病気です。
 左肩が痛み、指先がしびれたりで、苦しくて、整形外科に行ったら、この痛みは首のほうから来ているのだろうということで、首のMRIを撮りました。すると頸髄に影がある、これは空洞だと言うのです。(中略)
 原因は2つ考えられるそうで、一つは、激しい事故で衝撃を受けた場合と、もう一つは腫瘍によるものということです。「もし、事故だったなら、到底歩いて病院に来れはしない、全身麻痺になっているはずです」と言うのです。つまり、「これはほぼ腫瘍なんだろう」ということなのですね。
 その時、私はピンと来なくて、どんなに重大なことか起こっているのか分からなかったのですが、後で人に聞くと場所が場所なので、取り除くことは難しい、いずれは腫瘍が大きくなって全身麻痺になるんだ、と言います。大変なことです。
 すぐ主人が日曜の礼拝に出て皆さんにお祈りをお願いしたのでした。その翌々日の火曜日、病院に行って精密検査を受けますと、なんと写真にその腫瘍がなくなっているんです。お医者様は「えっ?」と驚きの表情。その時、私の目にカルテが見えて先週の診断にはちゃんと「腫瘍」と書いてあるのですよ。
 私は実はもう覚悟はしていたのです、祈っては頂いていますけれど、正直なところ、不信というか、「どんなに祈っていただいても、だめな時は駄目なんだ」という気持ちがありました。神様の(特別の)御心でもなければ、「癒されないだろう」というマイナス・イメージが心に強かったのです。
 実は、頭痛がひどい時、一所懸命祈ったけれど治らなかったとか、祈ってもなかなか聞かれなかった経験がいろいろあって忘れられないんです。そこで、この病気は自分に与えられたものなんだ、どうしようもないんだ、と覚悟をして診察を受けたのです。
 ところが、「腫瘍が無くなっている」という医師の言葉に、あまりのことに頭がぼうっとして、心が動かなかったのか、先生に電話をさしあげても、私の声が沈んだ声だったみたいで、ちっとも喜んでいないように聞こえたようでした(笑)。
 しかし、これはもう、本当に奇蹟なんですね。主が働かれる時には、とんでもないことが起こるんだっていうことが、よく分かりました。
 絶対に諦めないで祈ること、皆さんに祈って頂くことがどんなに大切か、よくわかりました。皆さん、本当にどうもありがとうございました。(2005年4月3日、主日礼拝にて証詞)

 

否定しようもない奇蹟(二)    

 右頁の榊原姉の先週の主日礼拝での証詞です。衝撃的でした。「否定しようもない奇蹟」というのは、この日のために先々週から決めていた私の説教題でした。ところが、私がいよいよ、その説教に上がろうとする直前、榊原姉が出てきての証しの第一声が、「奇蹟が起こりました」。「何事が起こったのか」と驚きましたが、その証詞の内容を聞いて本当にビックリしました。まったくズバリ「否定しようもない奇蹟」でしたから。
 私は講壇にあがると、聖書の個所を司会者に会衆一同も声をあわせて読んでほしいと頼みました。使徒行伝第4章の1節から31節までです。かなり長いのですが、使徒行伝のこのあたりでは使徒たちを中心に驚嘆すべき事件が次々起こります。その前後関係が結びついていますので、全体的に見渡して解説もした上で、学びたいことが山ほどあるのです。
 今回の事件は使徒行伝第3章から続いています。最初はエルサレムの神殿の「美しの門」のところで、乞食をしていた生れながらの足のきかない男の癒しです。ペテロ先生が「私には金銀は無い。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」と言って、手をとってやると、たちどころに足やくるぶしが強くなって、踊り上がり歩きまわり神様を賛美したという奇蹟的事件。
 このことが全エルサレムに知られ、群衆が集まって来ます。そこで、かつてはあの「イエス様を知らない」と言った卑怯者のペテロの大胆な説教をして、一挙に5千人の回心者が生まれます。
 このことで、当時の宗教家、祭司、神殿の役人たちは困ってしまいます。「あの足なえの癒しの奇蹟は否定しようもない」、余りにも明確な奇蹟でしたから。正に、使徒行伝時代の特徴です。
 祭司、神殿の役人たちは一斉にいらだってペテロ、ヨハネを捕まえて留置所に入れます。そして「もう二度とイエスのことを語ってはいけない」と脅します。
 しかし、彼らは答えます。「神に従うより、あなたがたに従うほうが、神の前に正しいかどうか判断してくれ」と堂々たるものです。彼らはもう一度、脅しをかけましたが、ペテロもヨハネも一向に恐れません。
 教会に帰って一部始終を報告すると、信者一同、感謝して支配者たちの脅迫を恐れずに、雄々しく祈るのです。

             *

 キリスト教界では長い間、「使徒行伝の奇蹟の時代は終わった。今は科学も発達し、医学や医師や薬剤や福祉関連も豊かである。病気になれば病院に行けばよい。教会は信仰だけを説けば良い。教育や福祉事業に平和活動のボラランティア活動で社会に奉仕するのは良い。しかし神癒などご利益宗教の真似は下品で嫌だよ」、という傾向だったですね。
 私がT・L・オズボーンの本で神癒に目覚めて神癒伝道に立った時は、周囲から奇異の目で見られ、同じキリスト教界の先生がたからは、伝道者の資格もなしに無茶な伝道する人だ、周囲の正規な教会には迷惑至極、という批判もかなりあったかと思います。
 当時はまだ健康保険は出来ていない、K姉が「医者から盲腸炎と言われました。手術代や入院費に困ります。先生、祈って癒してください」という時代です。私は早速この姉妹の家に行って祈りました。この姉妹の盲腸炎は奇蹟的に癒されて私の初期の神癒時代が始まります。当時、不思議に百発百中癒されたものです。
 時代はやや変わりましたね。カリスマ運動が始まってからは、神癒伝道を標榜しないまでも、信仰や、祈りや、按手によって病気が癒されることを、あり得ることと承認する教会は多くなりました。そこで今こそ、私たちは大いに「否定しがたい奇蹟」を標榜して邁進する教会でありたいのです。
 奇蹟は、聖霊さまの力と、私たちの信仰と、ペテロが足のきかない男に言ったように、「ナザレのイエス・キリストの御名によって命じる」という断言命令の言葉によって起こります。
 幸いに最近は、今回の聖書の個所のような支配者たちからの圧迫妨害は、神癒に関する限りはありません。しかし、真理の言葉を語る所には世の権力からの嫌がらせもあり得ます。戦前の私のように「非戦論」で刑務所に入れられる、そんな時代ではなくなりました。感謝です。それでも信仰のゆえに迫害を受けるということは時には起こりましょうね。
 今後の日本の時代相では防衛戦争が起こっても不思議ではありません。平和論者は非国民と呼ばれる時代は近づきそうです。黙示録の時代が近づいています。スマトラ地震を初め、その予兆がそこかしこ、世界に見られるのです。
 ペテロ、ヨハネの報告を受けた教会の信徒たちは神様に祈りました。「僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。そしてみ手を伸ばして癒しをなし、聖なるイエスの名によって、しるしと奇蹟とを行わせて下さい。」
 彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り出した、と聖書にあります。私たちも同じような祈りをしたいものです。大胆な信仰、祈り、伝道を始めましょう。《く》

〔あとがき〕林先生の「地の果てまで」4月号でロシアの辺境で唯物論に育った青年が奇蹟を体験して回心した記事がありました。この林先生のロシア伝道、宮川先生の西アジア伝道、在原先生のアルゼンチン伝道、新川先生の中国伝道。国内では森本先生の山谷伝道。凡て奇蹟の伴う伝道でなければやって行けません。私たちも同じことだと思います。祈りましょう。永井先生の鳥栖開拓、田崎先生の延岡開拓のため、日本民族総福音化のため、ひいては世界のため、祈りましょう。▼礼拝後、病気の方は大胆に前にお進みください。奇蹟を期待しましょう。《く》

 


2005/4/3

(「日岡だより」第170号)

神の声を聞こう     

  あなたがたは耳を傾けて、私の声を聞きなさい。
  心して私の言葉を聞きなさい。
           (イザヤ28:23私訳)

 仲のよい2人の間の特徴は、いつも冗長な会話を楽しんでいることだと、言った人がいます。ヘンな法則ですが、どうもその通りのようです。ムダな言葉も、そうした2人には楽しいものなんですね。
 逆に、紙に書く文章は出来るだけ簡潔で、ムダの無い文章が良い文章だと言えましょうか。
 良いか悪いかは別として、ネットで送る文章は尚更その傾向があります。聖書の言葉もそうした文章ですね。
 特に文語訳聖書は漢文系の特徴として骨格が太くてムダが少ない。キリッとした感じです。

          *

 同じ聖書でもヨハネの文体はくねくねして、ちょっと飲込みにくい所があります。
 これはヨハネという人が、いつも神様との会話を楽しんだ人だったからだろうと思うのです。たぶん、神様との会話調が彼の文体に残っているのです。
 「信仰は聞くにより、聞くはキリストの言による」(ローマ10:17文語)と聖書にありますが、イエス様の言葉(レーマ)をじかに聞く人は幸いです。
 特にイエス様との間に親しい会話を繰り返すことを学んだ人は幸いです。(レーマとは書いた言葉ではない、霊において聞く言葉です)。ヨハネはそういう人だったと思います。
 あなたの思いを静めてください。より深い心の次元から、より深い言葉を聞き取る訓練をしてください。いつの日か、イエス様と楽しい会話を交わせる時が来るでしょう。《く》

 

幸 福 な 結 婚       

   一、永遠に亘る神の愛

  当教会で毎月誕生祝福式をしますが、その席上で必ず拝読する聖句がエペソ書1:3〜5です。少し省略して載せさせて頂くと、「神は霊のもろもろの祝福をもって、天地の作られる前から、私たちを選び、神の子たる身分を授けるようにと愛のうちにあらかじめ定めてくださったのである」とあります。私たちは永遠に亘る神の愛に守られ、予定された祝福の計画のなかで今、活かされているということですね。
 神の愛とは何でしょう。最近の結婚式では必ず新約聖書第一コリント書の第13章が読まれますが、いわゆる「愛の章」です。その中で私の最も好きな聖句は八節の「愛は絶えることがない」という言葉です。私はよくサインを頼まれると「神の愛は不滅です」と書きますが、このお言葉を私なりに言い替えたものです。
 この聖書でいう「愛」はこの世の人間の愛ではありません。結婚式場ですから、つい今日結婚なさる「お2人の愛は永遠です」と言っているのだと思いたいでしょうが、それは違います。
 「成田離婚」という言葉もある。あれほど誓った愛の言葉も無残に壊れて、成田に帰ったとたんバイバイでは余りに空しい。しかし、それが人間のいわゆる「愛」です。

              *

 聖書が告げる「愛」は「神の愛」です。神によって祝福されて始まった結婚は、神の愛の御守りとご計画のもとに永続するのです。人間の愛だけでは如何にはかないか、最近も芸能人の離婚事件がテレビで賑わっていましたが、無理もないことです。
 新約聖書で使われている言語はギリシャ語ですが、ギリシャ語は心理的な表現に微妙です。日本語で出世魚と称しますが、ブリが成長するにつれ変わってゆくヤズ、ハマチ等の名前のように、ギリシャ語では「愛」という言葉が4つあって、アガペー、フィレオー、エロース、ストルゲンというのです。
 アガペーは神の愛です。フィレオーは親しい者同士の友情、エロースは男女の愛、ストルゲンは父母や兄弟の愛です。アガペー(神の愛)は最高の愛です。キリストが人類の罪を背負って死んだ、その愛です。イエス様がおっしゃった、「人がその友のために命を捨てること、これより大きな愛はない」(ヨハネ15:13)という、その愛という言葉にアガペーが使われています。
 また、エペソ書5:25では「夫たる者よ。キリストが教会を愛して、そのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい」とある、ここで「愛」という言葉が二回使われていますが、その2回ともアガペーです。
 キリストがご自身をささげたというのは、十字架にかかって死なれたことをさしています。そのように夫たる者よ、妻のために命を捨てなさい、と言うのです。
 「ちょっと待ってください。そんなこと、おっしゃっても私は人間です、そのような神の愛なんか、絶対出来ません」と私の結婚説教で本当に震え上がった人がいます。かわいいですねえ。実は「新婚旅行でヨセミテの谷でクマに遭ったら、花嫁さんを守ってクマと戦うんですよ」、と言った言葉を純真に真に受けて震えあがったのです。今はよい旦那さんになっています。

 

   二、妻 た る 者 よ

 結婚式の式文にもありますが、「妻たる者よ」で始まる聖書の勧告の言葉があります。ここを牧師が熱弁を振るって聖書のままに語ったら、もしも式場に熱烈なウーマンリブの女史たちがいたら、牧師は腐った卵を投げつけられる覚悟がいります。こうです。
 「妻たる者よ、主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。」
 「夫に仕えるーッ? なんでエー?」と跳ね返って来そうです。ね、腐った卵はともかく、ブーイングは食いそうです。
 こんなことがありましたよ。私の妻がある婦人会に出て、ちょっとしたスピーチをしたのです。妻が私のことにふれて、「私が釘宮にお仕えして30年になりますが………」、並居る奥様がたが、口をあんぐり開けた訳です。「仕えるーッ? 奴隷じゃあるまいし」。
 でも、たしかに聖書で「仕える」という言葉は奴隷が主人に仕える言葉だとしても差し支えない言葉です。
 「ワカッタ。ナルホド、やはり、聖書は女性差別、女性蔑視だ、ケシカラン」という声は上がりそうです。
 「仕える」と言えば、イエス様は他のところでこんなことを言われました。「私が来たのは仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(マタイ20:28参照)。
 たしかにこれは新約聖書の根本思想です。イエス様は人に仕え、命を捨てます。大なる者が小なる者のために仕えるのです。聖書は他のところで「天使たちはすべて仕える霊であって、人々に奉仕するために遣わされた者である」(ヘブル1:14参照)とも言っています。
 牧師が教会や聖会で癒しや按手にかかわることをミニストリーと呼びますが、普通に訳せば「奉仕」と訳します。ですから実はミニスターは牧師のことです。そして、新聞記事ではミニスターとは大臣のことです。更に英和字典をひくと、大臣のあとに「しもべ」という訳語がつづきます。言い替えれば「奴隷」です。
 イエス様はこうもおっしゃいます、「あなたがたは互いに足を洗い合いなさい」(ヨハネ15:14参照)と。当時、主人や客の足を洗うのはしもべか、奴隷のすることでした。クリスチャンは互いにしもべのように仕え合いなさいということですね。
 母親は赤ちゃんに喜んで仕えていると言えましょう。幼稚園で保母先生は園児に仕えます、病院では看護師さんが患者に仕えます。そして総理大臣以下政府の職員がたは国民に仕えるのです。これを「公僕」と呼びますよね。

 

   三、夫 た る 者 よ

 先に一度挙げましたが、聖書では「夫たる者」に命じています。
 「キリストが教会を愛して、そのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい」(エペソ書5:25)と。
 ある夫人はこれを聞いて叫びました。
 「まあ、夫は大変ね。私たちは夫にくらべればラクチンよ。私たちは夫に少々お仕えするくらいは当然よね。」
 そこで、もう一度、考えましょう。私たちは実はお互いに仕え合うべきなのでした。まして夫婦の関係においては……。
 私たちは、実はすべての関係において神の愛、アガペーの愛で愛し合うべきなんです。そんな難しいこと、どうして出来るでしょう。どうしたら神の愛で愛し合えるでしょう。
 ある方は若い時、父なる神様の声を聞いたそうです、「私はお前を愛しているよ」、空気をふるわせて聞こえてくるように神様の声を聞いたのでした。その故に彼女には神に愛されている愛の実感がありました。その感動を常に心に保っているとき、彼女の夫を神の愛で愛し、仕えることは容易に可能だったと言います。

              *

 実は私の親しい田口学法和尚からお嬢さんの結婚式を頼まれました。学法和尚は仏教の無教会主義者と言えましょうか、仏教界の改革者です。この方からの依頼なら私は喜んでお嬢さんの結婚式の司式を引き受けますが、いずれにしても凄いことです。和尚は黒ずみの袈裟を着てチャペルのキリスト教式結婚式の最前列に坐ってくれました。私はこの彼の信頼と友情に光栄を感じます。
 式場で最後にこう語りました。仏教には「久遠実成」という言葉があります。永遠の昔からお釈迦さんは成仏の大願を果たされている。この大願に預かるものは凡て救われるのであると私がキリスト教的に解釈しても、和尚は否定なさらぬと思います。
 このことは冒頭に書いた「永遠に亘る神の愛」と同じことだと言いたい。今日、その「永遠に亘る神の愛」のもとに結婚したお2人の生涯は「即今只今」を基点として過去の凡ては善きことに意味が変わり、未来の凡ては希望の確信に満ちるのですと、語ったことです。そして私は「お2人の今後をイエス・キリストの御名によって祝福します」と祈って式を閉じたのでした。

 

〔あとがき〕慣れない式場で、だいぶ失敗しました。白内障手術のあとで、眼鏡がまだ目に合っていないので式次第を読み取れず、内心ひやひやでしたが、無事式を終わって、賛美歌と拍手で新郎新婦を式場から送り出せた時、ホッとして、心の底から嬉しかったです。ご両家のご両親様と皆さん、式場のスタッフの方々に、感謝、感謝でした。更に、神様、イエス様、有難うございました。ハレルヤ! ハレルヤ! 《く》


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