キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(告白の力)

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告白の力


 

第6回・確信にいたる祈りの三段階

一、祈りの実際

 祈りについての良書はたくさんあります。ただ実際に祈るときどうしたらよいか、そういう具体的な面を述べた本は割合に少ないようです。そうしたものを書きますと、非常に著者自身の個性の強いものになり、読者のみなさんに共有できるものかどうか心配であります。また、具体的なことですので、小さな誤解も大きな禍根を招くという恐れがあります。これが、こうした実際的指導書の少ない理由だろうと思います。
 ともあれ、まず、一般に知られている常識的なお勧めを書いておきましょう。
 毎日時刻を定めて祈りなさい。また、これときめた一定の場所で祈りなさい。毎日つづけていると、その時刻とその場所があなたにとり聖なる場所となり、そこに坐るだけで主様の臨在を覚えるようになるでしょう。
 まず聖書を拝読しなさい。み言葉にあなたの魂を開き、み言葉を深く味わいなさい。そして、悔い改めの告白、そして主様への讃美へと進みなさい。讃美は全霊が神様へ敬服することです。そして讃美は全ったき信仰と献身の思いにあなたを一挙に引き上げる力を持っています。そのあと、執り成し、感謝、願い等をささげなさい。この告白と讃美……等の順序はこの通りでなくてもかまいません。

二、確信にいたる三段階

 マルコの福音書11:23以降のイエス様のお言葉をを読んでください。
 最初にまず、「だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ』と言って」とありますね。なんと大胆な、起り得べきもないようなことを命じるものでしょうか。これが大胆積極の信仰です。上記の傍線の個所の「言って」は原文では現在形です。ギリシャ語の動詞の現在形は「繰り返し、継続、習慣性」をあらわします。ですから、その山に向かって「動き出して、海の中にはいれ」と繰り返し繰り返し言いつづける、ということです。大胆積極の発言をあくまで続ける、ということです。
 以上の発言をつづけていると、しだいにその大胆な命令が実現するに違いないという信仰が、その人に心に湧いてくるのです。「その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、……」というイエス様のお言葉の状態のとおりになるのです。これが、可能性の信仰です。そして更に、次の段階へと進みます。
 それは、マルコの福音書11:24のイエス様の言葉です。「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」。
これを私は既得実感の信仰と呼びます。 ここに、つまりノ−マン・ヴィンセント・ピ−ル師の「積極的信仰」、それからロバ−ト・シュ−ラ−師の「可能性の信仰」、そして趙 基師の「夢と幻の信仰(既得実感の信仰)」が言い尽くされています。
 第一に大胆な願いを持つことを恐れないことです。第二に、それを言葉で繰り返し継続的に、習慣化するまで告白することです。第三に、「夢と幻の法則による」イメ−ジの祈りです。わたしはこれを創造的映像祈祷法と呼んでいます。

三、告白的祈祷の体験

 先日、主日礼拝の朝でしたが、私は強烈なぜんそく性の呼吸困難に陥ったのです。早天祈祷会のあとに残っていた信徒の方や、妻と娘が祈ってくれました。
 全身が脱力し目もくらむ苦しさですが、そのどん底で、私の魂はイエス様を求めました。私の魂はしきりに叫びました。
 「イエス様、あなたの癒しを信じます」
 この叫びを繰り返すたびに、私の魂に信仰の種子がが芽をふき、若葉から青木へと成長して行くのが自覚できました。そばで信徒の方や、家族たちも祈ってくれましたが、この人たちが私の耳もとで、 「イエス様を信じなさい。イエス様を 信じなさい」
 と連呼してくれたら、更に私は励まされた事であろうと思ったことです。一般に信徒のかたがたは、しばしば、牧師に対して祈りを励ますことは失礼だと思うかもしれません。また牧師だから助力しなくても大丈夫とも思うでしょう。しかし、牧師といえども、そういう時、皆さんの援祷や励ましを必要とするのです。
 以上、最近の私の告白的祈りの体験をそのまま書きました。繰り返し「イエス様、あなたの癒しを信じます」と祈っているうちに、信仰がどんどん拡大、強化、深化して行くのです。(このとき「苦痛の底辺における祈りと言うものは十分に瞑想的である」と感じたことを、参考的に書き添えておきます。)

四、繰り返し自分に言う

 12年間も長血をわずらっていた女性がイエス様の着物のふさにさわって、たちどころに病気を癒された奇蹟の記事が福音書にあります。マタイの福音書の記事を直訳すると、その女性は「『お着物にさわりさえすれば、きっと直る』と自分自身に言いつづけていたからである」となります。この傍線の個所はやはり「繰り返し、継続、習慣性」をあらわす文法形です。この女性が「お着物にさわりさえすれば、きっと直る」と自分自身に言いつづけてきた、それをこそ、イエス様は「しっかりしなさい、あなたの信仰があなたを直したのです」と言われたのだと、私は思うのです。
 この長血の女性が、その後、人生の曲折に会うとき、信仰の疑問をいだくこともあるかもしれません。その時、彼女は主様のお言葉を聞くでしょう。
 「しっかりしなさい。あの信仰を思い 出しなさい。ああして、あなたはあな たの願いを自分自身にむかって言いつ づけて、ついに確信を得たでしょう。 私があのとき保証したとおりです。さ あ、もう一度、あの経験をふるいおこ しなさい。しっかりしなさい。あなた の信仰があなたを救うのです」
 「繰り返し、継続、習慣性」をあらわす文法形です。この女性が「お着物にさわりさえすれば、きっと直る」と自分自身に言いつづけてきた、それをこそ、イエス様は「しっかりしなさい、あなたの信仰があなたを直したのです」と言われたのだと、私は思うのです。
 この長血の女性が、その後、人生の曲折に会うとき、信仰の疑問をいだくこともあるかもしれません、。その時、彼女は主様のお言葉をきくでしょう。
 「しっかりしなさい。あの信仰を思い出しなさい。ああして、あなたはあなたの願いを自分自身にむかって言いつづけて、ついに確信を得たでしょう。私があのとき保証したとおりです。さあ、もう一度、あの経験をふるいおこしなさい。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救うのです」

五、補足

 以上に書いた「信仰」という言葉の内容は、「信じる」という魂の力学のコツのようなものです。イエス様を信じるという、純粋な信仰の内容をさすのではありません。他宗教や、積極心理学などの言うところと似た面が出て来ます。ただし、イエス様の御名により、イエス様の御血汐にたより、この魂の力学を使うとき、世の宗教家や心理学者の知らない力を発揮するのです。
 祈りの秘訣の一つは、祈るテ−マを細分化することです。「分割して支配する」という、かつてのイギリス帝国のインド統治の秘訣です。大軍を分断して各個撃破するナポレオン戦法です。「きょう一日をお守りください」と祈るのではなく、朝の食事から、子供の登校、××商事のクレ−ム、PTAの役員会、等々あらゆることに細分して、一つ一つ丁寧に祈るのです。
 困難な問題のときは、自然大きな声になります。テ−ブルを叩き、畳をかきむしってでも、神様にせまるのです。熱烈積極的に祈るとき、上品に形式ばって祈っている余裕はありません。
 讃美や感謝の祈りはできるだけ、その理由をつけ加えたほうが良いのです。「神様、あなたは恵み深いかたですから讃美します」、あるいは「子供がCSでよい証詞をしてくれましたことを感謝します」というように。
 黙祷する時は、言葉をしっかり頭のなかでつくって祈りなさい。一語、一語コトバにして、それをゆっくり言うのです。そうしないと、雑念妄想に堕してしまう恐れがあります。
 長時間の祈りのコツは、一時間くらいは序の口でなかなか心は安定しないものだとあきらめて最初から2、3時間は祈る覚悟でいると一時間くらいはすぐに経ってしまいます。
 徹夜の祈りはできれば複数のメンバ−を組むと良いのですが、一人でするなら、まず祈りの姿勢を一夜保つ訓練をしてください。とにかく一夜をすごせたら、それだけでも「よくやれたじゃない」と、感謝しなさい。実際、それだけでも結構、祝福されます。実際は潜在意識のどこかで祈っているからだと思います。
 断食も徹夜祈祷に似ています。とにかく、まず断食することに慣れることです。 異言の祈りは、すばらしいものです。ただ異言だけに終始しないようにしましょう。「霊において祈り、また知性においても祈りましょう」( コリント14:13)。知的に文章を調えて祈ることはあなたの信仰の知的一面を強固にします。

 

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