キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)

2000年6月

HOME教会案内ニュース告白の力リンク】 

2000/6/25

訪 問 者 イ エ ス     

 最近、ある本で読んだ話です。ジムという名の老紳士が、毎日昼の12時になると、その教会にやって来ました。そしてほんの数分、会堂にいたかと思うとすぐ出て行ってしまいます。

 教会の管理人は、そのうちに教会の大切な備品がなくなりはしないかと心配して見守っていましたが、何もなくなりませんでした。不思議に思った管理人はある日、その老紳士に声をかけてみました。

 「こんにちは。ところで、あなたは毎日ここへ何をしにいらっしゃるのですか。」
 老紳士は丁寧に答えました。
 「祈るために来ております。」
 しかし、その答えに管理人は納得出来ません、もう一度尋ねました。
 「でも、祈るためにしてはちょっと短すぎませんか。来たかと思うと、すぐ帰ってしまうではありませんか。」
 老人はまた答えました。
 「私には十分なのです。私はここへ来てこう祈るのです。『イエス様、ジムでございます』と言って、しばらくお話しするのです。それから帰るんですよ。」

 ジムは、それからしばらくして、交通事故に遭い、足を骨折して入院しました。ジムが入院した病院というのは、怒りっぽい患者が多く、四六時中、不平不満ばかりがこだまするような病院でした。看護婦さんたちにとっては、実に厄介な所でした。

 ところがジムが入院してから、病院の雰囲気が一変しました。不平がなくなり、楽しそうな笑い声が聞こえるようになったのです。不思議に思った看護婦は皆に尋ねました。

 「何がそんなに嬉しいの。」
 患者たちが口をそろえて言いました。
 「ジムおじさんのお陰ですよ。足は痛いだろうし、不自由だろうに、いつも嬉しそうだし、決して文句を言わないものね。」

 看護婦さんがジムのベッドのところへ行くと、ジムは幸せそうな笑みを浮かべて寝ていました。 「ジム、いつもしあわせそうにしていられるのは、どうしてなの。」

 ジムは即座に答えました。
 「それは、私の優しい訪問者が来てくれるからです。」

 看護婦さんは驚きました。というのは、それまでジムを見舞いに来た人は一人もいなかったからです。面会時間の時、ジムのベッドのそばにある椅子はいつも空いていたのです。看護婦さんは聞きました。

 「いつ、どなたが来るのです。」
 ジムは目を輝かして答えました。
 「毎日、12時になると、その方はここに来て、ベッドのそばに立ってくださるのです。そしてその方は私を見つめてこうおっしゃるのです。『ジム、イエスだよ』ってね。」

 

【私の想い出−5−】

上記の文章はウイリアム・ウッド先生の出している「ツルース」という個人雑誌の3年ほど前の旧号から無断拝借したものです。ウッド先生、ごめんなさい。そ れにしても、この証しの文章も英文からの翻訳だろうと思いますが、ウッド先生の日本語はすばらしい。先生の「日本語にチャレンジ」という本が朝日新聞出版サービスから出ています。参考になるし、爆笑的実話がたくさんあります。教会に置いてあります。買って下さい。▼私が初めてウッド先生に会ったのはもう10数年前、茨木教会の聖会講師に招かれた時です。私は聖会の講師などに正式に招かれたことなど初めてだったので、緊張して行きました。おかげで好評だったらしいですが、それはともかく驚いたのがこのウッド先生の日本語でした。まだウッド先生も日本で異端撃退のミニストリーを始めたばかりの頃、この時、永井先生によってウッド先生も私も日本宣教の舞台に押し出されたような気がします。▼さて、聖霊様に触れるということは容易ならないことです。左頁の滝元順先生の証しを読むとびっくりします。強烈です。比較して、上記のジムおじさん、なんというソフトなイエス様とのタッチ。「聖霊は模倣しない」という修道院の格言がフランスにあると若いとき聞いたことがありますが、本当だなと思います。ジムさんの記事を読みながら、私は戦時下の福岡刑務所の独房に私を訪ねて下さったイエス様を思い出していました。しかしながら、幾ら考えても滝元順先生の山の証しは、強烈ですねえ。 

2000/6/18

聖霊の恵みと賜物と栄光(一)    

 聖霊とは何かと聞かれれば、本当は三位一体論から始めねばなりません。三位一体論は私も書きたい分野ですが、今回はほどほどにします。 聖書の神は、三位一体の神です。よくこう教えられますね。「父なる神と、その独り子なる神のキリスト、そして聖霊の神。こうして三人の神様が居られるようですが、実は一人の神様なのです。これはニケア会議ではっきり確認されたことです。神は唯一の方ですが、一つにして三つ。理屈では分かりにくいでしょうが、これは真理です。理屈抜きに信じましょう」と。

 それでは、理性の敗退です、とエホバの証人の人たちは言うでしょう。しかし私は自信をもって「これは理性を超越した真理です」と言うのです。これを言い逃げでなく、本当にそのように信じることが出来るのは幸いです。これこそ、聖霊様の働きでありましょう。

 旧約聖書の創世記1:26で、神様は「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、云々」と言って最初の人間アダムを造ったのです。こで唯一の神である方がなぜ、ご自身をさして「われわれ」と呼ぶのでしょうか。多くの学者は「強意の第一人称」と説明しています。しかし、この言葉は「強意の第一人称」と言う以上に、、三体一位の神様を示唆していると思っています。ともあれ、三位一体に関する説明は一応以上で止めます。

         *

 さて、今回から何回かに分けて聖霊について私の学んだことを書きたいのです。「学んだこと」と言うのは、多くの本や先生方に学んだ、また私自身ふと気づいた、またたいへん傲慢のようですが、聖霊様ご自身から教えていただいた、そんなことなんです。

 口はばったく「これは聖霊様の教えです」とは言えませんが、しかし、パウロも言っています。「私も神の霊を受けていると思う」(第一コリント7:40下)のは事実です。

 旧約聖書の創世記の第1章2節に「地は形なく、むなしく、やみが水の上にあり、神の霊が水の上に動いていた」とあります。

 これは神が天と地とを創造された最初の時の情景です。天はすでに完成していたのでしょうか。しかし、地はむなしく混沌としていた。いわゆるカオスの状態です。地とは言っても、まだ地面は表われていなかった。下に土があり、上に水が満ちていたのか。あるいは土も水も分かちがたく混沌としていたのでしょうか。

 とにかく、こうして聖書の初めの個所から、すで聖霊(神の霊)のことが出てくることに注意したいのです。聖霊のことは新約聖書になってから、ポッと出て来るのではありません。

 ところで、イエス様が最後の晩餐の席上で語られるお言葉を拝見すると、イエス様が十字架の死を遂げ、陰府にくだり、死人の中から復活され、天に帰られ、そして、「天から聖霊の贈り物を与える」と以下のようにお約束されます。「私が父のみもとからあなたがたに遣わそうとしている助け主、すなわち父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それは私についてあかしをするであろう」(ヨハネ15:26)。

 この言葉には聖霊に関するイエス様ご自身の重要な証しが含まれています。今後、このシリーズで述べる時があると思います。

         *

 総括すると、聖霊はまず神よりの贈り物です。ペテロがペンテコステの説教をした時、その説教を聞いて心を刺された人々が使徒たちに聞きました。「私たちはどうしたらよいのでしょうか」と。ペテロが答えます。「悔い改めなさい。そしてあなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすればあなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう」(使徒行伝2:38)。

 ペテロがいう「聖霊の賜物」とは、第一コリント12章にあるような、霊的能力としての賜物ではありません。「賜物としての基本的聖霊」をさします。私たちが水のバプテスマを受けた時、私たちに下るのです。それはまだ目に見えるようには明らかにされません。それが通例です。しかし、その時、すでに聖霊様は頂けていているのです。ですから、

 私がバプテスマを授け、受洗者が洗礼槽から上がるとき、私はその人の頭に手を置き、「聖霊を受けよ」と叫ぶのです。象徴的儀式です。実は私の按手なんか無くてもよいのです。バプテスマを受けた時、すでにその人は聖霊を受けているのですから。しかし、信仰の告白として牧師の私は、そこではっきりと「聖霊を受けよ」とイエス様の代理者として叫ぶのです。

 ちなみに言います。そばに水が無い時は、水のバプテスマを受けなくてもよいのです。しかしそこに水があれば、「形式的バプテスマなど無用だ」などと言ってバプテスマを受けない人たちがいますが、それは傲慢というものです。使徒行伝8:36以下をお読みください。

 これは多分に私の冗談ですが、「砂漠に行って、そこに水が無いとき、私は自分の唾をつけてあげよう」などと言うことがあります。あるカトリックの神父さんは砂を水のかわりにして頭に砂をかけてあげたそうですが。いろいろなアイデアもあるものですね。

         *

 天地の創造の時から、聖霊は天に満ち、地をおおっているのだと思います。ですからパウロは「私たちは神のなかに生き、動き、存在している」(使徒17:28)と言うのです。宇宙全体に聖霊様は遍在しておられます。詩篇はこう歌います。「私はどこに行って、あなたの御霊を離れましょうか」(詩篇139:7)と。

 ですから御霊は万全に私たちのために、神のみ旨にかなうように執り成してくださる(ローマ八・二七参照)ことができるのです。言い替えれば、神様はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子に似たものとしようとして、あらかじめ定め、更に召し、召したものを義とし、更に栄光を与えてくださるのです(ローマ8:29、30参照)。

 この神様の選びに従って聖霊様は、まず私たちを「導き」ます。偶然に聖書にふれたり、ひさしぶりに会った旧友が信者だったりして。そして初めて教会の門をくぐります。しばしば人は知らずして聖霊様に導かれ、教会にきて遂にバプテスマを受けます。牧師から「あなたはイエス様を信じますか」と問われ「はい、信じます」と告白します。その時、聖霊が働くのです。そこのところを聖書にはこう書いてあります。

 「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言うことはできない」(第一コリント12:3)。また「あなたがたは子たる身分の霊の霊を受けたのである。この霊によって『アバ、父よ』と呼ぶのである」(ローマ8:16、ガラテヤ4:6参照)ともあります。

 聖霊様の働きを順序に従って書くとこうです。
1,まず聖霊に「導かれ」て、救いに近づきます。
2,聖霊によって主の御名を呼び求め、救われます。
3,次に聖霊を受け回心します。
4,次は聖霊に満たされる経験をします。
5,なおも聖霊に満たされ続け、
6,次は別の角度、聖霊の力を受け、神様のご用を果たす人になる。
7,また聖霊の油注ぎを受けて特別のご奉仕をする。
8,また別の角度、聖霊の果が実り熟して神様の性質に預かり、イエス様に似た人(ローマ8:25参照)になる。 「霊なる主の働きにより、私たちはみな、顔おおい無しに主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく」(第二コリント3:18)のです。

 

【私の想い出−4−】

私はよく書く。書かねば居れないからしばしば書く。父の回心のことです。暗闇の納屋に入って「キリストの神さん」と祈り始めたところ、突然あたりが火事になったかと思うほど明るくなった、そして厳かな、神様がそばにおられるような臨在感に打たれて、父は「申し訳ありません」とその場に平伏したそうである。こうして自殺一歩手前の父がクリスチャンになる。こういう経験はクリスチャン仲間でも、そう多くはないことを後で知った。こういう経験をコンバージョンと呼ぶらしい。▼そのことは石原兵永先生の「回心記」で知った。これは私の青年時代、私が最も影響を受けた本である。ずっと絶版だが、最近やっと手に入れた。初版ものには、最後に内村鑑三の結語がある。題して「コンボルションの実験」。コンボルションとアメリカ語に強い内村先生が書くのだから、アメリカではこのほうが正しいのだろうか。ともあれ、私はこの本によって回心(コンバージョン)のことを知ったのである。▼そしてアウグスチヌスやジョン・ウェスレーや内村先生や石原先生や、そして私の父のあの火の経験も、この回心だったのだと分かった。私は同じ体験を痛切に求めて、飢え渇いた。戦時の刑務所の独房の中で私は一種の心理的、霊的地獄体験をした。そのどん底で、明確な回心が与えられる。日蓮風に言えば、「歓喜の中の大歓喜」、感謝の日々を刑務所で送る。刑期が終わって戦時下の日本の社会に出て来て、周囲の冷たい目で見られても喜びと平安は一向に消えなかった。 

2000/6/11

天皇は神であるか       

 森首相が「天皇は神である」とか、「日本は神の国である」とか、ついには「日本の国体を護ろう」などと言い出して、国民は目を白黒させている。政界が森さんを攻撃するが、これは政治がらみの建前論争に過ぎない。

 森さんはホンネを語っているのだ。正直な人なんだろう。しかしいくら正直と言っても、政治家としては少々こどもっぽいですね。

 森さんを攻撃している頭の古い政治家どもは、実は心の底は森さんと同じくらいの観念であろう。ただ「森君は今の時代にあんなことを言って馬鹿な奴だ」と思っているのではないか。

 国民の大多数は、一部を除いて天皇論なんかどうでもよいと思っている。ただ新聞の論調に乗って「天皇が神だなんて、バカだなあ」と笑っているだけだ。しかし、もし、「本当に天皇さんが無くなってもよろしいんですか」と問うと、「うん?」と考えこむだろう。なんとなく不安、それがホンネだ。

         *

 聖書には「おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものである。すべての人は上に立つ権威に従うべきである」(ローマ一三・一参照)とある。しかり、天皇も神によって立てられた一つの権威なのである。

 また「神は『父』と呼ばれているあらゆるものの源である方である」(エペソ三・一四参照)ともある。明治天皇の歌を読むと、国民を「我が民」と呼んで、ご自分を国民の「父」のように自覚しているところが見える。これは右の聖書の言葉に従えば正しい感覚である。

 一般の家庭において「子どもは父に従え」と言い、「妻が夫に従いなさい」というのも同様の論法である。ウーマン・リブの女性は目を三角にして怒るかもしれないが、「夫は妻のかしらであり、だから教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて夫に仕えなさい」(エペソ5:23、24)と聖書は言う。

 前述の聖書の語句を使えば、会社の社長さんにも、団体の会長さんにも、県知事さんにも市長さんにも、隣保班の班長さんにも同じような論法で、その父性権威を認めることができる。

 「それはちょっと行き過ぎではないですか」という人もあろう。たしかに理屈が飛躍しすぎているかも知れない。でも、

 こういうことなのです。会社に行って、そこの社長さんや重役や、部長、課長さんが如何に凡庸な人であろうと、尊敬できない人であろうと、その役席についているかぎり、それなりの尊敬の態度と言葉をもって接しなくてはならない。映画や芝居の時代劇でいうなら、如何に阿呆な殿様でも、また幼い若様でも、家老は畏まって仕える。殿様や若様は典礼的存在なのである。社長や父にもそういう面がある。

 あまりにひどい王様や殿様がいる時、クーデターが起こるのは地上ではやむを得ないことだろうか。革命を善しとするか悪とするか、それは難しい課題です。

 上司が不正や間違った言動をする時、それを直言する。上司が聞いてくれれば一番いい。しかし聞いてくれない事もある。そういう場合、人倫法律に背かない限り、ギリギリの線まで妥協しつつ彼らに従うこともあり得る。それが困難になれば逃げ出すほかはない。サウルに仕えるダビデがそうであった。

         *

 昔の殿様とか若様とか、団体の社長さんや課長さん、そういう社会的身分の上の方には、平素は尊敬し、従順に従うのが礼儀である。ところが非常の場合には、実力的なリーダーシップが現れることがある。

 たとえば登山の途中に天候が悪化するとか、思いがけぬ地震だとか、そういう時には日頃のリーダーを飛び越えて実質的に力や知識のある人物が表面に出てくる。非常事態には、たった二人でも、どちらかが実質的なリーダーになるものだと言われる。

 私が妻と二人で旅をすると、何か買い物を決めたり、人に指図したり、タクシーを呼ぶ時、妻のほうが私をさしおいてサッサときめることがある。たいてい私が疲れていて判断力が衰えている時に、そうなりやすい。

 普段のリーダーをさしおいて実質的リーダーが出しゃばる時、いつものリーダーは鷹揚に構えていて「善きに計らえ」と昔の殿様のようにふるまっておけば万事無事に治まるものだ。

 日本の天皇がそれである。ただし、とっさの時や重大の時、たとえば終戦の御前会議の時には、天皇が決断を下したのである。

 もし万一、天皇が政府のすることを不満に思い、口に出して政府を批判したとする、内閣は即座に総辞職、国会は解散せざるを得ない。

 今日、民主主義の時代とは言っても、実はいざと言う時この日本では、象徴とされる天皇が、やはり一番大きい権力を振るえるに違いないことを、どれだけの人が知っているだろうか。

         *

 日本において神という言葉は本来は「尊きもの、優れたもの、奇しきもの」、あるいは「上に立つもの、貴人」、あるいは「隠れて見えない存在、異次元の存在」をさすのである。

 だから、天皇は皇居内では「お上」と呼ばれ、民間では女房は「山の神」であり、料理屋の女主人は「女将(おかみ)」である。

 反対に聖書の神は「天地の創造者、唯一の真の神」である。この神観念は多少とも、江戸期には既に特に陽明学者に入ってきているように思う。 彼らは「天」と呼び、又「大乙(だいいつ)」とか、「天帝」とか呼んだ。これはほぼ人格的絶対神をさす言葉である。キリシタン文書の影響もあったのかもしれない。中江藤樹などその代表的人物である。西郷隆盛は言う、

 「天は人々を公平に愛する。ゆえに我々はおのれのように人を愛さねばならない」。この思想は有名な「敬天愛人」を生んだ。「愛」という言葉は日本人には本来異質な言葉である。この言葉を西郷隆盛はどこで仕入れたのか。

 更に明治以来になると、ミッションスクールや西洋的教養の輸入のおかげで、キリスト教的絶対神の観念がインテリの間にはかなり浸透してきていると思う。もっとも「救い主」イエス様のことは、まだまだ分りにくいらしい。

 ともかく、現代の日本人には日本人本来の人間的祖先崇拝の神観念とキリスト教的絶対唯一神の観念が微妙に混在していると思う。

 ところが森さんの「天皇は神である」という発言は素朴で、どこかその微妙さが感じられない。言葉に厳密さが無い。何だか無教養でノホホンとした人に見える。失言人たる所以である。一般国民の森さんを見る感想であろう。

 しかし、逆にクリスチャンにも似たところがある。伊勢神宮に行くと、「なにごとのおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」という西行法師の歌の感覚がジーンと胸にしみる、日本人だったら、それが分かる。それは一種の自然宗教的感覚だと言えば、それまでだが、冷たい批判を止めて考え直してみたい。

 たとえば聖フランシスの自然や動植物への愛情とか、あるいはアルバート・シュバイツァーの「生への畏敬」と言うような神学の一隅に、これを昇華できないものか。さらに、

 天皇を神と呼ぶ旧型日本人の素朴な敬愛心を、聖書的「神を源とする父観念」の枠組みの中で受けとめ、新しい言葉で天皇をお呼びすることはできないか。そう言えば「天皇」という言葉をチョー・ヨンギ先生が批判したこともあった。真面目な議論の末、今後の歴史の中で別の称号に変えられることも不可能ではあるまい。 

 

【私の想い出−3−】

私の母は大分県宇佐郡で生まれたと、この欄で書いたことがある。私は少年時代、夏休みにはよく母の在所に行った。7月31日から8月2日までだったか、宇佐神宮の夏の祭である。もっとも、宇佐 神宮では祭と言わないで御神事と呼ぶ。私は叔父につれられて、この御神事に行くのが好きであった。宇佐神宮の神域は広い。伊勢神宮よりは小さいが、それでも雰囲気はよく似ている。木々に覆われた山の空気にはなんと言っても神秘なものを感じる。▼神社神道には、いわゆる偶像は無いということは宗教学上、重要な問題点であろう。ちなみに更に神道の特徴をあげると、神道には教祖がない、律法がないのである。これはひょっとしたら世界の宗教のなかで異質なことかもしれない。それはともかく、明治の時期、政府が神社統合をやろうとした時、それでは鎮守の森が滅びるではないかと、エコロジーの観点から反対したのは南方熊楠であった。エコロジーという言葉を日本で初めて使ったのも熊楠先生である。▼よく考えると、日本の神社や寺院は境内に木々を植えて森にする。明治神宮がよい例である。教会はどうだろうか。西洋の教会はキッチリと石で建てあげて、緑の木が少ない。聞くところによると、東京四ツ谷の某カトリック教会の構内は森になっていて心が休まるという。さて宇佐神宮のことだが、私の先祖たちが、この宮にこもって済戒沐浴、断食して祈った時、「釘宮」という姓を示されたのだと言う。ともかく、大分県だけにある珍しい姓であります。 

2000/6/4

ペンテコステの主日を前にして     

 先週の祈祷会、木曜日は6月1日、教会の暦では昇天記念日、つまりイエス様がオリーブ山から天に帰られた日の記念日である。復活節から40日目にあたる。

 キリスト教の三大節はクリスマス、イースター、ペンテコステです。クリスマスはだれでも知っているイエス様のお生れになった日。これを12月25日と定めたのには疑義はあるが、もう他の日に変えがたいほど習慣化してしまっていますね。

 次のイースターはクリスマスほどには日本の一般国民には知られていない。イエス様が死から甦られた日を記念する日です。今年は4月23日でした。この日は毎年一定しないで変わるのです。(その決めかたは、ちょっとややこしい。説明すると春分後の最初の満月の日の次にくる日曜日である)。

 3番目のペンテコステという記念日は日本では殆ど知られていない。ペンテコステとはギリシャ語では第50番目という意味です。イエス様の復活の日から数えて50日目になる。二千年前のこの日、聖霊が祈って待望していた使徒たちや信者の皆に下ったのである。

 そのいきさつは使徒行伝第二章を読めば分かるのですが、今回は実はそのペンテコステと呼ばれる聖霊降臨日が来るまでの10日間について述べたいのです。使徒行伝第1章3節から13節までを読むと、イエス様のご昇天の日から、ペンテコステの日までの10日間のことが書いてあります。これは大事な10日間だと思います。

 復活節(イースター)から40日目は、イエス様がオリーブ山から天に帰られた日であります。冒頭に書いた昇天記念日ですね。カトリック教会はともかく、この日のことはプロテスタントの教会では、ほとんど気づかずにすごしているような気がします。その昇天記念日が先週の木曜日の祈祷会の日であったのです。

          *

  そのご昇天の前、イエス様がご復活ののち、40日にわたってたびたび弟子たちに現れ、ご自分が肉体的に生きておられることを数々証明されました。パウロによるとついには500人以上の者たちが同時に生きておられるイエス様を見たとあります(第一コリント15:6参照)。 その40日の間イエス様が語られた重要なテーマは「神の国」でした(使徒1:3)。

 そして使徒行伝の最後の所を見ると、やはりパウロはローマで「神の国を述べ伝え、イエス・キリストのことを教えつづけた」とあります。しばしば使徒行伝は聖霊行伝だとも称されますが、使徒行伝を通じて使徒たちや聖霊様が語ろうとするのはひとえに「神の国とイエス・キリスト」であったということが分かります。

 また福音書を読むと分かりますが、イエス様の伝道の究極のテーマも「神の国」であったと言って過言ではないでしょう。イエス様の伝道の第一声は「時は満てり、神の国は近づけり、汝ら悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ1:15文語)というお言葉でした。またこうも言われました。「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ17:20、21)と。新約聖書によれば、神の国はまずイエス様によって「時は満ちて私たちに近づいている」と宣言されました。あたかもイエス様が「神の国」を持って来られたというように読めます。

 その神の国はルカ17:20、21によれば、すでに私たちの中に来ているのでありました。ただし目には見えないと言われます。それは不可視の国です。もっとも、イエス様はニコデモという学者にこうも言われました。「だれでも新しく生まれなければ神の国を見ることはできない」(ヨハネ3:3)と。新しく生まれるなら神の国を見ることはできるというのです。

 このように、 神の国は既に地上に来ている存在だが、 又、まだ来ていない未来の国でもある。イエス様のご再臨と同時に実現される栄光の国である。それは二つの段階で来るように思う。 まず、千年王国と言われる地上の国であり、

 次に、その後に来る最終の新天新地、新しきエルサレムと言われる永遠の国、イエス・キリスト様が臨御、支配される栄光の国であるのです(黙示録20:4以下22:5まで参照)。 神の国のことは、もっと述べたいのですが、それは後日に廻して、ここで復活のイエス様がおっしゃられた重要な言葉について書きます。それは使徒行伝第1章4、5節と同8節です。

 イエス様が弟子たちに語られたお言葉、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」。また「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となるであろう」

 このイエス様のお言葉こそ、私たちのペンテコステ体験をさしているのです。

          *

 イエス様が天に帰られた、その記念の日が先週の木曜日、6月1日でした。その日から10日して、祈って待ち望んでいた120人ほどの人たちの上に聖霊が下ったのでした(使徒1:15参照)。この10日間、120人ほどの人たちが祈りに祈ったのです。聖書にはこう書いてあります。「彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、及びイエスの兄弟たちと共に心を合わせて、ひたすら祈りをしていた」。この姿勢を、私たちは学びましょうと、私は先日の祈祷会の席上で皆さんに申し上げたのでした。

 さてこの祈りに対して、ペンテコステの日に、神様から確かな応答があったのです。聖書はこうしるしています。「突然、激しい風が吹いて来たような音が天から起こってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また舌のようなものが、炎のように分かれて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した」。

 この御霊によっていろいろ語り出した言葉が「異言」です。使徒行伝第2章1節以下をお読みください。これが異言の最初の聖書記事です。「他国の言葉で語る」というタイプの異言はその後、聖書では出ていないようです。たいていは、各自勝手にばらばらに訳のわからない言葉で祈っている、外からみれば気が狂ったみたいに見える行為です。だから「聖書に初めてあらわれた異言と、現在諸君がやっている異言とは違うではないか、最初のそれは『他国の言葉』であった、しかし今、諸君がやっているのは訳の分からぬたわごとではないか」と批判する人もあるのです。しかし、そのような「気が狂ったみたいな集団祈祷」をパウロは第一コリント14:23で確かに異言と認めているのです。

 この異言現象は初代教会では不断に見られた聖霊の賜物だった(第一コリント12:10)と思うのですが、教会史では長い間、見失われていました。それが回復したのはちょうど百年前、アメリカのテキサス州の一神学校においてでした。その数年後カリフォルニアのアズサという小さい教会で起こりました。そして次第に今世紀の間に異言で祈り、異言を語る教会が世界に増えてきたのです。さあ、来週はそのペンテコステ記念主日礼拝です。10日間の祈りをもって準備して、来週の礼拝を期待しましょう。 

 

【私の想い出−2−】

かつて私の読んだ注解書では「異言とは恍惚状態になって訳の分からない言葉で祈ったり語ったりすること」と書いてあった。体験のない人は如何に学問した人でもその程度のことしか言えない。私は次のような経験から異言を知った。▼やっと30歳を越えたころであったろう。大分県の山地、玖珠郡森町のある家庭から病気のために来て祈ってくださいと依頼があった。私は豊後森駅をおりて右手をあげて歩いた。挙げた手のひらに聖霊の響きが電気のようにビリビリ来る、思わずその手のひらをかざしてレーダーのようにする。霊波と言ってよいだろうか、それを感じつつ、ある家の前にくると手のひらは自然に向きをかえる。私はその家に私のたずねる病気の人がいることを知る。そこで祈ってあげたことは確かなのだが、その後のことは一向に覚えていない。▼再び汽車に乗って大分に帰る。客車はギーギー音をたてる木のボギー車で、もう夜だった。暗い電灯がついており、客は私ひとりだった。そこで祈っていると、口が自然にもつれてブツブツと蟹が泡をふくように何事か言い始めたが、意味のある言葉ではなかった。私は精神異常を来たしたかとちょっと心配したが、そうでも無さそうだ。不思議だなあ、と思いつつ、その神秘な自動的発声に口と舌をまかせつつ、祈りをつづけた。これが私のはじめての異言経験である。その後、数か月してある集会に出席して火山が噴火するような激しい噴き出し異言を経験することになる。そして、私の新しい伝道が始まる。 

 

 

 過去のメッセージIndex  今月のメッセージに戻る 

HOME教会案内ニュース告白の力リンク】