キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)

2000年8月

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2000/8/27

秋 は 収 穫 の 時    

 2000年も4分の3を過ぎた。今年の夏は異常に暑かったですし、残暑の候と言うが、まさしく残暑、いまだに毎日熱い日がつづいている。しかし、この暑さ以上に熱い秋を迎えたいと思うのです。秋は収穫の時です。

 教会において、この秋は魂の収穫の時でありたいのです。

 この8月は突然、無料トラクト配布の月岡先生に敬意を表して、特別献金のキャンペーンを張ったのは、当教会としては珍しいことでしたが、これによって秋の伝道戦線へのとっかかりとしたかったわけです。

 月岡先生が書いておられたトラクト利用の一例、永井先生の卓抜した戦略の事例をコピーして皆さんにお配りしました。その一文をお読みいただいたでしょうか(当教会内部だけでの配布でしたが)。

 永井先生がおっしゃっておられましたが、その地域の4倍の数量のトラクトを配布すると、おおよそ地域の住民に教会の存在を知ってもらえるそうです。……やって見たい。

 私たち全員がいつでもトラクト持っているようにしたい。できるだけ多数の人に手渡す習慣づけたい。「これは恥ずかしい」とか「みっともない」とか「私は出来ない」とか、いろいろ言い訳をしたくなるが、やってみると爽快なものである。実行してみるとそれが分かる。

 トラクトは又、一般向きと、女性向きと、青年学生向きと、子供むきに分けて、常時お持ちすることをお奨めする。

 よいトラクトが無い時は、「ぽぽ」や「グッドニュース」の旧号でもよいから、「旧号で失礼ですが、ぜひお読みください」のゴム印を押してトラクトがわりにしてください。

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 聖書通信協会の発行したトラクトをたくさん展示しました。どれが使いやすいか人気投票をしたいと思いますが、ご覧になってください。 いずれにせよ、だれにでも手渡しできる明るくて気軽な性質になる必要があります。「私はそんな性質じゃありません。私は生まれつき人見知りするタイプです」、などと自己限定しないで、あなたの枠を飛び出して見ましょう。

 そうは言っても最初は親しい信仰の友と二人で出て行ってください。だんだん慣れてきます。 私といっしょに一昨年、トキハ・デパートの前でパンフレットを配りに行った人たちは覚えているでしょう。私はサンタクロースの衣装を着て街頭に立って市民に呼びかけたものです。やれば出来るのです。(宮崎教会の一斉伝道というのは繁華街のデパートの前で、賛美や寸劇などやって人を集めるのだそうですが、一度やってみたいですね。)

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 伝道の意欲は、まず第一に「このまま人々を永遠の滅びに向かわせてなるものか」という熱情と使命感から起るのです。

 また、あなた自身が救いの確信を握っている必要があります。えっ、「そんな確信はありません」ですって。それなら、そのまま、思い切って、伝道戦線に立ってください。立てば、立つほど、信仰の確信は育ってくれます。

 時には気分もすぐれず、トラクト配りも上手く行かなくて、ウンザリして落ち込んでしまうことがあります。しかし、そういう時はかえって信仰をレベルアップし、更に信仰の次元をアップする好機となります。

 信仰熱心と言えば、なんだか気分屋が勝手に熱をあげて一人で突進しているという印象を持ちますが、しかしもっと地味でよいのです。

 宗教改革者マルティン・ルターの特愛の聖句「あなたがたは立ち返って、落ちついているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」(イザヤ30:15)とある通り、神様のもとに返り、いらいらしないで祈ることです。 また私の真似をして湯船にでも入って、ワッハッハと笑って見ませんか。気分が変わります。

 み言葉の告白をするなら、更に良い。「私を強くしてくださる方によって,何事でもすることができる」(ピリピ4:13)。このみ言葉を堅く握って立ち上がってください。あなたは変わります。

 霊的に行き詰まったと思える時があります。そういう時は前述しましたが、信仰の次元をアップさせていただく好機です。これは神様の業です。けっして自力ではできませんが、聖霊様に働いてくださる好機です。

 ともあれ、さあ、この秋、燃えましょう。 

2000/8/20

「私に何をしてほしいのか」    
  
−イエス様のお言葉−       

 バルテマイという盲人の乞食が、イエス様一行を追いかけるようにして叫びました。「ダビデの子よ、私をあわれんでください」。

 人々は彼をしかって黙らせようとしましたが、彼はますます激しく叫びつづけました。「ダビデの子よ、私をあわれんでください」。

 イエス様は立ちどまって彼を呼びました。彼は上着を脱ぎ捨て、踊り上がってイエス様のもとに来ました。イエス様は彼に問うたのです。

 「私に何をしてほしいのか」。(マルコ10:51)。

 盲人の彼が必死の形相でイエス様を追いかけて来るのです、彼が何を求めているのか分かりきっています。まして人の心を見抜きたもうイエス様ではありませんか、今さら聞かなくてお分かりになるはずです。しかしイエス様は彼に問うのです。「私に何をしてほしいのか」。

 イエス様はバルテマイの意思を確かめて居られるのです。

 マタイ8:2、3に、ハンセン氏病の男がイエス様の前に来てひれ伏して願っている個所があります。その時のハンセン氏病の男と主との会話を、私の私訳で以下に載せます。

 「主よ、もしあなたが意思して下さるならば、 私を清くすることがお出来になります」。
 イエス様は手を伸ばして彼にさわり、
 「私は意思する。清くなれ」。
 と言われた。」

 こうしてイエス様はこの男を癒してやったのですが、この時の会話に注意してください。以上の会話の文章の中の「意思する」という動詞を、日本語訳の聖書はほとんどどれも「み心」というように名詞で訳してあります。これでは言葉の力が弱く感じられます。この点、カトリックのバルバロ訳(講談社発行)はまあまあです。新改訳にも努力のあとが見られますが。

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 イエス様の「意思」が重要なのです。人間の心は普通「知情意」に分かれていると思われています。たしかに、そのとおりでしょうが、それほど明確にくっきり分かれているわけでもない。「知情意」、つまり知性と感情と意思の三つは互いに影響しあいつつ、時と場合によってどれか一つが強烈に表に出るのです。

 憎い奴や愛する人に会うと感情が出る。法律文書を読んだり、算数の問題を解く時には知性が働く。そして目的を目ざしてがんばっている時には何よりも意思が抜きん出ています。そして、この中で最も大切な中心の座は意思であると私は思います。この事について、私はあまり本格的に勉強はしていないのです。しかし私は、人間の心の中心、つまり人格の中心は意思にあると信じています。

 「人格」とはなんでしょう。むつかしい言葉です。大正昭和にかけて生きた在野のしろうと伝道者・本間俊平は小学校もろくに出ていない人ですが、彼は大胆に言っています。「人格、これが大事なんだ。これがどうも日本人には分からないらしい」と。本間さんがそれ以上「人格」の説明をしていないので、私はその時、人格というものがよく把握できず困りました。

 人格という言葉はペルソナというラテン語の翻訳ですが、ペルソナというのはもともとギリシャ演劇で役者が顔につけた仮面のことです。それが後に演劇用語として俳優を論ずる時の用語になりました。単純の「あの役者は……」というような時にも使うようですね。

 ペルソナが英語のパースンです。パソコン、つまりパーソナル(個人用)・コンピューターのパーソナルの語源です。言葉としてはパーソナルから分かれてパーソナリティ、これこそ字引では人格とも出ていますが、一般に通用する訳では人柄でしょうね。タレントや芸能人のあいだでも使われているかと思いますが、個性という意味合いが強いでしょう。

 ペルソナという言葉がギリシャ演劇で役者がつけた仮面という言葉から出ているということ自体、人格という言葉を曖昧にしている原因かもしれません。人柄というような表面的な風情を帯びてきました。これが本間俊平さんを慨嘆させた原因に違いないです。

 人格とはもっと本質的、基本的、他にとって替えられない不変の存在だと言いたかったのでしょう。それをキリスト教的に言うなら、創造主なる神の前で、神と個人的対話のできる存在ということです。

 ここ20年ほど、アイデンティティという言葉が出て来ましたが、自己同一性などと訳します。分かりにくい言葉の最たるものの一つでしょう。自分で「うん、おれだ」と自己確認できるような私です。幼い時から、「これが私だ」と思い始めたからこの方、ずっと持続して私であると記憶できているこの私とは「そも何者?」と疑問を呈する時、あなたは哲学者になります。

 肉体も関係します。触覚が存在意識だと言った人がいます。坐ってデンとお尻が椅子に乗っかっている感覚、風にあたる皮膚感覚、これらが原初的「私」の自覚だと言うのです。耳も聞こえず、目も見えなくても、この皮膚感覚や触覚、筋肉感覚がありさえすれば生きている自覚は可能です。それが無ければ不可能です。

 これらを自覚する意識、その意識がそのまま停滞している間は動物的レベルです。しかし、その感覚を味わいなおしてみるととか、もっと強く感じてみようとか、それを覚えて置こうとか、そういう意識が働く時、そこに自己意思が働いていると私は言うのです。

          *

 少し意思について理屈を書きすぎました、ご免なさい。

 実は今回、スーパーミッションの重要メンバー田中政男先生が6月13日に脳内出血で倒れられた。そして奇蹟的に集中治療室から凱旋的に癒されて講壇に復帰されたという驚くべき記事をリバイバル新聞で読みました。血が湧き、歓喜が起りますね。さて、その記事によりますと、重症のさなかで田中先生が「悪魔のささやきに負けてたまるか。私はスーパーミッションのステージに復帰する」と心の中で叫んだとあります。これが意思の働きです。

 チョウ・ヨンギ先生だったか、ある時、危篤状態の信徒の枕もとに行った。彼のほっぺたを叩くようにして、彼の最低の意識を呼び覚ましました。そして、「あなたは決して死なない。生きるのです。生きることを宣言せよ。生きることを決意せよ」と言い聞かせました。彼の意思を発動させたのです。そして瞬時にその信徒はベッドから起き上がったそうです。

 私の旧師・手島郁郎先生はあるとき、聾の女性のために祈りました。そして黒板に文字を書いて彼女に見せました。「心を一つにせよ。心を耳にむけよ。ほら、耳が聞こえ始めるよ。熱心に心の耳を開くのです」と彼女に熱意をもって迫った。彼女は耳が聞こえ始めました。

 以上はそばに文献がないので私の記憶で書きましたが、大要は間違いありません。意思が大事であることを示す良い例です。

 信仰には神と人との協力であると言える面があります。極度の聖霊体験としてまったく一方的神様から来る恩寵体験は別として、信仰の成長という側面から見る時、多くの聖徒たちが強烈な意思をもってに神様に従い、神様に献げ尽くし、熱意をもって努力し健闘して、信仰の栄誉、聖化、成果をあげている歴史を見ます。

 旧約の詩人が「わが魂よ、何故うなだれるのか。神を待ち望め、私はなおわが助け、わが神なる主をほめたたえよう」(詩篇42:5参照)と歌う時、彼がそこで自分の意思に向かって命じ、意思を発動させているのを見るのです。 

【私の想い出−13−】

手島郁郎先生は、それこそ強烈な個性を持っていた。磁力が強いのである。一般の宗教世界で捜せば、出口王仁三郎が似ているでしょう。私は1957年から58年にかけて1年半ほど師事した。徹底的に憎々しげに叱られて、どう答えてよいか分からず、ついに逃げだしたのである。▼この「憎々しげ」というのは手島先生の一種の魅力であって、これにつまづいて逃げ出したのではない。なぜ叱られているのかまったく分からない。「俺はもう劣等生だ。ここに居ることはできないのだ」と自己破滅的に参ってしまって逃げ出したのである。しかし、逃げ出してしまってからホッとした。先生に属する信仰集団(幕屋)の息苦しさから脱出して息を吹き返した感じがしたのである。▼もう一つは、手島先生の信仰が贖罪論において奪還論、もしくは勝利論一辺倒で代罰論を否定する。これには私はついて行けなかった。私の信仰は福岡の独房の中で主から与えられた鋭角的回心でして、イエス様の十字架の血潮による罪の赦しの信仰です。とうてい手島先生に帰ることは出来ないことは外に出てみてよく分かった。何度か先生のもとに帰るように奨められたが帰らなかったのです。▼しかし先生の個性、信仰、カリスマ性は抜群でした。奪還論、勝利論一辺倒だとは言え、けっして異端とは言えないと思います。日本的福音というものの一つのモデルを見せてくれたお方です。私の受けた教え、影響、それらのご恩を忘れることはできません。私は先生に会うべき時に会ったのだと思います。 

2000/8/13

 無名の素晴らしき働き人たち   

 FGBMFIジャパンの塚本謙一郎兄から門司教会の岡先生に入ったアメリカ伝道旅行のシアトル番外編というのを以下に転載します。
(FGBMFIというのは知る人ぞ知る世界一の富豪と言われたシャカリアン一世が創設した伝道団体。この世界一の富豪になった興味深い証しをお読みになった方もおられるでしょう。FGBMFIとはたしか、全福音ビジネスマン親交会という会の名前です)。

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 神さまは世界各地に素晴らしい働き人を立てておられます。しかも、すごい働きなのに無名の人も多いんですね。今回の旅行で、このような人にお会いしました。

 まず、チャック・スポットさんというビジネスマンであり伝道者でもあるという人です。FGBMFIのピュアラップ支部のリーダーですが、彼のあかしを聞いて仰天しました。

 元々インディアンの血が半分入っていて、インディアンの居住区で生まれ育った彼は、インディアンの医術師(魔術師のようなもの)の力を良く知っていました。しかし、イエス・キリストの力はそれに勝ることを知り、クリスチャンになりました。神の導かれるところに出かけていき、御言葉を述べ伝え、聖霊の力による伝道をするようになったそうです。

 彼の行くところ、奇跡的な癒しが次々と起こり、ついには死人も生き返ったのです!

 アフリカのガーナでは魔術師と対決。魔術師はその魔力でボルボの自動車を空中に浮かせ、数メートル動かしたそうです。彼は主に祈ると、群集(数千人が取り囲んでいた)の中で最も障害の重い女性を人々の前に出すようにと言われました。その女性は体が変形して足はまったくきかず、両手の手の甲をついてようやく歩けるという人でした。チャックさんが「イエス・キリストの御名によって」と言うと、手も触れないのに、突然その女性が飛び上がるようにして立ち上がったそうです。完全に癒されて。

 それを見た魔術師は逃げ出そうとしましたが群集に捕まりました。チャックさんは彼を救いに導いたのでした。あるときはイスラム教の人が運転する車が故障して、道路をふさいでいました。チャックさんが通訳を通して「私の神がその車を動かすから見ていなさい」と言って、主に祈ると車のエンジンがかかったそうです。運転した人は車から飛び降りて、神を礼拝し始めたといいます。

 その他、驚くべき証しが次々と出てきて、3時間ほど聞いてしまいました。彼にそれらのあかしをぜひ本にしてくださいと頼んできました。それにしても、こんな人がFGBMFIの昼食会のお世話をしているのですから驚きました。ビジネスマンとして活躍しながら、今も神が行けといわれたらどこへでも行くそうです。

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 もう一人はカナダのジョン・マクリーナンという伝道者です。彼は聖霊の「火」によるミニストリーをしています。彼が祈ると火が下るような体験をする人々が起こされるのです。

 その中で悪霊が次々と出て行きます。癌が癒されています。癌の霊が体のあちこちへ逃げていくのがわかるといいます。

 そういえばデーブ・デュエル師も、自分の腕が剣のようになりその回りを炎が燃えている体験をされてから、すごいミニストリーが始まったとおっしゃっていました。

 申賢均牧師も、天から火が下る体験をして、自分の信仰生活が変わったと証しされていました。聖書もイエス様は聖霊と火によってバプテスマを与えると教えています。主は今も聖霊の火を下し、力強いミニストリーを与えられるのだと思いました。

 私も祈っていただきましたが、私は火を感じませんでしたが、2時間ほど聖霊の暖かい臨在の中で休息が与えられました。感謝でした。

 シアトルでの滞在は10日ほどでしたが、その間にこのような方々と知り合いになり、いろいろとお話を聞くことができたことは恵みでした。機会があれば彼らを日本にもお招きしたいと思いました。神さまは私に、実にいろいろな方(神の器)との出会いを与えてくださり、多くのことを教えてくださっていることを感謝してます。私は神学校には行ったことがありませんが、デーブ先生流に言うなら「燃える芝神学校」で実地訓練をしていただいているような気持ちです。

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新生とカリスマと聖潔と    

 8月4日にJALで空路東京に立ち、スーパーミッションの集会に参加した。この集会のこと、田中先生の癒しのことなど書きたいことは一杯あるが、そうしたことは今日のメッセージの中で、お話することにして、今回は、まず私の個人的信仰のメモを書いておきたいのです。

 往路のJALの中で、私は一冊の本を持っていました。それはケネス・W・ドルーリーという人の「いちばんやさしい『聖化入門』」という本です。これは良いテキストになりました。

 ご承知のとおり、私は福岡の刑務所の独房の中で回心しました。これは内村鑑三先生のいうコンボルションでして、アウグスチヌスやジョン・ウェスレーのそれに似ています。この時、私が通過したのは義認の信仰であって、聖化ではありませんでした。宗教心理学的には似ている体験ですけれど、アウグスチヌスにとっては義認的新生体験、ジョン・ウェスレーにとっては聖化の体験だったかと思うのです。

 この点がむつかしいので、スポルジョンやハドソン・テーラーの初期体験も非常に似ていますが、やはり義認的新生体験だったように思えます。きよめ派のかたがたが第二次体験と言う時、案外私の初期体験に似た体験であって、聖潔経験とは言えない方々が多いのではないかと私には思えるのですが、いかがでしょう。

 それはともかく、私は新生体験としての回心を恵まれた時、即座に主は私に「我聖なれば、汝も聖なるべし」と語りました。私は慄然としました。到底、私は聖なる人物にはなれそうもないと思ったからです。

 しかし、数年して「常に主が共に居られる」体験、また「常に主に祈っている」体験をします。そうした霊的体験は、半ば感覚的、なかば感情的でした。だから、私はまた聖(きよ)さということを感覚的に、感情的に体験したいと思ったものです。それは非常に困難でした。

 そのうちに、神癒体験が始まりました。異言が起こりました。数年して、今度は信徒の人たちに手をかけると脚がのびたり、手をかざすと体が倒れたり、そんなことが起こり始めました。カリスマ体験です。こうなると、人は私をひとかどの伝道者に見てくれます。しかし、

 聖潔というランクには到底達していない自分を見て、常に失望していました。こんどの東京の旅では人知れず、私は憂鬱そのものになる内面的葛藤がありました。そして最後に、ホテルの一室でその重荷をいっさい主に捧げたのです。自分の過去の罪や咎、失敗や過失、つぶやき、欠点、それらをみな主に捧げました。しかし、

 大して気分が変わらず、光も御声も、なんの異常もありませんでした。ただ「主が私に委ねられたことを、私は精一杯しよう、跡始末は主にまかせます」。そう口で言った時、私の霊性は真の平安を得たのです。これは確かに「聖潔」なのだと、自認できるのが不思議でした。 

 

【私の想い出−12−】

上述のケネス・W・ドルーリーという人の「いちばんやさしい『聖化入門』」という本は、出版が日本ウェスレー出版協会、発売がイムマヌエル綜合伝道団である。イムマヌエル綜合伝道団というのは戦後、めきめきと勢力を伸ばしてきた聖潔派の大手である。創立者が蔦田二雄先生、この先生のお嬢さんが別府イムマヌエル教会を開拓した蔦田まきば先生である。今は舟橋の竿代忠一先生の奥様。それはともかく、▼戦後、一九六一年、私は大阪のイムマヌエル教会の聖会に顔を出したのものだ。その時、蔦田二雄先生に初めてお会いした。私は聖潔を求めてやまなかった。その十日まえには京都の一燈園に行っている。心のきよめをイムマヌエルの聖会に求め、生活のきよめを一燈園に求めたということである。一燈園のことはさておき、イムマヌエルの聖会で感心はしたけれど、さて私がどうすればよいのか分からなかった。その時、すでに神癒伝道は始まっていた。しかし聖霊様の明確な働きについてはまだ目が開かれていなかった。この翌年、幕屋にふれるのである。▼幕屋ではどうしても神秘体験やカリスマ的能力を求めるようになる。自然、きよめ派からは、ますます私は遠のいて行った。しかし、やはり、内心ではきよめを求める。そこでブラザー・ローレンスなどにあこがれる。今はその頃から四十年以上たっている。精神活動の訓練など、マニュアルさえ作った私だが、そうした魂のやりくりを離れて率直に主に委ねる聖潔の秘訣、やさしい聖化の実際に今、到着した感がある。 

 

2000/8/6

    《キリスト生誕2000年祭in大分》後報

ミッション・バラバ  会場を圧倒する   

 今回の「生誕2000年祭」で最も恵まれたのは橋本守先生と先生の教会のメンバーだったでしょう。それは橋本先生が今回のイベントの事務局を引き受けられた関係上、先生は多くの仕事や、きりのない雑務に追い回されたに違いないからです。そして、その先生を支える教会の信者さんたちも「おらが先生のため」にと、あれこれ目に見える仕事も目に見えない仕事もドッサリ抱えこんで奮闘したに違いないのです。

 たとえば、会場の東西南北の4か所の入り口に設ける立看板を作ったのもその一つ。また、スチール椅子もレンタル業者が会場まで運搬はしてくれたが、「並べるのは今回は利用者が多くて忙しいのです、お宅でしてくれませんか」

と言われて、これまた橋本先生の教会の信者諸君が奉仕したことだろうと思う。その上、集会が終わって、今度は椅子を一か所に集め、トラックの来るのを待たねばならない。これは気がついた私たちも加勢したのであるが、それでもやはり橋本先生の教会の信者の皆さんが中心になってやったと思う。なお、その他の後片付けの作業もいろいろあったはずだ。それらを遅くまでコツコツとやってくれたのも、橋本先生の教会の信者諸君である。

 それだけに、集会が成功裏に終わって安心もし、それと同時に神様にたいする感謝も喜びも大きかったに相違ない。神様に対する奉仕の努力が大きければ大きいほど、また大きな喜びと感謝が比例して跳ね返ってくるのは「報いの法則」である。この法則はあらゆる場合に厳然としている。今回の催しで一番恵まれたのは、橋本先生と先生の教会の信徒の皆さんではあるまいか、と思うのはそういうわけである。

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 ところで、振り返ってみると、まず準備の段階としてビラ配りがある。教会単位のビラ配りは各教会でその周辺をやったでしょうが、(佐賀関の福永先生は日豊線沿いの各駅にポスターを貼って下さったが、先生の行進の時のイラスト入りゼッケンも秀拔だった。常に福永先生はアイデアと実行力が抜きん出ている)、会場周辺をはじめ大分市の繁華街でのビラ配りは各教会から動員して一挙に2日間に分けてやったのですが、当教会からは国井夫妻に行ってもらった。実はこの2日間の予定日を私はうっかり忘れていて皆さんに知らせていなかったのです。当日になって気がついて、驚いて国井夫妻に行ってもらたことでした。もっとも、

 当日の開会直前にビラ配りをしようと話し合っていたと思うのですが、このことは取りやめになっていたらしい。しかし私はそれを盛んに吹聴していたので、集会直前の会場周辺のビラ配りに私たちの教会から、原兄と首藤昭子姉だけが出た。熱心だったから、残っていたビラ300枚はアッという間に配ってしまった。

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 ところで、準備のことだが、中でも一番大事なのが「取り成しの祈り」。このために別府の万民教会の加藤勲先生が1時間前から会場に詰めて5か所を選んで坐りこんで祈って下さった。1時間、じっくり祈って下さった。当日の奇蹟的天候の移り変わり、音響や公園内の雰囲気の良さ、多少案じていた嫌がらせや喧騒さも全然ない、悪魔を全く寄せつけなかった。加藤先生の祈りの功績が大きかったと思います。

 会計の方も、予算を60万円立てていましたが、実際経費が70万円になっていました。ともあれ、まず7万円見当の追加ですみそうです。今回のプログラムを全部2本の60分テープに収録しましたが、それを各教会の信徒の方々が買ってくだされば、その収益金で不足額も埋まるでしょう。このテープ販売については皆さんもご協力ください。

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 さてミッション・バラバのメンバーはメイン講師の鈴木啓之牧師先生をはじめ、井上薫兄、信田和富兄。黒のランニングを着て、諸肌の刺青がよく見える。しかし本当に柔和な顔なので、かつてやくざだったというのが嘘みたいだ。

 柔和な顔と言えば、この3人の方々を車でホテルに送る時、一番若い信田さんに向かって私が無遠慮に言ったものです。「あなたは可愛い顔をしてさ、よくやくざが、つとまったね?」鈴木先生が笑って言う。「どうして、どうして、彼は凄かったんですよ」と。後で、この信田さんのやくざ時代の写真を見たら、まさしく怖い顔である。ヒゲをはやして、目のにらみがきいている。

 壇上では、まず信田さんと井上さんが証しをされた。鈴木先生のメッセージも内容は証しそのものです。この3人のかたがたの証しで共通しているのは、奥さんがたが皆すばらしいということです。それぞれ出来の悪い旦那のために愛と祈りを尽くす奥さんがたに胸を打たれる。

 信田さんの奥さんは台湾出身、鈴木先生の奥さんは韓国人、井上さんの奥さんは働き先の娘さん。3人そろって奥さんから伝道されたり、聖書を貰ったりで、クリスチャンになる準備が早くから出来ていたのも神様の御手である。

 一番出来の良くなかったのは、どうも鈴木先生のようで、それに耐える奥さんの祈りと忍耐はすさまじい。今度映画化されるについても韓国の一流女優さんが出演、日韓文化交流のお墨付きになるというのも、このあたりが脚本のモデルになっているせいであろうか。

 面白いのはこの方々の親分さんというか、兄貴分たちが本当にモノ分かりがいい。井上さんの尊敬した親分さんなんて、人がいいにもほどがあると思えるのだが、それほど気っぷがいい。 鈴木先生など指は三度もつめたそうだが、やくざを止めるときに指をつめたわけではないらしい。余分のことだが、鈴木先生の最初の指を切るときは不思議にそんなに痛くなかったそうだ。それが三度目の時は気絶するほど痛かったという。私たちは聞くだけで身震いがして、想像がつかない。

 痛い話で興味のあるのは刺青でしょう。当たり前のことだが、同じ刺青でも上手下手がある。朱を上手に入れてあるのは美しいものである。私はお尻から腰にかけて牡丹の刺青をしている壮漢を見て、ほれぼれしたことがある。しかし、年をとって皮膚がたるむと醜くなるという。うなづける。一度入れた刺青を取るのは非常にむつかしい。硫酸をかけたりして消そうと努力するわけだが、その跡は、それこそ醜い。

 ミッションバラバの人たちは証しのために、刺青はぜひ残してほしいものだ。あの刺青はクリントン大統領の朝餐会でのスピーチの時にも列座の人たちに見せたのだろうか。憮然とする人もあろうが、世界無比の日本文化の粋(?)を公開したわけである。

 鈴木先生は大阪下町の生まれだが、言葉がすっかり東京弁で、しかも歯切れがよいし、言葉も明晰だ。牧師として、そうした面でも申し分がない。ぼつぼつ年をとって唇も舌ももつれだした私にはうらやましい限りである。

 ところでこの鈴木先生が説教の途中一度だけ、純粋の大阪の恐喝弁で「おんどりゃぁ……」と実演してみせた。恐れ入りました。

 東京弁がなぜうまいのか、聞いてみたら、ある事件の仕返しで命をねらわれた時、東京に二年間逃げていた、その間に東京弁を覚えたという。普通どんなに努力しても生まれ育った里のなまりは変えられないものだが、鈴木先生の発音は天才的に完璧である。さて

 この方々の証しを詳しく紹介する紙面がない。詳しいことは「刺青クリスチャン」(早稲田出版1700円)という本を読んでください。この本が発端で「映画化」の話も起こったのであるらしい。今年の秋には封切りの予定です。 

 

【私の想い出−11−】

信田和富さんは刑務所の中で、懲罰房に入れられたということを「刺青クリスチャン」の中に書いてあった。懲罰房というのは刑務所の中の刑務所です。私の在監当時は随分ひどかった。まったく人間扱いされない場所である。ところである時、私がほれぼれしたという刺青の壮漢(福岡県川筋の炭鉱の手配師らしかったが、なぜか私を可愛がってくれた)、この人が何かのことで懲罰に入ってきた。▼こういう人物は刑務所の中でも看守から一目おかれる。へんな監房にいるより待遇がよほどいい。おいしいものを食って、楽をしている。第一、房(部屋)の中にじっとしていない。棟の中を自由に動き回っている。そして私の房まできて、「元気を出せよ」などと言ってくれる。実は2ヶ月ほど前に私たちは同じ工場に居た。ところが私は戒護課長から呼ばれて「お前を工場におろしたのは間違いだった」と言っていきなり独房に入れられたのである。▼そこへ刺青の壮漢が懲罰で移ってきたのである。その懲罰房は私の房のすぐ前にあった。私は独房に移って半年ほどした時、罪意識に苦しんだ。しかもどうしてもイエス様の十字架が信じられない、その結果、地獄体験とも言いたい悲惨な心理状態に苦しんだ。そのドン底で私はキリストの言葉を聞いた。イエス様の血潮が私の内に流れこんできた。飛びあがるほどの喜びと、絶対な自由感があった。アウグスチヌスやジョン・ウェスレーを身近に感じた。あの監房が今も懐かしい。私は信田さんともっと懲罰房の話をしたいと思った。 

 

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