キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)

2000年9月

2000/9/24

  救 い の 確 か さ (二)

 「あなたはクリスチャンですか」と聞かれて、「はい、そうです。私はクリスチャンです」と答えられる人は幸いです。日本人は遠慮深いというか、恥ずかしがり屋というか、こういう時、はっきり「はい、私はクリスチャンです」と答えられる人が少ないのです。

 「ええ、まあ、クリスチャンのような者です。教会には行っていますがね、エヘヘヘヘ」と笑う。こういう笑いはいけない。

 「はい、僕はクリスチャンです。3年前に救われました。救い主イエス様を私の心に受け入れました。しかも、それからしばらくして聖霊様、神様の聖霊を受けました。それまで泣き虫だった僕が、こんなにすっかり変わりました、ワハハハハハ。僕の行っている教会はすぐそこです。さあ、ご一緒にいらっしゃいませんか」、こういう風にありたい。

 しかし、信仰の確信が無ければこうは行きません。自分に確信が無いのに、無理して右に書いたような愉快なクリスチャンぶりを発揮しなさいと言っているのではありません。まず必要なのは確信、つまり「救いの確かさ」を握っているかどうかということです。

 「あなたはクリスチャンですか」、こう問われて「ええ、だいぶ前、若い時に洗礼は受けましたしね、今も教会に時々行っています。クリスマスやイースターには献金も持ってゆきますよ。別に盗みもせず、姦淫もせず、時おり酒ぐらいは飲みますけれど、イエス様は愛の神様ですから赦して下さるんではないでしょうか。死んだ先、天国や地獄があるにしても、どうにか天国に入れてもらえるのではないでしょうか」。 これほどではないにしても、こういう程度の人は案外多いかもしれませんね。欧米でも、こういうクリスチャンが多いかも知れません。日本人の多くが信仰が無くても仏教信者のような顔をするのと同様に。

         *

 私の母も長い間、まったくその通りだったのです。私がまだ、小学校4、5年生のころです。その頃、母は急におかしくなりました。一日中、家事をしていても「神様、神様」とつぶやきながら家の中を歩いているのです。もちろん座って居るときも同様です。そして朝は早くからどこかへ行って居なくなります。
 「変だなあ」と子供心に思っているうちに、半年もしたでしょうか、ある朝、顔を輝かして帰ってきました。私をつかまえて言います。

 「義人、分かったよ。イエス様が私を救ってくださった。イエス様の十字架を信じるだけで私たちの罪は赦されるんだよ、イエス様は私たちの身代わりに死んで下さったんだよ」

 涙を流している母を見て私はびっくりしました。そして「信仰」とはこのように確実なもの、現実的なものである。本当に人を変える。あの愚痴の多い、おろおろしやすい母をすっかり変えてしまった「信仰」というものに私はびっくりしたのでした。

 母はそれまで洗礼を受けて20年近く教会に通っていました。クリスチャンの父と結婚してから尚更、教会生活に励みました。教会の婦人会の会長もしていました。悪いことは何もしません。時々、愚痴は言うし、人の批判もする、心に嫉妬をいだきました。しかし、そのくらいは誰もしていること。神様は赦してくれると思っていました。

 そういう信仰を牧師も先輩も誰も、注意してくれませんでした。いや、ただ一人、夫である私の父だけが「あんたは私にとって良い奥さんだけれど、たった一つ困るのはイエス様の十字架が分かっていないことだよ」とこぼすことがあったそうです。

 母は、「夫は理想主義過ぎるのよ」と思ってさして気にとめず、また父を責めもしませんでした。しかし母は父の信仰を理解していませんでした。父には深い信仰体験がありました。それは劇的な光の体験です。この事はよく、あちこちで書きますから省略します。

 ところで、母は幸いにもあるアマチュアの信仰団体からのパンフレットを受け取ったのです。今も私の机の引出にあります。

 「あなたは本当に救われていますか。あなたの救われているという保証はどこにありますか。あなたは教会の信者を30年続けていますか。しかし、信仰がなければ、その教会生活はあなたの救いの保証にはなりません。あなたは献金をずっと続けていますか。それどころか忠実に什一献金さえ怠らずに続けていますか。すばらしいことです。しかし残念ながら、それでも信仰がなければその献金の継続もあなたの救いの保証にはなりません。あなたは確かに30年前、ちゃんと洗礼をうけて居られますね。そして毎月聖餐式に預かりました。それでも、あなたに信仰がなければ、その洗礼も聖餐式もあなたの救いを保証はしません。あなたはイエス・キリスト様の十字架を信じていますか。十字架の上のイエス・キリスト様があなたをまったく救い、その血潮があなたを全く清めてくださることを自覚していますか」

 これらの言葉は、実は毎週、教会の講壇から聞いてきた言葉です。私の父である夫もしょっちゅう祈りの中で言っている言葉でした。しかし、そうした言葉はどこか遠い世界の言葉だったのでしょう。いわば聞き飽きている言葉でした。天国に行ったら、よくわかるように教えてくださるだろう、とぼんやり考えていました。

 しかし、今や、この言葉が剣のように彼女の心を刺したのです。この確信がなければ、私の死んで行く先は地獄であると分かったのです。それから、彼女の祈りの日々が始まったのです。そして半年もしたころでしたろうか。はじめに書いた母の喜びの体験が訪れたのです。

         *

 アウグスチヌス(AD354〜430)は 古代キリスト教会の代表的教父、最大の神学者です。彼がキリスト様を信じた時のあかしが彼の有名な「告白録」に載っています。彼は当時の新興宗教マニ教にも、真摯な哲学ネオ・プラトニズムにも傾倒できず、最後に聖書に来ますが、頭で分かるが信じられません。その時、隣家の子どもが歌う「取って読め、取って読め」の言葉に思わずうながされて、聖書を開いてある個所を読みます。その瞬間、「たちまち平安の光ととも言うべきものが私の心の中に満ち溢れて、疑惑の暗黒は全く消えうせました」ということが彼に起ったのです。

 これが「救いの確かさ」です。平凡な日本の女にも、古代の知識人アウグスチヌスにとっても、信仰とは体験すべきものです。こう言うと、「えっ?」といぶかる方もおられるかもしれません。それは「四つの法則」などで、最後に必ず「信仰とは感情ではありません。信仰とは聖書の言葉に堅く立ち、イエス様の救いの事実に信頼することです。ですから、まず事実、そして信仰、そして感情が最後についてきます」と教えられるからです。そのとおりです。信仰を感情体験と取り違えてはなりません。しかし、その心に起こる確信は体験しなければなりません。

 私は言う。感情ではない。光を見たり神秘な声を聞くことでもない。体が倒れたり異言のような霊言現象は無くてもよい。ただイエス様を信じたという魂の事実。あるいはイエス様が私のうちに入ってくださったという魂の体験がまず大切です。現象的体験は何一つ無くてもよい。「しかし、私は信じている」という魂の現実、これが「救いの確かさ」です。  
     (1999年1月24日週報より再掲載)

 

【私の想い出−17−】

上記の私の母の例ですが、彼女は、光を見たわけでもなく、声を聞いたわけでもなく、倒れたわけでもなく、まして異言が出たわけでもありません。しかし、確かにそれは聖霊様の働きだったと思います。それはアウグスチヌスもジョン・ウェスレーも経験した、その聖霊経験であったと信じます。ハドソン・テーラーもスポルジョンもこの経験をしています。この経験をあまり高調しすぎると、それは「経験主義」だと言って非難する向きがあります。そのことは、かつて金田福一先生からも聞いたように思います。しかし、私は金田先生と同様、この経験を遠慮無く語りたいと思っています。▼しかし、大事な事を言い添えます。「四つの法則」などで個人伝道を受けて単純に「はい、イエス様を私の心に受け入れます」と答えて、言葉の告白だけで信仰に入り、そしてその後みごとに信仰の成長をする数多くの人々の実例を見ています。ですから、上記のような聖霊経験が無ければ信仰は駄目だと言うのは重大な誤りです。信仰の言葉を告白をしつづけることにより、すばらしい信仰が魂に生まれるものです。▼とは言え、聖霊経験は大切です。聖霊経験は生涯に何度も与えられる可能性があります。聖霊経験は生涯に2度だけであると限定する神学に私は反対です。聖霊経験を繰り返すことにより、信仰は異常に成長します。私の母は残念ながら、その後、逐後的聖霊経験をしませんでした。それを教えてくれる人もなく過ごしました。息子として大変申しわけなく思っているのです。 

2000/9/17

  救 い の 確 か さ (一)

 世には自己催眠的な「信仰」というものがあります。日本人は昔からそれを知っているようです。「いわしの頭も信心から」などと言うのがそれです。こうして世間一般からホンモノでない「信仰」なるものが見抜かれ揶揄されているのです。

 精神統一や、空中浮揚をしたと言って霊能力を誇示するオウム真理教のごとき宗教の危険さを世人は初めて知りました。「何を拝んでもよい。信仰しさえすればよいのだ」などと言うのは、ずいぶん無責任な言葉なのです。

 ご利益を追及するばかりの宗教があります。石の地蔵さんや蛇を祭って祖先の呪いを払うなどという原始宗教、あるいは衒学的高度な言辞を弄し、あるいは地球がすぐにも滅びるなどと高圧的に恐怖心をあおって信仰を押しつける宗教、このように低次元の宗教は様々です。

 しかし、質のよい宗教もあります。たとえば道徳的に高い目標を掲げます。自制して高品位の人生を歩めと言います。経典や創始者の言葉は感動的です。しかしその教えに従おうとすると如何に努力しても理想どおりには行きません。人間の心はきたないものです。人の前に自分を偽り、義人らしく生きる事は出来ます。しかし、心の深いところで平安がありません。すき間風がはいるように心の中を冷たい自己否認か自己懐疑の風が吹き抜けます。

 私は戦前にダイヤモンド社の本だったか、ナポレオン・ヒルの成功哲学の本を読んでたいへん感銘を受けたことがあります。あの頃はまだそういった本はまったく無かったのです。こうした傾向の本は戦後も人気があり、今日も盛んです。潜在意識を用いて「考え方を変えよ」というタイプです。「信念の魔術」「積極的考え方の力」「眠りながら成功する」「セルフイメージを変える」「目標設定」「意識は現実を変える」等々です。

 軽快な宗教があります。それは社会、人生を上手に渡って行ける方法、そのコツを教えてくれます。家庭や近所付き合い、会社等での人間関係に成功する方法、自分自身の心がけを変えるテクニック、その実践マニュアル。これはけっして悪くはありません。案外古い新興宗教でも、たとえば生長の家、PL教団や倫理研究などに見受けられます。

 このタイプの指導手法は注意して用いれば教会でも有効です。夫のパチンコ癖が直るようにとか、登校拒否の中学生が学校へ喜んで行けるようにとか、家庭学習の下手な高校生に時間管理の仕方を教えたら、早速その日から勉強が楽しくなり、そして志望校に合格しましたとか、こういう実例はたくさんあります。日々の生活の心構えの転換です。しかしこれは宗教とは言えません。「生き方の講習会」に過ぎません。

 それらは生活に関する一種の「救い」かは知れませんが、本当の人生苦の深渕からは救い出してくれません。「人間はどこから来て、どこへ行くのか」、そういう人生最深の悩みを救ってくれません。

          *

 私の青年時代、私の親友が厭世自殺をしました。それは彼の哲学から来る結論でした。ある古代の東洋の詩人が、「人の最大の幸福は生まれなかったことである。次に幸福なことは一刻もはやく死ぬことである」と歌っているような哲学、私も共感しました。そして私も深刻に悩み始めました。「人間が四十年、五十年苦労して生きている価値がどこにあるのか」、どう考えても私には「40年、50年苦労して生きている価値は人生のどこにも無い」ように思えました。私はその親友の死に釣りこまれて私も死んで行きそうな感じがして、恐れ、また苦しみました。

 そうした中で、問題は自分自身のエゴイズムにある、それが罪だと分かって来ました。どんなに人にたいして真実と愛をもって接しようとしても、所詮は私はエゴイスト、人を信じきれず、最後まで愛し通せない。却って人をだまし裏切りさえする。そうした自分の醜い不真実さは、まさしく親鸞のいうように私の心も「蛇蠍のごとく」、「地獄ぞ一定棲みかぞかし」です。 人間がまじめになればなるほど、善い人間になれるかというと、さにあらず、人間は心底徹底して真面目になればなるほど、自分の罪や醜さ、卑しさ、弱さに苦しむのです。

 そうした人間の内面的良心の苦悩の結末は永遠の死です。この結論から人は逃げることはできません。もちろん自分をごまかして、そういう問題を考えない事にする事は出来ます。多くの人が「死」を考えない事にしているように……。「人間は死と太陽はまともに見つめることが出来ません」。同様に人は自分の罪をまともに見ることはむつかしい、絶対的不安が見え隠れして、ついてくるのです。

 アウグスチヌスは言いました、「人は神に造られたので、神に帰るまでは平安を得ない」。 人の魂は根本から罪に歪んでいるとは言え、創造者なる神の霊性は人の内奥に隠れています。人はこの内なる罪と神的霊性の二つの間の相剋に悩むのです。不安を生じます。そして強力な罪の力により神の霊性の影響下にある折角の良心は、その働きを封じられているのです。「ああ、われ悩める者なるかな」(ローマ7・24)とパウロの言うとおりです。

          *

 聖書は、人間の力でいくらあせって、がんばって罪と悪の勢力と戦っても、到底勝てないと、告げます。しかし、ここに私たちのために身代わりとなって罪と死に勝利し、罪の代価を死をもって支払ってくださった方がある。この方に信頼するなら、この方は既に永遠の生命への道を私たちのために備えて下さっている。この方に信頼するなら、私たちは永遠に生きることができます。

 イエス様は「私は道であり、真理であり、命である」と言われました。釈尊といえども「私は生命である」とは言いません、「私は法ではない、法を悟ったものである」と言ったのです。しかしイエス様は「私は法(真理)である」と言われる。

 イエス様を信じるとは、イエス様のお言葉を実行して善い人、清い人になるということではありません。イエス様を私の心に迎え入れ、私の心の中でイエス様に生きて頂き、もはや私が自分を生きることをやめる、これがキリスト信仰です。

 どうぞ、今、次の言葉をイエス様に語りかけてください。

「イエス様、私は罪人です。生来罪の性質を持っており、今も罪を犯しつづけています。このままではたまりません。どうぞ、私の内に入ってきてください。私を赦し、私の中にお住まいください。そして、私を支配して下さい。」

 そうすると、イエス様はあなたの魂の中に入ってきてくださり、いつまでもお住みになってくれます。ところで、

          *

 「信仰の確かさ」という言葉は私は青年初期に、原田美実という先生が出しておられた「基督」という雑誌で読んで知ったのです。この雑誌を読んで私は、この原田先生こそ「信仰の確かさ」を握っていると信じた。そして失礼ながら当時の私の周辺にいた牧師さんや信者さんたちが、その「信仰の確かさ」を持っていないことに私は気づいていた。ただ私の父や、私の伯父釘宮徳太郎はそれを持っていたことが分かっていた。そして、私はそれを真実、欲したのです。(1999年1月17日号週報より転載) 

 

【私の想い出−16−】

原田美実先生は元ルーテル教会の牧師先生だった。何でか知らないが、「宗教裁判にあって教団を放逐された」のだそうだ。私の伯父釘宮徳太郎とは生涯の友であった。元来「へその緒を切って以来笑ったことのないような」(原田先生評)伯父が、温容溢れる笑顔の人に変わったのは、すべて信仰のお陰であろうが、又この原田先生との交わりのおかげであったと思う。男らしい率直に物を言う、妥協の無い先生であった。▼伯父が天に帰り、私は兵役法や出版言論法違反で刑務所に入っていた、その間に先生は基督心宗の創始者・川合信水翁に弟子入りしたことを後で知った。先生はルーテル教団を出て以後、内村先生の無教会主義に専心打ち込んだ。内村先生絶対だった。その先生がどうして川合の元に走ったのか? 原田先生は信水翁を真の師として発見した時、これまでの無教会の関係や、一切の義理人情を捨てて、その新しい師匠信水翁門下に入ったのである。▼川合信水翁は冬の仙台宮城野で連夜瞑想して徹底的回心をした人物、郡是製糸の教育部長をしたことで有名、女工さんたちが賛美歌を歌って糸をつむぎ、アメリカの絹織業者を驚嘆させたという人だ。無教会のいう「ただ信仰のみ」というだけではない、本心も生活全体も徹底聖化しようとする完全主義者である。この師匠に先生は残る生涯のすべてをかけた。初々しい少年のように川合信水翁のもとを訪ね、全くへりくだって入門したという。山折哲雄先生に言わせれば、この方々も「例外者」の一人であったと言うだろう。 

2000/9/10

    神を求めること
       神に会うこと
         神と交わること

 最近、ある姉妹と話しているうちに、ついキルケゴ−ルを持ち出してしまった。滅多にしないことだが、お調子に乗ったのである。あとで考えて、あれで良かったのかなあ、と心配になった。私のキルケゴ−ル理解は雑なもので、学究者の読みに耐えるものではない。

 私は、「死に至る病」を一度読んだだけだ。それも若い時だったから、「ああ、死に至る病とは絶望のことなんだな」と走り読みして、分かったような気がしただけだったのだ。

 しかし、その後、キルケゴ−ルに関するものを読むと、何だか分かったような気がする。また不思議にこの哲学者は私に身近に感じるのだ。私の思うのに、彼は哲学者と言っても並な哲学者ではない、クリスチャンとしてちゃんと正鵠を得ているし、その信仰をしっかり目途としつつ神学ではなく哲学を叙述するのだから、こんな哲学者はほかには無いと私は思う。

 こうした感じは内村鑑三先生がそうだったらしい。鑑三先生はキルケゴ−ルを一冊も読んだことは無いのではなかろうか。そのくせ、先生はしきりにキルケゴ−ルをを持ち上げる。その反骨振りと憂鬱な容貌が気に入ったのかもしれない。彼を無教会主義者とまで言うのは贔屓の引き倒しだが、一つは鑑三先生のデンマーク好きが、そうさせるのかも知れない。

 そう、キルケゴ−ルはデンマークの人。アンデルセンと同時代、アンデルセンより遅く生まれ、早く死んだ。それだけでも、何だか悲痛な人物に見える。

          *

 キルケゴ−ルの哲学を語ろうとすれば、彼特有の彼の用語を羅列するだけで、その全容がわかるような所がある。今、一応それを私なりにあげてみると、本の名前として前述の「死に至る病」、それから「あれか、これか」、「反復」等々。その他の用語として「単独者」、「瞬間」、「キリストとの同時代性」、「実存」などです。

 人生において「あれか、これか」の選択に悩み、いい加減に出来ない深刻人間はついに絶望する、私の親友A君もそれで自殺した。私はその余波を今も受けている感じがする。(今の私は陽気に見えるだろうが、内には深いペシミズムがある。アフリカ伝道のアルバート・シュバイツアーも同じようなことを言っている。真実に生きようとする人間はその本質に悲哀を持たざるを得ないと私は思う)。悲哀の極は絶望、絶望は死に至る病だ。

 人間は永遠に生きられない。その人間が永遠にあこがれる、鮭が生まれ故郷の源流に帰ろうとするように。その永遠の生命への回帰志向、それが宗教の起源だ。それは長い求道模索から始まる。そして、やっとなつかしい河口に踊りこんだ時の喜び、それが新生体験である。

 ところで、この新生体験は永遠の神が有限の人間に出会う事だから、本来は容易な事ではない。神の前に立つ時、その人は「単独者」として立つ。孤独な罪の意識に苦しむ。永遠の聖なる世界から、平面の強欲で卑劣な人間の世界に垂直に降りて来る福音を受容する時、それをキルケゴ−ルは「瞬間」と呼ぶ。

 同じような体験を持つものは、このキルケゴ−ルにはなはだしく共感するだろう。それはイエス・キリストと共に死に、イエス・キリストと共に復活するという体験である。これをキルケゴ−ルは「キリストとの同時代性」と言う。

          *

 神は永遠にして義と愛の神、この方を人間はしきりに求める。そう簡単に会える筈もない至高ななお方、このお方が卑しい人間を逆に求めてくださる。この逆説的な〈人を求める神〉に出会う時、人は本当の人になるのである。

 そして、この神に目覚めた人間は、更に命の川を遡って源流にたどりつこうとする。まさしく、〈人が更に人になろう〉とする、その動的自我こそ、「実存」である。

 バルトやツールナイゼンが「山上の説教」を出したのは、キリスト教史上画期的なことであったかと思う。トルストイが真っ正直に「山上の説教」に挑んで頭を岩にぶっつけて死ぬような目にあったが、トルストイならずとも真面目な魂がキリストの福音を抜きにして「山上の説教」に直面すると自爆的悲劇に会うのである。

 主の祈りに従って、神の御心を地上の私の心や行動に活かそうとすれば、前記の自爆的矛盾に陥る。それが先に述べた「更に命の川を遡って、まさしく人が更に人になろうとする動的自我なる『実存』」が苦悩する時である。実存哲学者は、そこを不条理と言うのであろうか。

 しかしキルケゴールはキリストの十字架の愚かな福音をもってその亀裂をふさぐ。「あれか、これか」の矛盾を本当に抜けるには、この同時代性の道しか無いのである。

 多くのクリスチャンは実際体験として、この関所を通過してきているはずだが、それをはっきりコトバにしたのは、キルケゴールの功績ではなかろうか。と、しろうとの私は思う。

          *

 たしかに、私はしろうとである。このように書き進んできて、どうも「自分」を語りすぎている感じがする。ご容赦願います(笑)、これは田崎先生の文章の真似です。キルケゴ−ルの用語を拝借して、自分の幼稚な神学を語っている感じですが、このまま続けます。

 「反復」という言葉には、こんどキルケゴ−ルの文献を読んで、初めて気づきました。今までの私が知っていたキルケゴ−ルには「反復」という思想はなかった。これは大変な無知だったと思います。

 罪を犯さざるを得ない地上の世界で、神の恩寵によりキリストとの同時代性を把握した時、さように活かされた彼は、そのキリストとの同時代性の生き方を彼自身で反復せざるを得ない。あきらめず、怠らず、持続して維持する、その反復の精神機能こそ、活きている信仰です。

 ここで、最後に私の言葉に帰りたい。この反復機能とは、持続する信仰告白です。信仰の言葉を「自分自身に言い聞かせる」作業です。

 ここでキルケゴ−ルから逸脱するかもしれませんが、私流の「自分自身に言い聞かせる」方法を取り、明るい陽気な積極的前向きの信仰の言葉を告白し始めると、あのペシミズムは軽く吹っ飛ぶのです。(ちょっと前述したアルバート・シュバイツァーですが、彼も言いました。「私はこの時代に対して認識においてはペシミストであるが、希望においてはオプチュニストである」と)。

 今度、拡大宣教学院から前もって私の講義テーマを知らせてくれと要望があったので、私は「種々の瞑想について」とタイトルだけを送りましたが、このタイトルはまずかった、本当は「いわゆる瞑想ではない瞑想について」と題すべきではなかったかと今、思っているのです。

 瞑想とは文字どおり瞑目して無念無想になることだと多くの人が思っている。そうした精神制御方法を目指しているうちに、心のやりくり、単なる呼吸法、健康法、暗示法、催眠術などに堕ちてゆく。本当の瞑想はその程度の事ではない。私は気がついた、「キリスト教的瞑想とは神と交わる工夫である」ということです。(工夫というのは、実におどけた用語ですが、これは賀川豊彦先生から習った用語です)。

 結論を言いたい。神様に出会い、感謝し、喜んで、嬉しくなって「ワッハッハ」と笑う、例の笑いの練習ですが、これが一番いい、これを反復しよう。神と交わり、命の源流にさかのぼる、易しくて優しい、これがキリストと共なる私に最適の道なのだと思ったことです。 

 

【私の想い出−15−】

大正時代の出版界のベストセラーは賀川豊彦先生の「死線を越えて」と西田天香師の「懺悔の生活」である。どちらも資本主義の社会の本質そのものにむかって刃向かっているような所がある。それが理論でなくて、実存的なのだ。そこに私は心を奪われた。終戦後の2年間、私は単独で、戦災孤児やホームレスの人たちと共同生活を始めた。このお2人による影響が多分にあったのである。▼さて賀川先生だが、この方の頭脳明晰さは比類がない。昔の道にはよく石ころが転がっていたが、先生はふとその小石一つを拾って「やあ、これはどこどこのなんという岩石ですよ、どうしてこんなところにあるかなあ」などと例のトラホームにかかった目でのぞきこむのでです。講演会で原子番号など全部宙で言ってみせて聴衆を煙に巻く、私の理論物理学好きは賀川先生の影響である。最後に「皆さん、イエス様を信じましょう」と言って決心カードを集めた。戦後日本のリバイバルと言われる所以であるが、あの頃の聴衆はキリスト教の流行にかぶれたいい加減な人が多かったのは残念である。▼さて、賀川先生の工夫は「聖無関心」でした。これはあまり知られていない先生の真骨頂です。日本最初のストライキ、三菱造船の労働争議を指導して警察に放りこまれた時、留置場のなかで足の膝の間に頭をつっこんで工夫したという「聖無関心」、型やぶりの瞑想法ですが、社会運動の修羅場のさなかで励んだ霊的修練、世界の賀川豊彦を造った一端であったに違いないと思うのです。 

 

2000/9/3

   キリストの血により
世界の人類が一つになる

 毎日新聞の先月25日の記事によれば、和歌山県では外来種のタイワンザルが野生化してニホンザルと混血し、生態系が乱れる恐れがあるという。それをふせぐため約200匹いるタイワンザルを一斉捕獲し、薬殺する方針だという。

 私はゾッとした。ナチスのユダヤ人殺害事件を思い出したからである。他民族を抹殺して、自民族の純潔を守ろうという部族紛争は今でも世界で起きている。「純血」運動は怖い。

 しかし、これは動物じゃないか。サルじゃないか。学問のためだ、良いではないか。と、学者は思うのらしい。でも私は、そう思えない。

 生態系という言葉をタテにして、学者が主張するのは、研究を安易ならしめる為か。いろいろ雑種ができれば、まぎらわしくてかなわん、とでも言うのか。厳密な研究をしようとする学者の方々としては不似合いな主張だと思う。

 雑種がはいってきて生態系に異変が起りそうだというなら、又とない研究の好機会ではないか。和歌山県から始まって全国の山々に混血サルが行きわたるまで、どういう経過をたどるか。世界で初めての研究材料ではないのか。

          *

 以上の一文は、実は毎日新聞の読者欄に投稿した原稿である。さて、毎日新聞の記事では、このことを決めたのは動物管理なんとか委員会という会だそうである。その会長は大阪の大学の生物人類学の教授であるが、「こんなことを決めたのは世界で初めてでしょう」と自慢げに言っている。学者というものはいつも「世界初めての発見や発明。世界初めての学説や研究」と、いつも「世界初めて」を狙っているので、つい、こういう言い方になるのであろうか。

 わが家人は言う、「可哀想に……。殺したりしないで、どこか無人島でも捜してサル島を作ったら、どうなのかしら」。

 それも一案だ。隔離移動政策である。古くはバビロンのユダヤ人政策がそれだ、アッシリアも同じようにヒゼキヤ王に提案した。それに引替え、混血政策をとったのはアレキサンダーだった。近代では。アメリカは白人中心で問題はあるが、ともかく移民寛容主義を取った。

 私はかつて在日韓国人問題について、日本への帰化申請を日本政府は簡単に受理し直ちに許可する方針を取るべきだと言ったら、当の韓国の牧師先生から不愉快な顔をされて困ったことがある。愛国的韓国人からはそういう反応を受けることを初めて知ったのであった。

 私は思う。民族の調和を図るには、雑婚が一番てっとり早い、と。部落問題の解決でも、単なる啓蒙教育では、はかばかしくないのはご存じのとおりである。どんなに分かっているように見えても、クリスチャンでさえも、現実の問題として部落の人と結婚するということになると反対することが多い。

 しかし昨今、各自勝手に東京あたりに出て行って学生結婚でもすると、なんの反対も障碍もない。これは「隣は何をする人ぞ」という大都会の良さである。

 ともかく、犬でも雑種は案外出来がいいのである。イギリスはヨーロッパからの流れ者の漂着のたまり場と言えるかも知れない。アメリカはそれに輪をかける。人種の雑種(言葉が悪くてご免なさい)が出来上がる。それがイギリスやアメリカを大ならしめた一因かもしれないなどと思うのである、呵々。

 日本はどうです。人種的に言って日本はアジアのゴミ捨て場です。アジア難民の最後の流れ着くところです。日本人の頭蓋骨は各人各様でその先祖様が違うこと、やはり雑種であることを指しています。イギリス人も同様です。

 この観点からいうと、日本人は単一民族であるなどというのは間違いです。雑種民族です。天皇家はダビデの血統だという説もありますが、クリスチャンには興味深い研究です。我々九州人にはたぶん熊襲の血が多いでしょう。東北の人々にはアイヌの血が混じっているでしょうか。加えて日本人には西アジアや東南アジア、近くのフィリピンや朝鮮半島、中国、モンゴル、ロシア。あらゆる民族の血が混じっているはずです。純粋な血統を守っているのは近親結婚を繰り返してきた天皇家だけでしょうか。その天皇家でも、かの韓国では悪名高い三韓征伐の神宮皇后が実は韓国人だったという噂もあります。 こうして、こまごまと書いたのは、雑婚して混血民族が生まれて増えてゆくなら、それは世界人類が一つになる兆しではないか、良いことではないかと思うからです。いやこれは、しろうとの意見、少々脱線です。

 世界を一つにする方法は主がご存じです。

          *

 望ましいのは、キリストの血による混血です。 私はまだ22歳の若い日、晩秋の一日、刑務所の中で救われました。毎朝せんべい布団の中で目が醒めると、私の全身をキリストの御血潮がコトコト音を立てて流れているのが耳に聞こえる思いでした。「イェス君の熱き血潮の今も尚、溢るる思いわが身にぞすれ」と歌ったのはその時のことです。この歌を私は生涯忘れないでしょう。

 血は命です。私たちにはイエス様の十字架の血潮の輸血が必要です。イエス様と結婚し、イエス様の花嫁となり、イエス様の血潮を頂く。これが罪の赦し、罪の牢屋からの奪還、救いです。イエス様の傷は私たちの病を癒し、心の傷を癒します。あなたの肉体や心の傷を、そのままイエス様に丸ごと持って行ってイエス様の傷に接合させなさい。イエス様の血潮はあなたの傷をまるごと癒します。

 人間関係の破れ、これを繕うのはイエス様の血潮です。皮膚の傷を癒すのは自然治癒力だと医者は言いますが、心の皮膚の破れをいやすのはキリストの血の力です。宇宙的な罪の根源、物理的なあらゆる矛盾、呻いている宇宙の痛みを繕うのは神の痛み、神の傷、キリストの血汐です。主よ、あなたのご宝血の御力がすべての傷を癒し、死を生に導くのです。

          *

 この御血潮の力を誉めたたえましょう。この血潮の御業による多くの奇蹟が伝道者や賜物を与えられた人々によって、もたらされてます。すばらしいことです。しかし、更に善いことはあなたが出かけて行くことです。あなたが御血潮の賜物を受けて、主が命じる所、そこが南米であれ、あるいは隣のお爺さんであれ、あなたの苦手な課長であれ、そこに行きなさい。

 私は若い時、「鶴崎(今は大分市の一部)に行きなさい」と主のお声に従って、ただちに金もなく援助者もなく、もちろん定職もないまま鶴崎に行きました。ボンケ先生の伝記を読んだ時、彼は少年時代に「アフリカに行け」とのみ声を聞いたのだそうです。私は、「ボンケ先生、よかったですね」と心の中で先生を祝福しました。ボンケ先生はアフリカ。私は九州大分の小さな町、鶴崎ですが、どちらも主からのご命令です。私は少しもボンケ先生をうらやましく思わず、残念でもありませんでした。(もっとも正直に言うと、私はアフリカでなくて良かったと思いました。主よ、ご免なさい。)

 イエス様は五千人の人々に拡声器もないのに説教なさいました。けれど又、家に溢れている小さな集団を相手に、あるいは又、たった一人の人を相手に、また別の記事では一人の人を捜し出してまで「私はキリストである」と証されたとも聖書にあります。

 友よ、どこにでも命じられる所に出かけて行きましょう、主の血潮なる聖霊様を携えて。それが日本を救い、世界を救う道であります。 

 

【私の想い出−14−】

神は地上のすべて父と言われている者の源である父です(エペソ3:15参照)。 神は地上の父と言われている者たちに似ているから、父と言われているのではない。地上で父と呼ばれている者たちこそ些かでも、その父長的地位や権威が似ているから、彼らを父と呼ぶことを認めているのである。家においては現実の父がどんなに愚かで誤りの多い父であっても、彼を敬うことは聖書の教えです。日本の父は天皇です。日本国民として天皇様を尊敬することは聖書の教えにかなっています。▼さて「私の思い出」を書きます。私は小学校の時、日本の歴史を習って、昔の天皇家には兄弟や父子、身内同士の争いが沢山ある、神様の子孫にどうしてこんなことがあるのか、とびっくりし思い惑ったものである。しかし日本の神話を学び、旧約聖書の創世記の物語を学ぶと、残念ながら格段に相違する、目が醒めます。聖書の神様はただ一人、万物を創造された神である。日本の神々は被造物から生まれ出た者に過ぎない。神と称するけれど所詮、人間と異ならない。戦争も姦淫もするはずである。聖書から見れば天皇も罪人である。天皇様も悔い改めてクリスチャンにならなければ救はない。▼でも天皇家の菊の紋章に似た紋章がエルサレムの城壁に掲げている。ユダヤ国家の国章と同じ紋が伊勢の灯篭に刻まれている。三種の神器のヤタの鏡には「我は在りて有る者なり」という聖書の言葉がヘブル語で記されていると聞く。日本の天皇家は不思議な家系、尊敬に値すると私は思う。 

 

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