キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)

2000年11月

2000/11/26

    救いの確かさ(七)

 救いの確かさとは何か。これまで6回にわたって書いてきたのは、ほとんど入信体験の確かさでした。特に「回心」と呼ぶ瞬間的体験としての入信体験でした。

 先週の11月23日は、私の回心56周年目にあたる日でした。自祝の意味もあって、私はその記念集会を開いたのでした。少々茶目っけもあって、いや失礼ながら会衆を厳選する気持ちもあって、あまり宣伝もしなかったのですが、それでも17名の集会になりました。

 それは、この日の集会を軽んじていたのではなく、かえって大事に思っていた為です。この日を期して私の最後の伝道10年の第一歩を踏みはじめようと気負ってもいたわけです。ですから、旧賛美歌をいくつか歌い、席も自由にすわったり、椅子についたりで、初期の集会形式を思い出しながら開会したことです。

 本来の「回心」という言葉は意味が広くて、普通「悔い改めて神様のもとに立ち返る」ことをさすのです。しかし、「神の聖霊に触れて」瞬間的に魂がひっくり返り、キリストの救いを確信せざるをえないような体験をすることがあります、それを特に「回心」と呼ぶのです。

 内村鑑三先生はこれをコンポルジョンと、英語ですが明治風にローマ字式で呼んだものです。もっとも古いアメリカではこういう発音だったのかも知れません。現在はたいていコンパージョンと言っています。

 内村先生は言う、「これはどうもプロテスタントだけの経験らしい。カトリックには無いのではなかろうか」などと。カトリックの人たちが聞いたら腹を立てるだろう。アウグスチヌスを見よ、彼の「取りて読め」経験はまさしく回心そのものでありますから。

 これは実は宗教心理学として扱えば、他の宗教にも似た経験があるようです。仏教の真宗でいう廻心(えしん)というのがそれです。字もほぼ同じであるように、心の経過はほんとうに似ています。

 つまり、一度絶望のドン底、どうにもならない精神的行き詰まりに陥り、その極みのところで一瞬に光明が暗室に差し込んでくるように大変化がおこる。歓喜、歓喜、大歓喜、喩えようにない喜びと平安と自由感がやってくるのです。

              *

 これが56年前の私の獄中での信仰体験です。その時、私はまさしくホーリネス派でいう「きよめ」体験に入ったのかと思ったのですが、そうではなかった。けれども、この経験は貴重です。スポルジョンやハドソン・テーラーなど、みなこの経験をしているのです。

 私は思う、クリスチャンはすべからく。これを第一次体験として、次に本当の聖めの聖霊体験をすべきなのだと。でも、私は聖めの聖霊体験を経ないで、ペンテコステ体験を先にしました。これはしかし聖書的です。霊的賜物、異言、癒し、その他の奉仕能力などを頂いたのです。

 残念ながら、私は特別大きな特殊な奉仕はできませんでした。だからと言って、霊的賜物を全然頂いていないと言えば嘘になります。

 たとえば、こんなことが起こりました。ある時、26歳の春、イエス様が私の中に入って下さった。驚嘆すべき体験でした。ところが、その翌日、うっかり私が小さなことに腹をたてました。そうしたら、私の内側でイエス様が笑いながら私に問うた。「お前は一夜寝たら私が居なくなるとでも思うのか」と…。私は頭をかいた。しかし、この恵まれた経験もそう長くは続かなかった。いつしかイエス様の内在感は薄れた。

 次に、一日中、絶えず神様に祈っている経験を得たことがある。突然、それは私に起こった。ご飯を食べているときも、映画を見ている時も、金の勘定をしている時も、うんこをしている時も、神様に祈っていた。

いや、小事ではあるが、悪いことを営みながらでも神様に祈っているということさえ起こったのだ。これには我ながらびっくりした。こんな二重人格ぶりは説明しにくい。こんなことで、完全に聖められたとは言えないではないか。これは1、2年つづいて消えた。

 数少ないが、異例な人物伝を読むことがある。どんな汚れをもまったく捨て去ってしまっているような…。清冽で明朗で愉快な人物である。歩くたび右足をあげて「栄光」と叫び、左足をあげて「ハレルヤ」と叫び出すような人物である。しかも気違いじみていない。

 こういう心境をちょっとの間でも、たとえ1分でも2分でもいい味わいたいですね、それには、神様にすべてを献げ、み心のままに生きて、失敗しても成功しても、結果はすべて神様にまかせて、心を安んじてすぐ次のことをする、こういう工夫をするとよい。この「神様にすべてを献げる」ということ、これは平凡ながら実行しやすい入信後の「悔い改め」である。メソメソ泣いて懺悔することでない。

 ところで、こういう際(きわ)だった例を上げすぎたが、本当は単純で軽い「入信体験の確かさ」でよい。その持続が大切だと思う。その信仰持続の中で、時々振り返って見ると、自分の信仰がすこしでも成長してきているように見えたら、それこそ救いの持続的確かさである。救いの確かさの第一は「入信の確かさ」だったが、第二は「信仰持続、成長の確かさ」なのである。

 時々、ある人々の証詞を聞くと、すばらしい証なのだが、なんど聞いても昔の聖霊体験の思い出話だけ、ということがある。今のその人の信仰ではなくて、昔のことばかりをを誇って言う。そして周りの信徒たちの霊的弱さや浅薄さを揶揄する、そういう人に会うことがある。けっして信仰が無くなっているのではない。しかし、成長していないのです。

              *

 以上、入信の確かさに続いて、信仰の維持成長の確かさについて述べてきました。真に成長過程にある人は初心的信仰の人を冷笑したり批判したりしない。できるだけ成長の援助をしようとするものです。

 私がかつて信仰の指導をした人で、たしかに立派な回心をしたのでけれど、その後、自分の信仰をあたかも自分で掴み取ったかのように威張って人を見下す人が居た。そういう人はなかなか信仰が伸びない。主は言われる。「あなたがたの持っているものの中で、なにか貰っていないものがあるか。」

 成長が確かであったことは、主の導きが確かさであったことを回顧する時、分かる。そうした時、その人はこれから先のすべての事においての神様の導きについて確信を抱く、「神はすべてのことは相働かせて益とさせてくださる」のだと。これが第三の「導きの信仰の確かさ」である。パウロは暴風に悩まされる船のなかで、絶望している同船の人々に言った、「万事はよくなって行くと神かけて信じている」と。「万事は良くなってゆく」!、先取りの確信である。

 まだ見ぬ事実を先取りして感謝する信仰、未来先導の主を信じる信仰、回顧の信仰でなくて、前方の目標に主導してゆくミサイル型信仰、未来に導かれる信仰の確かさ、これこそ「救いの確かさ」である。

 救いとは闇より光へと悪魔の手より私たちを奪還し、天国へと凱旋させてくださるイエス様による勝利的人生の確かさに他ならない。

(週報1999年3月14日号掲載の文章を今回全く書き改めました。)

 

2000/11/19

  救 い の 確 か さ (六)

 1511年、29歳のマルティン・ルターはローマに行きました。ピラトの階段と言われているものがありました。イエス様がピラトの裁判を受けられる時、上がって行かれたその階段だと言うのです。その階段をひざまずいて上がってゆく人には功徳があると信じられていました。そういう聖蹟遺物が当時たくさんありました。階段にはガラスの破片が撒いてあり、膝に傷を受けながら上がるという苦行なのです。

 ルターはその階段をのぼっていく途中、あの「義人は信仰によりて生くべし」という聖書の言葉を思い出したのです。決然として彼は立ち上がり、階段を降りて行きました。その頃すでに彼の心には福音信仰が醸成され始めていたと推察出来るのです。その時、ルターはまだ確信を持っていなかったかと思います。肉と罪との戦いに、勝利を得ることができず、悩み苦しんでいた時ではなかったでしょうか。

 1513年、その年の初めの頃、ルターはウィッテンベルグ城の塔の中で徹底的回心をしたのであろうと多くの歴史家が言います。

 彼は回顧して言います。「その時、私は一瞬にして新しく生まれたように感じました。パラダイスの扉が目の前に開かれたような気がしました」。まさに、ルターはこのウィッテンベルグの城で初めて「救いの確かさ」を掴んだのでありました。

 この経験が内村鑑三がコンポルジョンと呼び、石原兵永が「回心記」(新教出版社刊、ただし絶版)で強調したコンバージョンです。ウイリアム・ジェイムスの「宗教経験の諸相」(日本教文社刊)を読むと、このコンバージョンの驚嘆すべき体験談がたくさん記録されています。

 畏友・今橋淳先生は、私も親しかった桜井先生という方の按手と祈祷を受けて一瞬バリバリ音を立てるようにして脊髄カリエスが癒された。そしてイエス・キリスト様の救いがこれまでの教理的理解はでなくて実存的体験として分かったのでした。(この奇蹟的回心については先生の自著がある)。

 この今橋先生から、かつて「釘宮先生のコンバージョンはどんな様子だったのですか」と問われたことがあります。私は例の刑務所の中での体験を話したら、「その程度のことですか」と落胆した顔をされました、呵々。

 とは言え私が、その時いただいた信仰は神様からのものです。如何に小さい信仰でも、質的にはペテロ、ヨハネ、パウロと少しも違わないと、その時すでに信じていました。今ももちろん、そう思っています。親鸞が他の弟子たちとの信心問答で、「法然上人の信心と私の信心は微塵も違わない」と断言したそうですが、それとよく似ています。

         *

 モラビアン兄弟団の総師ツィンツェンドルフ、不思議な人です。この人は1700年にドイツのザクセンの伯爵家に生まれました。ルターよりも約200年後の人です。なんと4歳の時にイエス様に従う決心をしたそうです。6歳の時にはスエーデンの軍隊がザクセんに侵入、あらくれ兵士どもが略奪のため城に乱入してきましたが、この少年は少しも恐れず祈り続けていました。兵士たちはこの少年の姿を見て、恐れて何もできなかったといいます。

 成長して、19歳の時、大学を卒業、当時の青年貴族らしく、国内を旅行しました。そしてデュッセルドルフの美術館で「この人を見よ」という十字架上のキリストの絵を見たのです。その下に文字がありました。
 「我はなんじの為に生命を捨つ。なんじは我がために何をなせしや」

 彼はこの言葉の前で棒立ちになりました。涙にむせんで立ち去ることが出来ません。その時、あらためて彼は献身の思いを堅くしたのです。

 後に、チェコスロバキアの中部モラビア地方からクリスチャン農民たちが逃れてきました。彼らはルターをさかのぼること百年、宗教改革の先駆者ヤン・フスの流れを汲む真の信仰者たちでした。ツィンツェンドルフは彼らを自領に迎え入れて安全を保証したのみか、彼らと共に信仰の集団を組織します。それがモラビアン兄弟団です。

 モラビアン兄弟団のことは又、稿を改めたいのですが、彼らは殉教的海外伝道に出て行きました。彼らが編集した聖書日課は、今も毎年編集されてローズンゲンという名で知られています。彼らは数の多くなることを求めず、今も本当に小さい教団で満足しています。

 さて、このツィンツェンドルフの信仰は、いつ生まれたのでしょうか。彼のコンバージョンは、いつ起こったでしょうか。あの4歳の時や、19歳の時も、いわゆるコンバージョンではなかったように思えます。

 彼の信仰は非常に意志的です。決意の強い人に見えます。断固として意志的に信じたもののようです。それが彼の回心でした。彼は世論を恐れず異国の難民を受入れます。彼の信徒指導は徹底しています。少年少女たちまで自発的に徹夜して祈ったと記録に残っているほどです。

 この教団の霊的な信仰はジョン・ウエスレーの霊的自覚とコンバージョンを生み出し、聖霊と聖潔のメソジスト教団を生み出させたのです。 こうしたツィンツェンドルフの信仰の強固さはどこで生まれるのでしょうか。私は推察します。聖霊の働きはさておき、み言葉による感動、自身の意志力の強靱さ、これらによって維持する彼の真摯な祈りによる成果であろうと。

         *

 ところで、文章を急に変えて、現代の私たちに目を留めます。最近の伝道実践の中では、簡単な個人伝道トークスに対し、即刻イエス様を受入れて簡単に信仰にはいる人が多いのです。「路傍で拾ったトラクトを読んで、その最後の信仰の勧めの所で「ハイ、信じます」と一人でうなずき、署名欄に名前を書いて、「その時からずっと信仰をつづけています」というような人さえいます。そうした証しをじかに聞いた時、本当に驚嘆しました。

 私はそうした信仰に対し、疑い深く、かつ拒否的でした。伝道メッセージを聞いて、簡単に自分の決断で「ハイ、信じます」と答えるのが虚妄に見える。「そんなことは、信じられない、それは偽の信仰だ」と一人ぎめしていました。これが私の正直な態度でした。

 かつての私はひたすらコンバージョン風の瞬間的確信を求道者にも求めました。そして22歳の秋(11月23日)、遂に聖霊様によって望みはかなえられて瞬間的確信が与えられました。実に感謝でした。しかし、そのゆえに単純に「ハイ、信じます」と言って信仰を受け入れた人の信仰を認めようとせず、しかも自分の信仰だけが立派で霊的だと思って、高慢になっていたと反省しているのが最近の私です。

 たしかにルターや今橋先生のような聖霊による瞬間的信仰の経験のない人たち、又はツィンツェンドルフのような意志の強い信仰を持たない人たちは、教会によって良く守られなければ、信仰の破船や堕落をしやすいことは事実です。そういう方々のためには信仰を堅く守り、信仰を正しく成長させる良き羊飼いとしての指導者や組織が必要です。

 信仰を実際生活に生かすコツやカン所、たとえば心や言葉の運用の技術、悪魔に打ち勝つ霊的戦略、戦術、格闘術、また日々の信仰訓練の実際を教えられる必要があります。そして世と悪魔と死との最終戦に勝ち続ける、これこそが「救いの確かさ」の到達点です。そこまで主イエス・キリストのお導きくださるはずです。 
   (1999年2月21日の週報の原稿を再掲載)

 

【私の想い出−23−】

ウイリアム・ジェイムスの「宗教経験の諸相」と言えば、かの賀川豊彦先生がこの本を熟読したという。賀川豊彦という人は妙に幅の広いところがあって、たとえば先生は「聖無関心」と呼んでいるが、独自の瞑想法を体得していたようです。ジェイムスの「宗教経験の諸相」に興味を示したのは先生自身に似た体験をあったからかもしれません。▼先生はよく贖罪信仰を説いた。しかし先生のいう贖罪論はイエス様の真似をして他の人の犯した罪の尻ぬぐいをすることだと言うような説明で、どうも浅薄に見えた。十字架による義認論を肯定はしていたのだが、それでも私たちが他の人の十字架を負うことに重点が行った。▼先生の宇宙目的論は壮大なものだったが、その中で宇宙には意識があると言っていた。これには私も大きい影響を受けた。原子論が好きで太陽系と原子の中の素粒子の回転の相似とか、光子の波動を語って、宇宙にはヴァイヴレーションが一杯なんだというようなこと、今のニューエイジの人が言うようなことも言っていた。▼水のヴァイヴレーションの不思議さは最近注目されているが、ルルドの聖泉の科学的秘密など、もしかすると解析できるかもしれない。空の雲に思念を送ると雲が消えたり増えたりする。雲が水蒸気であるからだろうか。水は不思議な物質である。バプテスマが水で行われることも意味のあることかもしれない。バッハの音楽をあてられた水の結晶は非常にきれいであるという。「宗教経験の諸相」、賀川豊彦、水の三題噺でした。 

2000/11/12
「幸福人間」になろう

 創世記39章からヨセフのエジプト記が始まります。まず侍衛長ポテパルのもとで奴隷となり、しかし主が共におられて幸運な者になったとあります。しかし、一頓挫して牢獄にはいって囚人となっても、そこで幸運はついて回る。またも幸運を掴むのです。

 どんなひどい目にあっても、このような人は幸運を掴むことができます。なぜか。その人はもともと「幸福人間」であるからです。

 イエス様は言われました。「心の貧しい人は幸福である」と。「心の貧しい人」という言葉は日本人には悪い印象の言葉です。いじけた、ひがみ根性のつよい、不平不満や愚痴ばっかり、心の狭い人をさすのが日本でいう「心の貧しい人」です。

 しかし、当時のユダヤでは「謙遜な人」をさして「心を貧しい人」と言ったらしいと参考書は教えてくれます。それでも、どうもしっくりしないのが日本人の間では普通だと思います。

 そこで、私はいっそのこと、日本人なみの感覚で、この「心の貧しい人」を、そのまま日本流に、「いじけた、僻みっぽい、心の狭い人」と解釈して、このイエス様の言葉を味わいたいと思ったのです。事実、ある人は参考書がないものですから、そのように聖書を読んで、救われたのです。

 ここにそのような「心の貧しい人」がいるとします。その人にイエス様がやさしく、かつ力強く、

「心の貧しい人よ、あなたは幸福である」

 と言われたらどうでしょう。イエス様の言葉には力があって、その場でその人の中にイエス様がおっしゃったとおりのことが実現するのです。変化がおこるのです。その人は一瞬に「幸福人間」に変わるのです。これが福音というものです。

          *

 ヨセフも兄たちから穴に捨てられた時、甘やかされたボンボンのヨセフは一転して艱難の中に突き落されました。しかし、そこからエジプトに連れて行かれるまでの間に、彼の心に大逆転が起こったに相違ないと私は思います。

 多分、父ヤコブが日夜話してくれたヤコブの苦難と神の驚くばかりの豊かな恵みの体験を聞いたことでしょう。特にヤコブのベテル体験や、羊の奇蹟的繁殖、またヤポクの渡りの天使との格闘的祈り、そうした父の語ってくれた証しはヨセフにとって励ましとなり、模範となり、少年時代のあの兄たちを怒らせた麦束や星の夢の記憶とあいまって、彼の魂をゆり動かし、彼をその事実が起こっていない、まだ不幸のドン底にいたのに、すでに事実、幸運な人間になっているかのごとく、彼は自分を幸福人間だと信じたのでありましょう。

 これが信仰です。信仰とはまだ見ぬ事実を確信することです。彼はその時の環境にかかわりなく、幸福な人間になりました。

          *

 19世紀から20世紀にかけてフランスで文名を高めたアランは言いました。

「幸福な人は人に愛される」

 なるほど、ヨセフはポテパルの家でも、牢獄でもみんなに愛されました。

 アランの「幸福論」は戦前有名でした。私は若い時、一度読みましたが、深刻好みの私にはなじめませんでした。ちょっと読んですぐに捨てました。

 しかし今回、読み返してみて本当にびっくりしました。

「幸福になろうと欲しなければ、絶対幸福になれない」

 と言うのです。

「したがって、自分の幸福を欲しなければならない」

 はて? 欲するだけで幸福になれるものでしょうか。また言います。

「幸福になることは又、他人に対する義務でもある」

 この言葉には私は驚きました。また感動さえしました。

「人から愛されるのは幸福な人間だけである」 凄い言葉です。どうもこのアランの言うことは本当だと思えました。私は納得しました。 アランは言うのですよ。

「幸福になる決意をせよ」

          *

 アランは多分、教会の礼拝に喜んで出席するクリスチャンであったとは思えません。あのころのフランスに多かったリベラルな文化人であったでしょう。ですから、私は先日教会の祈祷会でこうアランの言葉につけ加えてメッセージしたものです。

神に対しても、人に対しても、幸福な人間になることは、我々の義務です」

「神に対して義務である」というのは、こういう理由からです。

 イエス様は言われました。

「心の貧しい人は幸福である」

 と。私たちが如何につまらない人間であると、知っていようとも、このみ言葉の前に平服しましょう。イエス様が私を幸福な人間と宣言してくださったのならば、それは天下の何よりも権威があります。人がなんと言おうと、サタンが私に向かってなんとさげすもうと、私自身心の中でなんと自分を不幸な人間だと思おうと、イエス様が私を「幸福な人間」と宣言してくださるならば、それで万全ではありませんか。

 ここで、そうした自覚がすぐに起こって、事実その場で幸福になる人もあります。瞬間的神様による心の転換です。けれどもそうでなくても、さあ、ここが大事。そうならなくても、皆さん、「幸福になろうと欲せよ」ということです。なんとなく、まだ不幸感覚が残っていますという人も、「幸福になろうと欲せよ」ということです。

          *

 ここで、意思を強くするという課題が出てきます。イタリアのアサジョーリという心理学者は、「意思の働き」について画期的な分析をしました。彼に言わせると、意思の働きにはいろいろの角度がある。言わく、「@強い意志、A巧みな意志、B善い意志、Cトランスパーソナルな意思」等々です。トランスパーソナルな意思とは「超個我的意思」と言いましょうか、聖書的に言えば、「霊の意思」と言ってもいいでしょう。

 もう、紙面も少ないですから、ここで私の意見を延べます。意思というものは信仰の世界では非常に大切です。神様の霊が圧倒的に働いて個我の意思が徹底的にもぎとられ、魂の奥底から転換する場合があります(エペソ4:23参照)。しかし、また我力によってヤコブのように格闘し、人間のがわから祝福をもぎとったように見える人もあります。この間、いろんな段階の個人差があるように思います。しかしいずれにせよ、くださるのは神様から恩寵です。

 さて、最初の新生の時から、信仰の成育期間に入りますと、ここでは特に、自己の意思が大切です。祈りにしても、奉仕にしても、日常生活の戦いにおいても、何を目標とし、何を欲し、何を努力するか、ここで「@意思を強める方法、A巧みに意思を使って少しでも早く成就する方法、Bそれにしても悪魔に誘い困れないよう善い意思、正しい意思を働かせること」、といういうことが大切です。そのためには「C聖霊様に導かれ聖別された意思が必要である」と、私なりにつけ加えてみたのです。

          *

 ところで、笑わないでください。私の考えでは意思を巧みに使って、意思を良い方に、強くなるように導くには「ワッハッハ」と笑いつづけるのが、一番いいと思うのです。

 心を幸福にするためのやさしいコツの一つが笑うことです。他にもいろいろありましょうが、これが一番簡単でやさしいと私は思います。もともとクリスチャンたる者は、だれでも本来、明るくありたいです。明るくあるためには幸福でなくてはなりません。そのためには感情分野を神様に委ねることです。その実行手段として「笑う練習」が一番簡単で効果的であると、私は思っています。思い切って普段から「ワッハッハッハ」と大きな口をあけて笑う練習をしておくのです。これを続けると、必ず心が明るくなり幸福感があふれてきます。笑いの健康的、心理的効果については、最近、世間でも大きく扱われ始めました。
(以上は拡大宣教学院機関誌「マグニファイ」2000年11月号に掲載したもの)

 昨年の11月21日号週報の巻頭言に載せた「幸福になる実験(一)」の続編(二)は書かないでいましたが、その代わりに先週の巻頭短言と、今回の本文を併せてお読みくだされば幸いです。整いませんが、私の意のあるところは、ご理解頂けると思います。 

2000/11/5

 救いの御名は、この方だけ

 イエス様は、最後の晩餐の後、弟子たちに告別の説教をされて、それを終わられると、改めて天を見上げ、父なる神に祈りをささげられました。その祈りの中に、私たちは次のようなお言葉を見いだします。

「あなたが世から選んで私に賜った人々に、私は御名を現わしました。 ……、私は彼らに御名を知らせました」(ヨハネ17:6、26)。

みだりに唱えることはしない」という律法に厳密に従いすぎて、可笑しなことに彼らの大事な神様のお名前を忘れてしまっていました。現在の学問ではそれは「ヤハウェ」だったろうかとか「ヤーヴェ」だったろうかなどと推測しています。また文語訳の旧約聖書では「エホバ」という習慣的呼称を使っています。

 しかし右の祈りの中で、イエス様が「神様の御名を現わした」というのは、そうした言語学上に言葉をはっきりさせたということではありません。そうではなくて、「神様の本質、存在、み心」を明らかにされたということなのだと、権威ある注解書はすべてそのように説明します。

              *

 先日、熊本県のある教会で聖会がありました。そこで昔から親しくさせていただいている牧師先生にお会いしました。その先生が私に向かっておっしゃるのです。「釘宮先生、先生のテレホン聖書を毎日聞いていますよ。いつも大変恵まれています」

 私はびっくりしてしまいました。そのあと、ある教会の信徒の方々にも取り囲まれて、「釘宮先生、私たちはみんな、先生のテレホン聖書を毎日聞いているんですよ。恵まれています。感謝します」と、また異口同音に言われるのです。私は再びびっくりしてしまいました。

 先ほどの先生が更に言い足します。「先生、あのテレホン聖書のお話はすばらしいです。ぜひ文章になおして本にしてくださいよ」。

 思いもかけない先生のご提案に私は言葉を失いました。私は実はこのテレホン聖書はぶっつけ本番、足らない言葉で、時にはトチリながらしゃべっていますので、内々恥ずかしくてたまらないのです。神様のご栄光を汚すのではないかと常々心配していたわけです。ですから、

 この先生のお言葉に私はからだが震えそうな感激を覚えました。嬉しかったです。「こんなに私のテレホン・メッセージを重んじてくださる方が居る。こんなに私を愛してくださる方がいる!」、この感動は言葉には尽くせません。そういうわけで、

 これからずっと、私はこの先生のお名前を聞き、また思い出すごとに、私のテレホン・メッセージをこのようにまで褒めてくださった先生のお顔を思い出して、感激を新たにするでことしょう。今後、先生のお名前は私にとって特別の意味を持ちつづけるのです。

              *

 さて、イエス様は父なる神様の御心、その本質、その愛、真実、限り無い知恵と力など、すべてを現わし、かつ明らかにして下さいました。ですから、私たちが「神さまぁーッ」と御名を呼ぶとき、そのたびに私たちは神様の臨在に触れ、聖霊感動を改めて思い出すのです。また、

 学問的に言えばイスラエルの神の御名は今もはっきりしていませんが、神様の本質と御心を私たちに現わしてくださったイエス様のお名前には神様と同じ霊的力があります。イエス様のご誕生の前にヨセフに天使が教えられた御子のお名前は「イエス」様でした。天下に、救い主の名はこの方以外にありません。(2000年11月3日のテレホン聖書より)

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