キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)

2003年3月

2003/3/30

(「日岡だより」第65号)

聖書の教え   

一、旧約聖書と新約聖書      

 聖書は旧約聖書と新約聖書に分かれる。旧約聖書は39巻、新約聖書は27巻。初めての方は「3×9=27」と掛算の九九で覚えると良い。ともかくあわせて66巻である。

 まず、旧約聖書の冒頭に「神は初めに天と地を創造された」とある。これが何といっても聖書の教えの第一であろう。この短い一句の中に人格を持たれた万物の創造者である唯一の神のすべてが語られているように思う。

 同志社大学の創立者・新島譲が幕末の日本を脱出して上海で初めて漢文の聖書を買って読んだ。そして、この一句「太初ニ神天地ヲ造リ給ヘリ」という言葉にびっくり仰天、キリスト教を志したというのは有名な話。八百万の神様を信じる日本人にとっては、まさしく聖書の示す神は驚天動地の啓示なのであった。

 さて、旧約聖書の最後にあるのはマラキ書、その中に出る言葉の一つ、「主なるわたし(神)は変ることはない」とある。つまり唯一の創造者なる神様は永遠に変ることの無い方である、これも旧約聖書で始まる聖書全巻の根本思想である。これに少し付け加えれば……、

 人は神様の戒めに背いて、勝手に自分の道を歩んで罪を犯した。「人の子よ、神に立ち帰れ、そうすれば生きることが出来る。王も国家も民もこの神の支配より逃れることは出来ない」。これが旧約聖書の教えの主流である。

         *

 次に新約聖書。その最初のマタイによる福音書を見よう。そこにはイエス様の系図と、その誕生の物語が載っている。そしてイエス様の霊的名前は「神われらと共にいます」という意味だと注釈してくれている。だから手っとり早く言えば、新約聖書は神様が親しくイエス様として万民のもとに下って来てくださったという記録である。

 そしてその方は、私たちの罪の赦しとサタンよりの解放のために死んでくださった。そして、その3日目に復活して天に帰られた。しかも、必ずもう一度この世を審くために地上に来られるという約束である。そこで、

 イエス様を信じる者は今も「アァメン、主イエスよ、きたりませ」と彼を待ち望む。その黙示録の最後の所にあるとおりである。

         *

 以上が新約聖書の概要だが、是非つけ加えたいのは聖霊のことである。聖霊とは神の感化力のことであると、エホバの証人の人々はいうが、けっしてそうでは無い。聖霊は神様そのものである。身近な表現で、分かりやすく言えば、聖霊とは神様の臨在だと言えよう。

 聖書によると、イエス様は天に帰られて、父なる神様の右に座しておられる。イエス様はそこより聖霊を地上のご自分の民に送られると約束された。

 この父なる神様とイエス様と聖霊とは三つの位格を保って、しかも一体であるという。この事を人間のイメージで想像することは、なんともむつかしいが、これがいわゆる三位一体論の難しさである。

 神様は全天全地に満ち満ちておられ、かつ目には見えない方である。このお方が形をとり姿を表わしてくださるのがイエス様である、と言えば、これは分かりやすいはずだ。この方のほかに我らのための救い主はいないのである。

 この方は今も諸天の天なる最高霊界におられて全天全地の王の王であられる。このイエス様が地上の私たちを名指しで愛してくださるとき、そこに神の臨在があらわになる。

 神様はたしかに全天全地に満ち満ちておられるが、神の愛の権化なるイエス様の血汐の力が信じられる所にのみ、そのご臨在が働きとして明らかにされる。イエス様の御名があがめられる所にのみ、聖霊が働かれ、充満してくださる。神様の愛がジーンと来る。

二、聖書の教えの中心      

 聖書の教えの中心は何であるか。一言で言えば、「神は愛である」(第一ヨハネ4・8)ということだ。その神の愛はキリストの十字架に現されている。そのキリストの十字架と復活の力学こそ、聖書の教えの根本である。そのことを学ぶにはローマ人への手紙第8章が最適である。

 (1)神の愛はキリストにある生命の法則に現れている。生命の法則は霊の法則であり、死に打ち勝つ法則である(ローマ8・2〜11)。

 (2)聖霊の働きは罪人に「アバ父よ」と呼ばしめ、また「イエスは主です」と言い始める新生体験を与える。それは彼が完全に霊的生命を回復する基盤となる。(ローマ8・11〜17)

 (3)人間の霊的回復は全被造物の待望である。全被造物(ここで私は宇宙のすべての存在、つまり無生物をも考える)は人間の堕罪の故に虚無の立場に追い込まれている。だから、彼らは人間の救いを待って、今もうめいているのである。ここには、日本人の自然至上主義的な自然観では想像もつかない聖書の厳しい自然観が出ている。(ローマ8・18〜23)

 (4)聖霊による最初の実を内に頂いている私たちは、更に成長させられて完全な贖い、つまりキリストの形にまで似せられた体になるのだという望みを抱いている。それこそ又、前述の全被造物が人間に寄せる期待である。(ローマ8・21〜24、29)

 (5)聖霊は「言葉にあらわせない切なるうめきをもって」、私たちのために祈ってくださるという。これは非常に感性的、人格的である。だから私たちは聖霊と呼び捨てにしないで、聖霊様と呼ぶのである。なお、この「うめき」こそ人をとおして現れる時、それが異言ではないだろうかとも考える(ローマ8・23、26)。

 (6)神の計画は様々の障碍(サタンの妨害、人間の不信仰)にかかわらず、最後には必ず成就する。それはクリスチャンの側から見れば、主が万事を相働かせて益とならしめて下さるということである。(ローマ8・28)

 (7)彼を義人と認め、援護して下さるのは神であり、キリストである。だから私たちは、神によって万事につけ究極の勝利者となる。(ローマ8・32〜38)

 (8)最終的にはクリスチャンは万物を支配(管理)するものとなる。それはエデンの園における栄光の地位の回復である。私たちは神の愛の中に生きる。何ものも私たちをこの神の愛より引き離すことはできない。(ローマ8・39)

         *

 内村鑑三は天に召されるとき、宇宙の完成を祈って死んだという。さすが、内村先生! 雄大である。

 父なる神のみ心が天になるごとく地にも成らせ給え、この「主の祈り」の一節こそ、実は天地の悲願である。地に神のみ心が成らなければ、天において神のみ心は満足しない。

 キリスト様が父なる神の御心を体して地上に下り給い、死と陰府に打ち勝って復活・昇天され、今や天より聖霊を送り給う。その聖霊のバプテスマを私たちが受けることこそ、宇宙完成への一里塚である。これこそ人類の一新紀元の胎動ではないか。全天にわたる歓喜の歌声が聞こえるではないか。(1986年6月17日、某家の集会での講義を原稿にしたもの。)


【付録】

これからの戦争   

 これからの地球における戦争は終末的黙示録的戦争になる恐れが十分にある。
 戦前、石原莞爾という天才的戦略家がいた。満州事変を起させ、満州建国を成功させた男である。彼はまた南下するソ連に備えて対支那戦争は休止せよとも言った。彼はついに東條首相から嫌われて中将で野に降りた。

 その彼が常々言ったのは、軍事技術の発達により今後起る戦争は世界最終戦争である、ということである。その最終戦争にたいする彼の未来戦略を、残念ながら私は知らないのだが。

 ともあれ、聖書では天からの火で、世界最大の大国が滅びて貿易商人どもが嘆く様が描かれてある。私の目には神の審きと、地上の戦争の破壊とが重なり合って見える。悪魔の最後の力の限りの神への抵抗としての地球破壊がある。それが主による審きでもあり、また地上の国家群の世界最終戦争ではなかろうかなどと、私は思ってもみるのです。

 事実、戦争が過大になってくると、石原将軍の言うとおり、世界最終戦争の様相を呈するだろう。こうなると、近代戦は互いに国家総力戦である。私が身をもって体験したことだが、国民は戦争から逃げられない。

 多くの反戦論者が戦争になったら僕たちは逃げるとか、お母さんたちや教師たちは「子どもたちを戦争に二度とやらない」とか、おっしゃるが、それは不可能なことである。

 大東亜戦争下、私は日本には生きて行けないことを感じた。総力戦下では農業するも、運転手をするのも、大工をするのも、皆お国のためだ、ということになる。

 よい例が、私は戦争に反対して刑務所の独房に入って、そこでさせられた仕事は軍用飛行機のジュラルミンのねじ切りや、海軍の封筒貼りであった。

 私は国外に逃げようと思って、当時、熱河省の炭鉱にいた親友の手づるで蒙古の酋長の世話でメッカへの道を辿って地中海に抜けようと画策したことがある。たった一人で日本に残る母を思って実行できなかったが、随分本気だったのである。そのように戦時下の国から逃げ出すということは、特に島国の日本では至難である。

 また、日本の国内では周囲の若者たちが、どんどん戦争に駆り出される時代になると、とてもではないが、「うちの子は戦争にやりません」などと親は言えるものではない。却って、お母さんがたや、先生がたが、「あんたたち、お国のためだ、あの子も、なんとか君も戦争に行っただろ、君も、さあ、志願兵にゆかないか」などと、言い出すことになるのである。

 第一、どこかの国から、核弾頭をつけたミサイルが日本列島に落ちだしたら、誰が「非戦、反戦」など言っておれるでしょうか。日本中がワッと戦争熱で一杯になってしまうのだ。

 そうなった時、だれが「私は戦争に行きません」などと言って、非国民になりきれるでしょうか。思い切って「お国のため、(昔は天皇陛下のため)戦争に行くほうがよほど楽なのです。

 「隣り人を愛し、敵を憎め」とは旧約聖書の時代の言葉です。しかしイエス様は言われる。「わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と。しかるに、

 ブッシュさんはフセインを憎んで、やっつけてやると言う。敵を憎むことが神への忠義だと思っているようです。しかし、イエス様は言われるのです。「あなたの敵を愛せよ」と。(2002.3.30)

 

2003/3/23

(「日岡だより」第64号)

イラク戦争と日支事変   

 今回の米国のイラク攻撃を見ていると、私はかつての日支事変を思い出す。日支事変と称するのは正確でないかもしれない。当時は支那事変と言った。事変というのは正式に宣戦布告をしないで行う戦争行為を、日本政府はそう呼んだのである。

 1931年9月に満州の奉天市郊外で日本軍の出先の謀略によると言われている満州事変が始まる。満州は現在の中国東北地方、奉天は現在の瀋陽市である。それが拡大して1937年7月7日に支那事変となる。戦後の歴史家はそれを日中戦争の始まりとしているようだ。

 その頃、通州事件などという中国人による日本人大量殺害事件などもあって、政府に誘導された当時の大衆世論が「暴虐支那を懲らしめよ」ということで、「庸懲(ヨウチョウ・こらしめて征伐する)支那」という慣れない熟語が新聞紙上を賑わした。

 当時の日本に比べると、現在のアメリカのイラクに対する態度の方がよほど道義的であると思うが、それにしても他人の国に先制的に押し入って爆薬をぶっ放す無法さは、よく似ているではないか。

          *

 国が戦争を始めると、とにかく政府にたいする信任度が増すようである(どんな要因でそうなるのか、研究する価値があると思うが)。「もともと自分は戦争は反対だったのだが、大統領が始めてしまったのなら仕方ない。彼にエールを送ろう」ということなのだろうか。

 今回もブッシュさんの支持率が78%になったとか、先日の新聞で読んだが、にもかかわらずニューヨークで戦争反対のデモには20万人も参加していたと報道されている。この支持率とデモ20万の乖離はどういうことなのか。

 ここにアメリカ人らしい良心と軍事的愛国心との軋轢を感じて、私はアメリカの人々にほのかな感動を覚える。巨象のかかとをネズミがかじったからとて、象が渾身の力をこめてネズミを追うことはあるまいと、私は先日書いた覚えがあるが、これは私の認識不足であった。

 アメリカが、あの9・11の同時テロに脅えざるをえないレアリティを私たちは認識すべきであろう。私がよく北朝鮮からのミサイル攻撃の不安を訴えるのは、このアメリカ人の恐怖心と全く軌(キ・すじみち)を一つにしているのです。

 

ブッシュ大統領は桃太郎さんか   

 先々週、ブッシュ大統領の新聞記者会見のこと、どの新聞にも載っていないと、私はこぼしたものだが、その後、日経新聞にちょっとばかり出ていた。その記事では、ブッシュ大統領は敬虔なクリスチャンであるという。日曜ごとに教会に行って礼拝し、個人的には毎朝5時半から聖書を読み、祈るのだという。そんじょそこらの生煮えクリスチャンとは違うわいと感銘したのも事実です。

 このブッシュ大統領を応援するクリスチャンたちは、かなり多い。彼らは福音派の中の右派、キリスト教原理主義者たちだという。彼らは言うそうだ。聖書に照らし合わせてみても今回の先制的戦争は肯定できるという。聖書解釈も様々あるという多元性の証明のようなものだが、そういう理屈を作り上げる要領は大凡、想像がつく。

 まず旧約聖書のヨシュア記の先住民聖絶の記録など、彼らによい教科書であろう。ブッシュさんは悪人ばらを征伐に行く正義の英雄である。まるで鬼が島征伐の桃太郎のようだ。

 しかし、かつてヨーロッパで一世を風靡したローマ教会の十字軍も今ではローマ教会自身が詫びをいれているのではないか。また、そもそもアメリカ自身、インディアンから土地を奪い取って暴虐な行為もあったらしい。

 いやいや日本人だって、韓国併合の時代、進出した商社が広大な土地を無知な韓国の農民から、だまし取ったということを、私は事にたずさわった日本人の本人が自慢げに語るのを聞いたことがある。そう言えばはるかな古代のこと、日本列島では、神武天皇がいわゆる御東征というヨシュア記そっくりの軍事行動を起こして大成功しているではないか。

 またイエス様は当時の将校の百卒長(軍人という人殺し集団のプロである)に向かって、その信仰を称賛さえされた。そして決して軍人をやめよとは言われなかった。

 パウロも又、国家権力の象徴である、警察官の剣について容認しているのみか、更に「上よりの権威に従え、すべての権威は神より来ているのだから」と言ったではないか。

 だから、「殺すなかれ」とか「剣によって勝つものは剣によって滅びる」とかいう聖書の常套句を使って非戦論をぶつ連中は、小児的聖書解釈によって狡猾な悪魔の手だてを見抜く洞察力を失っているのみか、彼らは抽象的正義論をぶって、現実の戦うべき悪魔国家と戦う勇気を失っている卑怯者に過ぎないのだ、と彼らは言うのである。

 でも、勿論、私は若いときから非戦論者であり、今回のブッシュさんのイラク攻撃にも反対である。とは言え、今度は戦争反対の声がアメリカ国内を含めて世界的に多いようだから、この文章はここで止めようと思う。

 

非戦論か、反戦論か、反戦主義者か   

 近代における非戦論者の先駆けはトルストイであったであろうか。日本では内村鑑三をまずあげたい。

 トルストイの非戦論は「イワンの馬鹿」で有名である。私は戦争中に彼の戦争論論文集を読んだ。一頁全部、検閲で〇だらけの頁もあるような本であった。(私はこの本を後に大分のパチンコ王と言われ、別府の白蓮女史ゆかりのあかがね御殿を買い取った首藤克人さんがやっていた古本屋で買った。もともとアカだと言われて警察からにらまれていると聞いたこの人の古本屋にはマルクス・エンゲルス全集すら置いてあった。私は彼の剛胆さに驚嘆したものである)。

 一応平和な国で、平和な生活をしながら非戦論を説くのは容易である。しかし戦争を今にも始めそうな、また始めてしまった国で、非戦論を語るのは困難である。その点、よく当時の国内事情を知らないから言うのを差し控えたいが、敢えて言えば、トルストイの非戦論は前者であったような気がする。それに比べれば、内村鑑三はやや後者に近い。

 それでも東北・花巻在住の内村先生傾倒者の斎藤宗次郎なる人が、日露戦争の真っ只中で兵役拒否をしようとして、あわてた内村先生がこれを止めに行った話がある。私は戦争中、極端な反戦論者になって行くのだが、この内村先生の行動が卑怯に見えて残念であったのを覚えている。ちなみにこの斎藤宗次郎という人は生涯熱心なクリスチャンであったが、宮沢賢治に非常に影響を与えた人と言われている。

          *

 私は非戦論に情緒的、多分に気分としての消極的非戦論と、人を殺すなかれという聖書の絶対的教えや道徳感から発する非戦論とを区別したい。また、積極的に絶対的非戦論を行動的に実践しようとする非戦主義を反戦主義と呼びたい。又、それを実際に実行する人を反戦主義者と呼びたいのです。

 世界の歴史で、本当に反戦主義者として生きた人はガンジーという人だけであったと思う。ロマン・ロランは「ガンジーは宗教を政治の世界に持ちこんだ唯一の人」と呼んだが。

 ところで、ガンジーは決して無抵抗主義の人では無かった。彼は大英帝国に徹底的に抵抗したのだ。ただし、暴力的方策も隠密的行動も一切しなかった。そこが何とも独特であった。

 ガンジーの側には武器も軍隊もない。みすぼらしい裸身の男である。彼の人生そのものが反戦主義者だった。彼はヒンヅー教狂信者によって白昼に殺された、その時、彼は暗殺者を赦すという仕草を手で示したまま路傍に倒れた。しかし、この偉大な魂(マハトマ)は倒れない。いつまでも生きるであろう。彼がクリスチャンでなかったことだけが、私の残念無念であり、天国まで持ちこむ未解決でもある。(03.3.23.)

 

2003/3/16

(「日岡だより」第63号)

メンソレータムを知っていますか    

 メンソレータムを知っていますか。大抵の人はメンソレタームと言いました。メンソレータムは昔からある傷ぐすりです。

 昔からと言っても、日本では1920年(大正9年)から売り出されたのです。あっという間に人気が出ました。何と言っても、あの強い匂い、樟脳系の匂いが傷に効きそうな信頼感を与えたと思います。もちろん本当によく効いたのです。

 私が、このメンソレータムの日本での発売の年まで知ったのは、この原稿を書くために、ある人のことを調べてみたからです。その人は誰でしょう。メレル・ヴォーリズさんという後に日本に帰化した一人のアメリカ人です。日本名を一柳来留と言います。

 メレル・ヴォーリズの名は長い間、日本のマスコミに上ることはありませんでした。今回とて、そんなに大きな記事ではありませんでしたが、注意深い人の目にはこの方の名前が飛び込んできました。

 それは、滋賀県豊郷小学校の改築問題の記事の中にあったのです。この小学校の設計者がアメリカ人のメレル・ヴォーリズという人だったとあったからです。私は胸が高鳴りました。

         *

 ヴォーリズさんが設計した建築は大小あります。大きなものでは、たしか大阪駅のとなりにある阪急百貨店です。その他、京都の大丸百貨店、大同生命ビル、関西学院、戦後の東京国際キリスト教学院等等です。

 今度、改築問題で新聞をにぎわした豊郷小学校の校舎は、なかなか異彩に富んだ建物です。 もう築後70年は経ているでしょう。古い時代の校舎ですが、構築は鉄筋コンクリート、トイレは水洗、音楽教室にはピアノのみならず、ヴァイオリン、ウクレレまで置いてあったといいます。鉄筋コンクリートや水洗トイレはともかく、ピアノやヴァイオリン、ウクレレは勿論ヴォーリズさんの発案ではありませんが。

 建築資金は当時「丸紅」の重役だった、当の豊郷町出身の古川鉄次郎という方が、ご自身の全財産の3分の1にもあたる60万円という大金を寄付されたそうです。こうした雰囲気にヴォーリズさんも大胆豪勢な設計に力を得たかも知れませんね。(60万円と言えば、現在の貨幣価値では億単位にもなることでしょう。こういう人物が出るところに、近江商人を生み出す風土を感じます。)

         *

 さてヴォーリズさんは、初めから日本にキリスト教の宣教師として来たのです。しかし、彼は神学校を出ていません。どこの教派にも、如何なる伝道団体にも属していません。また、どこからも援助を受けようとしませんでした。神様だけを信じて、自給伝道するつもりでした。

 これは、気概のある青年でしたら一度は考えてみる伝道者魂です。でも大抵、この決心は現実の経済問題で壊されてしまいます。しかしヴォーリズさんはこの信念を生涯貫きました。

 イエス様は語られます。「神の国とその義を求めよ。さらばすべてこれらのもの(必要なこの世の物)は添えて与えられます」。この言葉をヴォーリズさんはその言葉どおり信じました。

 ヴォーリズさんが当初日本に来た時、飛行機はありません、汽船で太平洋を渡ります。ちょうど日露戦争の末期で、横浜港は魚雷で封鎖されて居り、水先案内のランチに曳かれて入港したそうです。上陸すると、すぐ東京のYMCA(キリスト教青年会)に行き、かねてアメリカのYMCAから連絡があった日本の学校の英語教師の職が空いている、ということを確かめます。

 その学校は滋賀県の近江八幡にあった滋賀県立商業学校でした。こうしてヴォーリズさんは滋賀県近江八幡に住む第一歩を踏むのです。

 まだ近江八幡町にとどまっていた前任のワード英語教師の下宿に一緒に泊めてもらいましたが、その晩、地震が起ったそうです。そう大きくはない地震でしたが、ヴォーリズさんは驚きました。なんだか、象徴的な感じもしましょうが、ヴォーリズさんは何の不安も抱きません。

 彼の快活な積極的明るい信仰に応えて、商業学校における教師生活も順調に運びましたし、バイブルクラスが早速生まれました。強烈なキリスト教反対の生徒が一時大荒れに荒れましたが、結局彼らもヴォーリズさん熱烈なファンになってしまうという有様です。しかし、

 やはり、大波乱が起ります。一般の市民の間の多数の仏教信者から反対の運動が起ります。「日本には日本の宗教がある、キリスト教は日本精神に反する宗教だ。あいつらは売国奴である」などというわけです。

 こうして、遂にヴォーリズさんは解職になります。わずか2年間の在職でした。この時、彼に対する解職通知書が残っていたそうです。前代未聞の解職通告だと思います。言わく、

 「ウイリアム・メレル・ヴォーリズは西暦1905年2月より滋賀県立商業学校において英語科の教師であった。その教授ぶりと、学生の統治に関することは全く満足すべきものであった。同氏が解職されたのは県民の反対意志により、すなわち聖書を教えて、学生たちをキリスト教に至るように感化したる事をもって県民の大部分である仏教徒諸君の反対により解職したのであります」。最後に校長さんの名が自署されていました。

         *

 こうなってもヴォーリズさんは、けっして意気阻喪しません。当時、先生と弟子の生徒たちは徹夜して祈りました。その祈りは天井を抜け屋根を突き抜けて天に達したように思われたと、その生徒たちの思い出に書いてあります。

 紙面が無いので、くわしく書けませんが、その後、奇蹟的なことがたくさん起ります。彼の明るい前向きの伝道精神は多くの後援者を生みます。そうした結果、なんと滋賀県の田舎町に結構大きなYMCAの会館が建てられます。まだヴォーリズさんは27歳の若さでしたが。

 彼は、もともと建築設計が好きでした。アルバイトに小さな教会などの設計を引き受けて、その出来栄えはなかなか好評でした。

 そうしたことから、遂には先に書いたようにデパートや大学などの設計をやるようになりました。先に書いた豊郷小学校の設計監督も、そうした一連の注文の一つだったでしょうね。豊郷町は近江八幡からは20キロほどの町です。

 さて、その頃より少し以前、アメリカでA・A・ハイドという人に出会ったのです。この人が、たった一度会っただけですが、ヴォーリズさんに惚れこみます。そして、このハイドさんが創立したメンソレータムの会社の日本全土販売権をヴォーリズさんに譲るのです。

 設計はもちろん良い仕事ですが、これはヴォーリズさん一人のワンマン仕事になります。しかし、メンソレータムの販売は別にセールス・マンが居れば、ヴォーリズさんは座っていても収入があがる仕組みになります。こうしてメンソレータム販売を中心に株式会社近江兄弟社が生まれます。株式会社近江兄弟社の不思議な信仰的経営ぶり。又もっと大事なこととして伝道団体として設立した社団法人近江兄弟社、その活動ぶりと株式会社近江兄弟社との一体的関係、そうしたことを次回に書きたいと思います。(く)

 

2003/3/9

(「日岡だより」第62号)

原稿作成失敗の顛末   

 2003年3月8日、これを書いています。昨夜の10時でした。テレビでブッシュ大統領が記者会見しているのを見ました。ブッシュ大統領が記者団でブッていた。ブッシュだからブッているのかな、ハハハハハハ。

 「私は神を信じている。アメリカの勝利を信じている。私は神に祈っている。私に知恵と力を与えてくれるよう祈っている。アメリカの軍人たちに犠牲が少なかれと祈っている。イラクの人たちにも、犠牲が少ないようにと祈っている」。

 堂々たるものです。私はカンシンしました。漢字で書けば、「寒心」です。

 私は、一国の指導者が神様や信仰を持ち出して戦争意欲をあおることに反感を覚えました。イスラム国家ならいざ知らず、キリスト教国と言われているアメリカの大統領が、神様の名や、信仰を振りかざして、戦争の旗を振ることに、彼の誤った信仰観を感じました。

 一昨年の9月11日。同時テロが起った直後、ブッシュ大統領は「復讐」と「戦争」を叫んだ。世界第一の強大国が世界の小ネズミみたいなテロ団にかがとをかじられたからと言って、それに対する過激な反応ぶりは何だろうと思ったのである。

 私はめったに口にしたことがない汚い言葉を吐いた。「ブッシュの奴、とんでもない野郎だ」とつぶやきながら、私は事務室にはいった。

 まず書いた。1.ブッシュの言葉は信念であっても信仰ではない。2.次に冒頭のブッシュ語録に見られるアメリカの剥き出しの戦意が北朝鮮などの核による国家テロを誘い出す恐れが十分。3.「これからの近代戦は、聖書の終末論を実現させる道具になりはしないか」ということ。

 こうしたテーマをほぼ書きあげた時、ちょっとした手違いでワープロの操作を誤り、あっという間に原稿を消してしまったのです。

 冒頭のブッシュ語録、昨夜はまだよく記憶していたので、ある程度正確に書けた。今は、この原稿ではあやふやなのである。当の記者会見の記事が新聞に出れば、それで照合しようと思っていたのだが、今日の新聞には全然出ていない、これはどういうことか。ともあれ、ブッシュさんの言葉の大よそは間違い無いと思う。

         *

 さて、その私の書いていた原稿が消えてしまっていることに気がついた時、まったく私の頭が真っ白になってしまった。

 しかし、そこはそれ、「誰でもできる『心の強化法』」の著者たる小生ではないか、すぐにも気を取り直せずに、どうしますか。

 私は即座にカーライルを思い出しましたね。カーライルは後に名著としての評判を得る「フランス大革命」の原稿をジョン・S・ミルに貸していたら、ちょっとした隙にミル家の女中さんがこの原稿を反古と思ってストーブに入れて焼いてしまった。

 それと知ったミル先生は、彼の博学もこの事件には何の役にも立たない。偉いのは逃げ隠れたりせず、率直にカーライルに謝ったことだ。

 私も印刷屋時代、従業員が顧客から預かった原稿を単車の荷台の箱に入れておいたら、ヒューッと風にあおられて、原稿が川の水の上に落ちてしまった。流れゆく原稿を見て、その従業員君、青くなって私の所に帰ってくるのが精一杯。今にも電車の線路に飛び込みそうな気配で、私は困ったことがある。

 金であがなえるものなら、なんとかする。人の頭脳と手で書き上げた原稿を失ったというのでは、補償する方法がありません。

 ミルもカーライルも一時途方にくれたであろう、しかし、そこはカーライル。彼は英雄(?)精神を発揮して、ぐずぐずせず、もう一度書き直した。そうして前に書いた原稿よりも、もっと立派な原稿にしたという逸話がある。

 私も前記の原稿のお客さんの所に行って、一応は散々叱られたが、再度の原稿づくりの加勢をした。前のよりも良いものができたと喜ばれたことがある。それ以来、従業員に「失敗歓迎。失敗は得意先に喜ばれる絶好の機会。失敗が起きたら私に持って来い」、と言ったものです。

 ともあれ、私はカーライルを思い出して、心を落ち着かせ、「問題は簡単だよ、もう一遍、書き直すんだよ、元のとおりをソックリに書き直そうと思わないで、気楽にもう一遍、自由に書くんだよ」、と自分に言い聞かせ、この一文の冒頭を書き始めたのです。

         *

 実は昨日の夕刻、かつて私が印刷屋をしていた頃の同業者(と言っても私の会社よりはずっと大きい)の御曹司Aさんが立ち寄ってくれた。彼は大分カトリック教会の信者さんである。

 彼が私の小冊子「笑えば必ず幸福になる」を褒めて「私も昔から毎朝、毎夕、鏡を見ては笑いの稽古してます。おかげでお得意さんからお前の顔をいいと喜ばれています」と言う。

 そして、「それは実はフランク・ペトガーの本で教えられたのです」という。

 私はびっくりして、「フランク・ペトガーは僕の愛読書でしたよ。最近、無くしてしまって、淋しかったのです。でも、そんな事を書いてあったかなあ。僕がペトガーで学んだのは、熱心(エンシューシアズム)ということでしたね」。

 「そうそう。あれも凄く訴えますねえ。しかし私はもう一つ、良い笑いはあなたを活かし、あなたの友を造るということでした。この言葉で私はとても人生を高められました」という。

 なるほど、猫は恩を忘れると言うが、私もペトガー先生の恩を忘れていたのだな、私の「笑いの祝福」は、その源泉はペトガーさんからだったか、と感動したものです。

 ところで面白いのは、このAさんはペトガー以降も、そういう実技的な、信仰生活を実践的に高め、深め、豊かにする方法論を更に研究した。心理学などの勉強もし、催眠術などもこっそり練習して、その腕を磨いたらしい。

 こういうことは信仰の邪道だとして教職の先生がたから注意されることもある。実際悪霊の術中に陥りやすい危険な道であることも事実。しかし、「虎穴に胃らずんば虎児を得ず」と彼はやったのでありましょう。

 そこで私は、このAさん創案の「リラックス・呼吸冥想健康法」を教えて貰いました。私のある程度知っていることもありましたが、そのコンビネーションが独特でした。私どももこのAさんを講師に招いて講習会をしたいものです。

 さて、この教えて貰ったのは、前述の原稿が消して困った時よりも時間的には前のことでした。私が「カーライルを思い出して心を落ち着かせ……云々」という時、実は私はAさんから伝授された、その「リラックス・呼吸暗示法」を早速、使ってやってみたのです。

 勿論、こうした実技的な解決法でなくて、信仰と祈りの深みにおいて解決することは、信仰の力をつけるためには更によいことです。

         *

 「信仰は事実である。感情では無い」、と例の「四つの法則」の末尾にあります。

 しかし信仰の事実が起れば、たとえ外側の変化は無くても、何らかの事実(体験)が心に刻まれます。この信仰の事実を外側の生活で発現するには、こうしたAさん創案の心の技術や力のたぐいが、しばしば役に立つものなのです。(く)2003.3.8

 

2003/3/2

(「日岡だより」第61号)

 

魂の筋肉を強くせよ   

‐「主の祈り」によって‐    

 最近、分かってきたことは、クリスチャンは運動選手が肉体の訓練をするように、魂(心)を訓練することが必要だと言うことです。入門期のヨチヨチ選手も、一流選手になるためには運動技能を高める訓練が必要です。

 最近、祈祷会で「主の祈り」を連続講義するようになってから、この事に気がつきました。私は「魂の筋肉を強くせよ」と言っているのですが、「魂の筋肉」を鍛える訓練台として「主の祈り」が最適でないかと、思うようになったのです。

 「主の祈り」は、クリスチャンが地上において、如何に生きるべきか、また如何に生きる事が出来るか、その演習メニューを生み出してくれそうな気がします。

 そこで、まず「主の祈り」を学びましょう。

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 「天にまします我らの父よ」

 唯一の創造者なる神様への親しい呼びかけです。このような祈りが出来ること自体、祝福です。

 かつて仏教の尼さんであった藤井圭子先生が「キリスト教では『私たちの神様』と呼ぶが、仏教では『私たちの佛』などとは呼ばない」と感動をこめて書いていましたが、本当です。

 祈りの時間が無い時には、この呼かけだけでよい、カトリックでは「射祷」と言いますが。

 「御名をあがめさせたまえ」

 私たちが自らをカラッポにして神様を仰ぎ見、御名をあがめる時、神様のエネルギーが私の内に、光が差し込むように注ぎこまれて来ます。それは神の支配的力と言っていいものです。

 「御国を来たらせたまえ」

 ここでイエス様が仰せられる「国」は、目に見える、この世の国、日本とか、アメリカとか、そんなものではありません(ルカ福音書17:21、22参照)。国という言葉の原語はバシレイヤ、支配あるいは統治などととか訳してよい言葉です。神様の支配力が私の中にまで及んで来ます。次第に神様の御心が私の中に示される、そして、

 「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」

 と祈れるようになります。この地上の諸国家や、民族、社会が天の神様のみ心のとおりに聖化されることを祈る言葉ですが、更にまた、ここで「地」と呼んでいるのは、私自身の心(魂)を意味するに他なりません。

 神様の支配力が私のうちに到達し、神の御心が私のうちに成就して、次に、

 「我らの日ごとの糧を、今日も与えたまえ」

 という祈りが続きます。「日ごと」と訳されている言葉は非常に珍しい言葉です。聖書の他には、エジプトのパピルスの家計簿のような文書にたった一か所しか残されていない言葉です。

 イエス様は私たちのごく現実的、俗的な必要を、私たちが祈ってよいこと、いや、祈るべきであることを教えて下さっています。

「糧(かて)」とはもちろん、食糧のことです。今、日本人で、その日の糧について祈る人がどれほどいることでしょうか。ホームレスの人々でも、食堂やコンビニの残飯を捜せば、最低の食い物にはありつける日本です。

 今、最も「今日の食物」を必要としているのは北朝鮮の人々でしょうか。命の危険をかえりみず、国境を越えてくる、この人々の境涯の悲惨さに心を痛めざるを得ません。

 さて、大事なことを考えてみたい。私たちの魂の糧のことです、つまり「いのちの言葉」(使徒5:20)、私たちを「生き返らせて下さる」(詩篇119:25)神様の御言葉です。

 クリスチャンは神様からの「命の糧」を食べなければ、生きて行けない存在です。1週間に1日だけ教会に行って牧師からみ言葉を聞く。それだけでは栄養不足に陥りやすい。発育不全になる。毎日でも聖書に触れるべきなのです。

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 神のみ言葉に激しく餓えを覚える人は、本当に神様に祝福された人たちです。日毎、み言葉を豊かに食べる人は更に幸福です。

 単に量的に多く食べるというよりも、食べた物をよく咀嚼する事が大切です。み言葉に例えれば、み言葉をよく祈り、よく黙想しつつ聖書を拝読することです。

 そうすると「み言葉が打ち開けて光を放たれ、愚かな者が賢くなる」(詩篇119:130参照)ような事が起ります。賢人が生まれるのです。赦しがたい人をも赦せるような人になるのです。

 だから次の言葉、

 「我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪を赦したまえ」

 こうした祈りが口について出始めるのです、私がまだ、信仰を持っていなかった頃、教会の礼拝に出席して、この祈りをみんなが唱える時、私は、この一句に閉口したものです。

 私は口を閉じて、かたくななほど黙っていました。とてもじゃないが、「私は人の罪を赦しましたから、私の罪を赦してください」などとは言えそうもなかったのです。

 しかし、私たちの心に「み言葉が打ち開けて光を放ち」、私が真理において「賢く」なる時、私は「人の罪を赦し得る」自分を発見して驚くのです。

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 ところで、この「主の祈り」の、各フレーズの最後にある「なさせたまえ」とか「あたえたまえ」という言葉は、原文では、懇願ではなくて、命令形なのです。神様に向かってのお祈りの言葉が命令形であるとは、日本人にとってヘンな感じですが、英語などでしたら奇妙ではないように思います。プリーズをつけるにしても、「ギブ・ミー」などと命令形です。

 日本語で命令形では祈りにくいですが、少なくとも、こう祈ります。「主よ、あなたは万事、可能です。私はこの問題を中央突破します」。

こうして神様に大胆に迫りましょう。

 「主の祈り」の最後は、後世、教会で加えた頌栄を除くと、次の一句で終わりです。

 「我らを試みに合わせず、悪しき者より救い出したまえ」

 人生に試練は多い。しばしば試練は神様から来ます。神様は愛する者を訓練するのです(ヘブル12:5参照)。しかし、神様は私たちを憐れんで、試練を少なくしてくださいます。私たちが神の子として少々甘えて祈る祈りを、イエス様はお許しくださるでしょう。

 最後の「悪しき者より……」の個所は大抵の教会の式文では「悪より……」となっています。これは誤訳です。私たちが「悪いことをしないように、悪いことに染まらないように」と祈っているみたいです。しかしここはマタイの福音書でもルカの福音書でも「悪しき者」です。つまり悪魔のことです。悪魔退治、悪魔追い出しを神様に命令形で願っているのです! 「主の祈り」はあくまで大胆、積極的です。

 主の祈りは天の父の御名をあがめる所から始まって、次第にほこ先を自分自身に向けて行きます。そして最後は「悪魔」からの解放です。

 この祈りを毎日、口を大きく開け、声を上げて唱えましょう。怠らず継続すると、次第に魂の筋肉が強くなってきます。(2003.2.27.記)

 

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